14 肉じゃがの記憶(7)
(前回からの続き)二人を尾行していた男が姿を現したようで……
肉じゃがを作り終え、帰ろうと思ったところ「ご飯は大盛りでいいですか?」と当然のように言われ、橋本は帰るタイミングを失った。
「三河」のカウンターで、二人並んで夕食を食べる。炊き立てのご飯に、今日の食材で作った肉じゃがは抜群に相性が良く、歩き回った疲れもあってか、二人ともばくばくと食べ進んだ。
「……でも、違う、と」
「……いえ、もうすっごく美味しいんですけどね……」
杏奈は美味しそうに残念そうな表情を重ねるという、複雑な表情を作って見せた。
「うーん、酸味がもう少し……若いって言うか、フレッシュって言うか……あと、ほんのり苦みが……他はもうこれでぴったりなんですけど……」
「えー……何だそれ……」
分かんねーな……。
不意に三河の玄関の呼び鈴が鳴った。
時計は20時。
「……こんな時間に、誰か来るのか?」
「……いえ、あまり人が来る時間帯では……」
幸せな満腹感から一転、二人に緊張が走る。
「俺が見てくる」
「私も行きます」
「杏奈はここにいな」
「いえ、大丈夫です、一緒に行きます」
「……俺の後ろにいろよ」
お互いに、昼間のサングラス男をイメージしていた。
玄関の引き戸のチェーンロックをかけた状態で、橋本がわずかに隙間を開けた。
……。
そこには、昼間のサングラス男が立っていた。
「杏奈、110番の準備しといて。合図したら、すぐ電話して」
「……はい……」
硬い表情で、しかし、しっかりした声で答えながら、杏奈はスマホを握りしめた。
橋本が玄関に近づき「どちら様ですか?」と声をかける。
「……昼間鎌倉で女の子を連れて歩いてたあんちゃんか?」
「……あんた、俺達を尾行してた奴か?」
「……まぁ、尾行といえば尾行だが……」
男が言葉を止めた。
鼻息。
匂いを嗅いでいる?
「ダメだな……」
サングラス男がつぶやいた。
「?」
「話がある、悪い話じゃない。中に入れてくれないか?」
「あんたさ……人の家にいきなり来て、名前も用件も言わず、中に入れろ? こっちは警察を呼ぼうかと思ってるんだが」
ああ、そうか。確かに、すまない。
サングラス男はそう言うと、玄関の隙間から名刺を差し入れてきた。
橋本が名前を知っているくらいには有名な、大手の夕宅設備メーカーの名前が右肩に書かれ、真ん中には「取締役 藤川 浩二」と記載されていた。
……?
藤川?
「兄貴が……藤川卓がここに来ただろ? それで君たちは肉じゃがを作ってる。合ってるか?」
「……知らないね。うちには、色んなお客さんが来るから、誰のことか」
うん、正しい回答だ。
そう呟いて、サングラス男は、うなづいた。
サングラスを外すと、眉間にしわを寄せた、一重の鋭い眼光が姿を現す。
「じゃあ、ビジネスの話をしよう。いまやってるその肉じゃが作りを止めて欲しい。200万でどうだ」
「にっ……」
「なに、兄貴には上手く作れませんでした、と言ってくれればいい。それで兄貴もあきらめるだろう。それで君らは200万だ、良い取引だと思うがね」
「……ちょっとそこで待っててくれます?」
橋本は、重い気分で玄関を背にした。
だが、聞かない訳にはいかない。
橋本は、杏奈の方に近づいて、小声で話しかける。
「肉じゃが諦めたら、200万くれるってよ。女将さん退院するまで、店開かなくてもすむんじゃない?」
「何ですかその怪しい話」
杏奈が眉間に皺を寄せる。
……確かに。何か騙されてるか、良からぬことに巻き込まれてるか、そんな金額だ。
「それに……」
ん?
「私、知りたいです。あの社長さんが食べたかった味」
杏奈は、ひょいと橋本の右手から名刺を取り上げた。
「あっちはグループ会社の社長さんで、こっちは一社の代表じゃない取締役さんですよね。社長さんの方が偉いんじゃないですか?」
「高校生のくせに……ま、確かにそれもそうか」
「橋本さんはどうですか?」
「え?」
俺?
俺は…さ。
なんてことはない。
当然、作りたいに決まってる。気になるじゃないか、どんな味なのか。
いや。
それだけじゃない。
もっと怖かったのは、来週からお払い箱になることだった。
ここで、もう少し料理をしたい。
恥ずかしくて、とても言い出せなかったが、それが本音だった。
「お前が食べたいんなら、ま、作ってやるよ。良いんだな、200万、断るぞ」
裏腹な言葉は、しかし杏奈を喜ばせるには十分だった。
「はい! もちろん」
そんなお金もらっちゃったら……橋本さん、もう来てくれないでしょ?
「え?」
何かぼそぼそとした呟きが聞こえた気がして、橋本は振り向いた。
「何でもないです」
杏奈は厨房の方に視線を逸らした。
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