10.激闘の果てに……①
青い結界が張られ、試合開始の鐘が鳴り、観客席からの歓声が一斉に響き渡った。
ホーリーウェル魔導学院の女子生徒達で埋め尽くされた客席から、無数の視線がコートへ注がれる。これは5年生となり、初めて公式戦に参加するシェリル達のデビュー戦だった。
それまで個別の練習は許されても、実際の試合は今日が初めてで、誰もがこの瞬間を待ち望んでいた。
シェリルは胸の高鳴りを抑えられなかった。
観客席の熱気が、結界を通してもなお伝わってくる。何百という視線が注がれ、期待と好奇心に満ちた眼差しがコートに向けられている。その重圧が、肩にずっしりとのしかかった。
――落ち着いて……これまで練習してきたことを出せば……
コート全体が魔力の膜に包まれた。その光は海の底のように柔らかく、しかし決して破れない強固な壁となってシェリルとステファニーを閉じ込める。
コートの反対側では、ステファニーが余裕の笑みを浮かべ、鹿毛色の髪を左右で束ねている赤いリボンを軽く整えている。
白地にクリムゾンレッドのラインが入ったテニスウェアが、結界の青い光を受けて淡く輝いている。その姿はまるで戦場に立つ騎士のように堂々として、一切の迷いがないように見える。
だが、その指先は微かに震えていた。リボンを整える動作は、実は緊張を隠すためのものだったのだ。これがデビュー戦であり、聖女と呼ばれる相手との対戦で、観客席を埋め尽くす視線が注がれている。ステファニーとて、平常心でいられるはずがなかった。
――落ち着きなさい、ステファ!
あなたは辺境伯家の娘。この程度で動揺するなど……
内心で自分を叱咤しながら、ステファニーは完璧な笑みを保った。
「さぁ、聖女様。まずは軽く肩慣らしと参りましょうか?」
魔力の波動はまるで感じず、本当に『普通のテニス』のつもりらしい。ステファニーの周りに魔法のオーラが現れる気配すらない。それが却ってシェリルの警戒心を煽った。
――魔術を使わないつもり……?
それとも、必要ないと思っているの……?
軽くステップを踏み、ステファニーがサーブに入る。その動きは洗練され、無駄がない。長年の鍛錬が染み込んだ身のこなしだ。
しなやかな動作でトスされた蛍光イエローの魔法球『エムボール』が弧を描き……鋭い音を立てて落ちてきた。
――『魔力なしのサーブ』……だったら対応できる
そう思った刹那、ステファニーが振り下ろしたラケットは風を裂き「シュンッ!」と鋭い音を立てて蛍光イエローのテニスボールを打ち抜いた。魔道具のラケットが光ることもなく、ただ純粋な技術と筋力だけで放たれた一撃がシェリルのコートへ向かって迫ってきた。
「……っ!?」
白い打線がまるで一本の光の帯のようにシェリルのコートへ走る。空気が震え、コートの表面が軽く波打った。
「きゃっ……!」
受け止めた瞬間、シェリルはラケットごと腕を持っていかれそうになった。手首に鋭い衝撃が走り、肩が悲鳴を上げる。辛うじて打ったボールは力なく虚しい弧を描き、コートの隅に転がっていった。肩がぐらつき、足元のコートが大きく軋むような気がした。ターコイズブルーのラインが入ったスコートの裾が、不安定な動きで揺れる。
――な、何て重いの……!?
魔力を乗せていないのに、これほどの『圧』だなんて……!
驚愕と焦りが胸を打つ。シェリルは自分の掌が震えているのを感じた。
ステファニーは白地に赤いラインの入ったスコートを翻しながら、涼しい顔で次の構えをとっている。額に汗一つなく、呼吸すら乱れていない。その余裕は演技ではなく、本物の実力から来るものだった。
「どうなさいまして? 聖女様。まだ魔術は使っておりませんのよ?」
その声音は、完全に挑発だ。しかし同時に、事実の指摘でもあった。
シェリルは歯を噛み、両手でラケットを握り直す。魔道具のラケットが手のひらの中で微かに震えた。まるで主人の動揺を感じ取っているかのように。
――冗談でしょ……?
これが、本当のステファニー……?
観客席がさざめく。シェリルの耳に届く囁きは、まるで針のように心に刺さる。
「聖女様が押されているわ……」
「ステファニー様、本気なのね」
「これは……予想外の展開だわ」
『あの聖女が押されている』というざわめきが、結界を通してもなお、シェリルの耳に届く。観客席のどこかでクラリスやセラフィーナ、レイコ達が見守っている筈だ。彼女達はどんな表情をしているだろうか?
次のボールがステファニーのラケットに乗る。
軽く、優美に……しかし容赦なく。
「では、もう一本お相手くださいまし。手加減して差し上げますわ」
今度はトスしてからのサーブではなく、下から軽く打ってきた。フォアハンドの構えから放たれたストロークだった。魔力ゼロのはずの軽いストロークが、またも風圧を巻き起こして飛んでくる。コートの表面を滑るように、しかし確実な軌道で迫ってきた。
その瞬間、シェリルは悟った。
――パワーでは勝てない……本当にラケットを持っていかれる!!
「ルーミア! お願い!」
シェリルは自身のテニスウェア……精霊の服『ルーミア』……に強化の加護を纏わせる。ターコイズブルーのラインが淡く発光し、魔力が全身を駆け巡る。
ウェアに織り込まれた特殊な糸が光を反射し、シェリルの周りに半透明の円形のオーラが現れた。
光がほのかに滲み、ラケットが震えを止める。三重の光の環が腕に浮かび上がり、魔力が増幅される。
シェリルは全力でボールを打ち返した。
「はぁっ!」
気合いの声とともに放たれたリターンは、今度こそ力強くステファニーのコートへ飛んでいった。
だが、ステファニーはすでにネット際まで前進していた。
「遅いですわ!」
冷静な声とともに、完璧なタイミングでボレーを返す。ボールは鋭い角度でシェリルの反対側、まったく届かない位置に正確に落ちた。魔法球『エムボール』が地面に当たり、軽い音を立てて跳ねる。
「まぁ、今のは悪くありませんわね、聖女様!」
ステファニーの声には、本物の愉悦が滲んでいた。強者と戦う喜び。辺境伯家の血が、今まさに燃え上がっているのだ。
その後もステファニーは、軽やかにコートを駆け、まるで舞踏のようなステップで球を捉えていった。フォアハンド、バックハンド、ボレー、スマッシュと、すべての技術が完璧に磨き上げられ、一切の隙がない。
余裕たっぷりで、呼吸も乱れず、髪一本すら乱さない。
クリムゾンレッドのラインが動きに合わせて残像のように輝き、ステファニーの姿はまるで深紅の流星のようにコートを支配していた。
まさしく武を誉れとする辺境伯家の実力に、シェリルは舌を巻いた。
スカーロイ辺境伯家はマーキュリー王国の西方を守護する名門の大貴族だ。その令嬢が、社交界での悪役令嬢という仮面の下に、これほどの実力を隠していたとは。
――ステファニー……ただの悪役令嬢だと思っていたけど……本当に、強い……!
試合はまだ始まったばかりだ。最初のゲームすら終わっていない。
だがすでにステファニーがポイントを重ね、シェリルを圧倒している。このペースで進めば、第一ゲームはステファニーのものになるだろう。これから何が起こるのか、誰にも予測できない。
――この試合、ただのフェアリー・テニスでは終わらない……
結界の青い光が、二人の少女を静かに包み込んでいた。観客席の歓声が遠くに聞こえる中、シェリルは深く息を吸い込み、ラケットを握り直した。




