11.激闘の果てに……②
ステファニーは余裕たっぷりにコートを駆けていた。
白地にクリムゾンレッドのラインが入ったウェアが、その動きに合わせて優美に揺れる。まるで社交界のダンスを踊るかのような軽やかさで、しかし確実にボールを捉えていく。
観客席からは感嘆の溜息が漏れ、その技術の高さに誰もが息を呑んでいた。
その優雅な身のこなしの裏に、並外れた強靭さが隠されているのは言うまでもない。
ステファニーがラケットを振り抜く。また一つ、無魔力のストロークがコートを横切った。蛍光イエローのボールが鋭い軌道を描き、シェリルの元へと迫る。
再び放たれた無魔力のストロークをシェリルはルーミアの力を借り、全身強化を施して受け止めた。
ターコイズブルーのラインが光り、三重の光の環が腕に浮かび上がる。だが、それでもなお腕が軋んだ。ラケットを握る掌に鋭い痛みが走り、肩の関節が悲鳴を上げる。
――魔力を使っていないのに……!
どうして、こんなに打球が重いの……!?
魔力で身体を強化しているシェリルですら、素の状態のステファニーの打球を受け止めるのに苦労している。これは一体どういうことなのか。理解が追いつかない。
ステファニーはスコートの裾が舞い上がり、アンダースコートが露になるのも構わず、風のように軽く着地しながら、微笑みを浮かべた。令嬢の嗜みとはいえ、多くの貴族令嬢は恥じらいを見せ戸惑いを見せるが、ステファニーは腰に手を当てている。
その表情には余裕があり、まだ本気を出していないことが明らかだった。額に汗一つなく、呼吸すら乱れていない。
「そろそろ理解なさったかしら? 私、『ただの貴族のお嬢様』ではございませんのよ?」
その瞳がわずかに鋭く光る。
社交界で見せる甘い笑顔とは違う、獲物を見据える肉食獣のような眼差しだった。
その瞬間、シェリルの脳裏に親しい友人となったステファニーの侍女フロラの言葉が蘇った。以前、何気ない会話の中で聞いた話。その時は軽く聞き流していたが、今になってその意味が理解できる。
ステファニー・アニエス・ハンコック。
武門の誉れ高いスカーロイ辺境伯家の令嬢。
南方のエルスワース辺境伯とともに、代々、王家の西方辺境地を守り抜いてきた武の家系。
フロラは誇らしげに語っていた。ステファニー様は幼い頃から厳しい訓練を受けてきたのだと。貴族の令嬢としての教育だけでなく、武門の娘としての鍛錬も怠らなかったのだと。
その強靭な肉体と戦闘技術は、普通の貴族とは比べ物にならないことをシェリルは身を以て実感していた。
――まさか……これ程とは……!
腕のリストバンドで汗を拭い、平静を務めようとするシェリルを余所に、ステファニーはさらに一歩踏み込んでくる。
その足取りには、剣士にも似た重心操作があった。無駄のない動き、計算された体重移動、隙のない構え。これは単なるスポーツ選手の動きではない。まさに武人の気迫が宿っていた。
観客席のざわめきが大きくなる。
女子生徒達は、この圧倒的な実力差を目の当たりにして、驚きと興奮に包まれていた。『聖女』と呼ばれているシェリルが押されている。その事実が、会場全体に緊張感をもたらしていた。
「ハンコック家の血は、代々『身体強化魔術』を凌ぐほどの素質を持つと評されておりますの。女性であるこの身であっても、例外ではございませんわ」
ステファニーの声には、誇りが滲んでいた。
辺境伯家の娘としての矜持、武門の血を引く者としての自負。それが言葉の端々から感じられる。
軽く振っただけのはずのラケットから、風切り音が鋭く耳を裂いた。空気が震え、コートの表面に小さな風圧の波紋が広がる。魔道具のラケットすら光らせずに、これほどの威力を生み出している。
シェリルの背筋に冷たいものが走った。
――強い!
