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ノイルフェールの伝説~天空の聖女(セインテス)~  作者: 朝霧 巡
第5章 ホーリーウェル魔導学院
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9.フェアリー・テニス……⑨

 観客席の一角で異変が起きたのは、シェリルとステファニーが、互いに反目し、鼻を鳴らした直後だった。


「失礼いたします。わたくし、少々……」


 端の席に腰掛けていた、一人の女子生徒が顔を青ざめさせて立ち上がった。

 Sクラスの同級生セラフィーナが、ふらつく足取りで、侍女に支えられながら出口へと向かう。


「セラフィーナ様……?」


 シェリルは思わず立ち上がった。


「シェリル様!」


 ラルフェリアもすぐに後を追った。

 観客席を出て、廊下を急ぐ二人。ラルフェリアは、シェリルの後ろ姿を見つめながら思った。


――シェリル様は、セラフィーナ様をとても気にかけていらっしゃる……


 それは単なる同級生への気遣いではない。もっと深い、何か共感するものがあるのだろう。

 思えば、ウーラニアー村にいた時からそうだった。シェリルは常に周囲の人々の心を感じ取ってしまう子だった。だからこそ、村人達の恐怖や悪意を感じ取り、刺激しないように自らの存在を静かなものへと変えていった。


――今のシェリル様は……その時の比ではない……


 アルフォード大聖堂から、事実上の『聖女』として認められた影響もあるのだろう。『人の心の奥底を読み取る力』は時に重荷となる。知りたくないことまで知ってしまうからだ。


――ひょっとしてセラフィーナ様もまた

  この場の不穏な気配を誰よりも強く感じ取っている?

  もしかして……

  シェリル様は、セラフィーナ様の中に、

  ご自身と同じものを見ているのかもしれない


 他人の感情や気配を敏感に察知してしまう苦しさ。それを知らずに済む者にとっては理解できない孤独。

 だからこそ、シェリルはセラフィーナを放っておけないのだろう。

 廊下の突き当たりに、青白い顔で壁に寄りかかるセラフィーナの姿があった。侍女が心配そうに彼女を支えている。


「セラフィーナ様、大丈夫?」


 シェリルが駆け寄ると、セラフィーナは力なく頷いた。


「申し訳ありません……シェリル様……急に息苦しくなって……気分が……」

「お水を汲んで参ります。少々お待ちください」


 セラフィーナの侍女が一礼して、その場を離れる。それを見送るセラフィーナの翠の瞳には、まだ恐れの色が残っていた。額には汗が浮かび、呼吸も浅く速い。まるで何か巨大な存在の気配を感じ取っているかのように、その身体は小刻みに震えていた。


「セラフィーナ様……」


 ラルフェリアがそっと近づき、その様子を観察する。そして、はっとしたように目を見開いた。


 風精族(エルフ)である彼女には見える。高位の存在は、たとえ身を変えても本質を見抜く能力が備わっているからだ。始祖たる風精神族(ハイエルフ)のアイリスが人間族(ヒューム)の冒険者アイリーンとして活動していても、その本質は決して見誤らない。

 そして今、セラフィーナの精神体スピリチュアル・ボディを見た時、ラルフェリアは確信した。


「シェリル様……セラフィーナ様の精神体スピリチュアル・ボディですが……風精族(エルフ)に近い……」

「え?」


 シェリルは驚いてセラフィーナを見つめた。

 精神体スピリチュアル・ボディとは、肉体とは別に存在する、魂の器。通常の人間には見えないが、聖女や一部の魔術師には感じ取ることができる。そして風精族エルフの精神体は、自然の魔力に敏感で、環境の変化を鋭く察知する特性がある。


――でも……何か違うわ……アイリス様とも違う……


 ラルフェリアは内心で首を傾げた。

 確かに風精族エルフの気配がする。しかし、どこか掴みきれない。


――もしかしたら、風精族エルフの血が

  混じっているだけなのかもしれない。

  あるいは、何か別の理由が……?


 まるで霧のように、その本質が曖昧で、輪郭が定まらない。


「だから……この場の不穏な気配を、誰よりも強く感じていらっしゃるのかもしれません……」


 シェリルは胸の奥で納得した。セラフィーナが感じていた「風向きの変化」。それは比喩ではなく、実際に魔力の流れが変わり始めていることを、彼女の精神体が感知していたのだ。


 その時だった。


「まったく……呆れたものですわね」


 背後から、聞き慣れた声が響いた。

 振り返ると、そこにはステファニーが立っていた。鹿毛色の髪を揺らし、呆れたように首を振っている。テニスウェア姿の彼女は、ラケットを手にしていて、いつもの扇を持っていない。


「こんな所で倒れるなんて……Sクラスの生徒なら、もう少ししっかりなさいな」


 その言葉は辛辣だったが、その瞳には心配の色が宿っていた。


「ステファニー様……?」


 シェリルが驚いて声を上げると、ステファニーは「ふんっ」と鼻を鳴らした。


「別に心配なんてしていませんわよ。ただ、同じクラスの者が具合を……」


 言い掛けて、癖となっている扇で口元を隠そうとするが、それがテニスラケットであることに気が付いて、慌てて背を向けた。


「まあ、一応、様子を見に来ただけですわ! 一応!」

「ステファニー様」


 後ろから、侍女のフロラが呆れたような表情で声を掛け、小さく溜息を吐いて言った。


「お嬢様、正直に仰ってください。『セラフィーナ様が心配だ』と仰って、私を置いて走って来られたではありませんか」

「フ、フロラ! 余計なことを……!」


 ステファニーの顔が一気に赤くなる。


「わ、私はただ……その……クラスメイトとして当然の行為を……!」

「ステファニー様……」


 シェリルが微笑むと、ステファニーはますます顔を赤くした。


「勘違いしないでくださいまし! 貴女方と慣れ合うつもりはありませんわ!」


 そう言いながらも、その声は震えている。セラフィーナが、薄く微笑んだ。


「ありがとうございます……ステファニー様」

「う……うるさいですわね!」


 ステファニーはくるりと踵を返した。


「さあ、私達の試合の番ですわよっ! シェリル、覚悟なさい。今日こそ、貴女に私の実力を見せつけて差しあげますわ!」


 捨て台詞を残して、ステファニーは颯爽と観客席へと戻っていく。フロラが「お嬢様、お待ちください」と慌てて後を追った。

 シェリルは、その背中を見送りながら、小さく笑った。


「本当は、優しい人なのかも……口は悪いけど……」

「ええ……ステファニー様は、器用なのに不器用なだけですね……誰かさんみたいで……」

「……ん?」


 シェリルが珍しく目を剥くが、ラルフェリアは微笑みで、幼馴染の抗議を受け流した。

 セラフィーナは侍女が持って来た水を口にして、少し血色が戻ってきた。侍女は優しく彼女を支えている。


「シェリル様……ありがとうございます」

「無理は……しないで……」

「はい……もう少し休めば、大丈夫です」


 シェリルは頷いて、ラルフェリアと共に観客席へと戻ろうとした。

 その時、ふと視線を感じて振り返る。

 遠くの廊下の影に、一瞬だけ、菫色の髪が揺れたような気がした。


――アリシア様……?


 しかし、次の瞬間には、そこには誰もいなかった。

 シェリルは首を傾げながらも、切り替えるように両手で自分の頬を何回か叩くと、再び観客席へと足を向けた。


――そろそろ、わたし達の出番……

  覚悟して……ステファニー・ハンコック


 シェリルの耳に、フェアリー・テニス会場の歓声が、再び響き始めた。

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