本当に、強い……!
本当に嫌な女だと思っていたけど、実力は本物……
これまでシェリルは、ステファニーを社交界の悪役令嬢としか見ていなかった。
事あるごとに絡んできて、嫌味や悪口を言う。自身の家柄を鼻にかけ、素性も定かでないくせに『聖女』と呼ばれている自分を目障りだと思っている。そう思い込んでいた。
だが、今、このコートに立って、ステファニーの本気の姿を目の当たりにして、シェリルはようやく理解した。
――違う……!
ステファニーは、わたしを嫌っていたわけじゃない……!
あの嫌味も、挑発も、すべては……
シェリルの胸に、一つの確信が芽生える。
コートを挟んで対峙するステファニーの鳶色の瞳に宿る赤き光。それは憎悪ではなく、闘志だったのだ。対等な相手として認められたい。真正面から勝負がしたい。武門の娘として鍛えた力を、全力でぶつけ合いたい。
だからこそ、ステファニーは挑発を繰り返してきたのだ。
シェリルが本気を出すように。
『聖女』という看板ではなく、一人の『魔術師』として向き合えるように。
それだけステファニーも本音を隠していた。
高慢な悪役令嬢という仮面の下に、真摯な武人の魂を秘めていたのだ。
ただの令嬢の優雅さではない。華やかな微笑みの奥に潜む、武門の娘として鍛え抜かれたしなやかで鋼のような強さは、一朝一夕で出来るものではなかった。
優雅そうに振舞いながら、人知れず自らを鍛えているのだろう。朝早くから、夜遅くまで……
貴族の令嬢としての義務を果たしながら、武人としての鍛錬も積んできたのだ。
その努力を想像すると、シェリルは自分の浅はかさを恥じた。表面だけを見て、本質を見誤っていた。ステファニーが求めていたのは、対等な勝負だったのだ。
ステファニーはスコートの裾を翻し、挑発するように言った。その動作は優雅でありながら、戦士の挑発でもあった。
「さぁ、聖女様。ここからが『本当の試合』ですわよ?」
ラケットを握るステファニーの右腕に赤い魔術円が浮かび上がり、双の瞳が赤く煌めいた。
三重の腕輪のように纏われたそれは、クリムゾンレッドの光を放ち、魔力が解放されようとしていることを示している。これまでは魔力を使わずに戦っていた。
観客席がどよめいた。誰もが固唾を呑んで、次の展開を見守っている。
――つまり、ここからが本番……そういう事ね
シェリルは深く息を吸い、胸の内で静かに覚悟を固めた。手のひらの汗を拭い、ラケットを握り直す。ターコイズブルーのラインが淡く光り、ルーミアが応答する。
――もう貴女を見下したりしない……ステファニーと戦うには、わたしも全力で挑む……
いや、違う。もっと正確に言うなら。
――ステファニー。貴女が求めていたのは、これだったのね。
対等な勝負、本気と本気のぶつかり合い。
ならば、わたしも応えなければ……
シェリルの瞳に、強い光が宿る。『聖女』という呼び名ではなく、一人のフェアリー・テニスのプレイヤーとして。シェリル・ユーリアラスという一人の人間として。ステファニーの挑戦を受けて立つ。
シェリルの腕にも、金春色の魔術円が浮かび上がる。三重の光の環が回転し、魔力が高まっていく。
聖女として。
学年を代表するSクラスの生徒として。
そしてフェアリー・テニスのプレイヤーとして。
今、全力を尽くす時が来たのだ。
ステファニーの瞳が、わずかに輝いた。
まるで「ようやく」と言いたげに。その表情には、満足げな笑みが浮かんでいた。
コートの表面が微かに震え、魔力に反応し始める。結界が放つ青い光が、本気で対峙する二人を静かに包み込んでいた。




