7.フェアリー・テニス……⑦
「クラリス様、リネア様とフーディエ様、どちらが勝つと思われまして?」
レイコが小声でクラリスに尋ねた。その問いかけに、クラリスは扇を優雅に揺らしながら答える。
「そうですわね……技術ではリネア様、戦略性ではフーディエ様。互角と言ったところかしら」
「でも、フーディエ様は学院長の妹君ですわよね。氷魔法の才能は折り紙付きですわ」
「血筋だけで勝負が決まるなら、試合をする意味がありませんわ」
クラリスの言葉に、レイコは小さく頷いた。
その少し離れた場所で、ラルフェリアとフロラが小声で会話を交わしていた。
「フロラさん、あなたの主人とうちのシェリル様、また火花を散らしていらっしゃいますが、いつもこうなのですか?」
「ええ、お二人ともムキになるというか……もう少し穏やかにして頂きたいものです」
フロラが溜息をつく。ラルフェリアも同意するように頷いた。
「でも、お互いを認め合っているからこその張り合いだと思いますわ。本当に嫌いなら、あそこまで真剣に向き合わないでしょう」
「それもそうですわね……ただ、周りの目が気になりますわ」
二人の侍女は、それぞれの主人を心配そうに見守る。
その時、ラルフェリアは、再びシェリルが身を乗り出しているのに気が付いた。試合を観戦しているようにも見えるが、その視線はコートには向いていなかった。
シェリルはセラフィーナの様子が先ほどと変わっていることに気づいた。
彼女の顔色は悪く、額には薄く汗が浮かんでいる。手は小刻みに震え、呼吸も浅く速い。まるで何か恐ろしいものを感じ取ったかのように、セラフィーナは周囲を見回していた。
――セラフィーナさん……何かを感じている……
シェリルは感覚を研ぎ澄ませた。すると、わずかに空気の質が変わっているのを感じ取った。それは具体的な何かではない。もっと漠然とした、しかし確実に存在する違和感。まるで嵐の前の静けさのような、不穏な予感。
セラフィーナが「風向きが変わった」と言ったのは、この感覚のことだろうか。物理的な風ではなく、魔力の流れ、あるいは運命の流れが変わり始めている……そんな予感。
シェリルは不安を覚えた。
――アリシアさんの姉への複雑な思い……セラフィーナさんの異常な反応
そして、この場に漂い始めた不穏な気配……
何だろう?
これらが何を意味するのか、シェリルには判らない。ただ、何か大きな変化が起ころうとしている。その予感だけが、胸の奥で静かに膨らんでいく。
コートでは試合が続いている。リネアの紫の光が美しい軌跡を描き、フーディエの氷が煌めく。観客たちは歓声を上げ、拍手を送る。表面上は、何も変わっていない。
しかし、シェリルには感じられた。
空気が、確実に変わり始めていることを。
アリシアは静かに立ち上がり、音もなく観客席から出入口に移動し、そこから試合を見ている。彼女の瞳に浮かぶのは、居たたまれないという思い。
セラフィーナは相変わらず不安そうに周囲を見回し、その翠の瞳には恐れが宿っていた。
シェリルは二人を交互に見つめ、そして自分の胸に手を当てた。
――この不穏な気配の正体は何……?
どうして二人はこんなにも……
明確な答えは出ない。
ただ、確実に言えることは一つだけ。
秋の光が降り注ぐ、フェアリー・テニスの歓声の中、空気は確かに変わりつつあった。観客席には純白とパステルのウェアに身を包んだ女子生徒達が並び、金糸銀糸のリボンが陽に揺れていた。
白亜のコートを覆う青い結界が、波紋のようにゆらめいた。
フェアリー・テニス専用に作られた『魔術球』が、光の粒を纏い、不規則な軌道を描きながら疾走する。直後、ラケットが閃き、光が弾けた。
「瞬閃光!」
リネアの声が響いた瞬間、光属性の魔力が炸裂し、打ち返されたボールは尾を引く流星のように輝いて飛ぶ。
対するフーディエが構えた瞬間、コートの表面が一変した。青白い氷の結晶が走り、光の床は一瞬で氷原に変わる。観戦している女子生徒達の歓声が上がった。
「凍結変化! すごいわ! フーディエ様、コートごと凍らせた!」
「でもリネア様も負けていらっしゃいませんわ。光が氷を弾いていらっしゃる!」
光と氷、二つの属性がぶつかり合うたび、コートは息をするように姿を変えていく。
氷の欠片が弾け、光の波が揺らめき、次の瞬間には透明な風の壁が浮かび上がった。ボールは風に弾かれ、軌道をねじ曲げられながら宙を舞う。
「精流光舞!」
リネアの一撃が放たれる。ラケットから放たれた光の蝶がボールにまとわりつき、軌道を分裂させる。三つの光球が氷の防壁へと突き刺さり、そして爆ぜた。
結界の内側で風と光が渦を巻く。女子生徒達は思わず立ち上がり、その魔法的な美しさに息を飲む。
試合は最高潮を迎えていた。リネアとフーディエ、二人の貴族令嬢が繰り広げる華麗な攻防。それは貴族社会が認める、正統な競い合いの形だった。ルールに則り、礼儀を尽くし、美しさと品格を保ちながら力を競う。
それがフェアリー・テニスという競技の本質だ。
シェリルも、ステファニーも、互いの小競り合いを忘れて試合に見入っている。アリシアは出入口付近で姉の姿を見つめ、セラフィーナは不安げに周囲を見回していた。
コート上では、光と氷の旋律が奏でられている。
その時だった。
観客席の上段に男子の姿が現れ、ざわめきが走る。
その瞬間、まるで調和の取れた音楽に不協和音が紛れ込んだかのように、場の空気が変わった。
――男子生徒がこの会場に……?
目を剥いたのはステファニーだった。
白金の髪に、海のような蒼眼。端整な顔立ちをした青年は、ゆっくりと階段を下りてくる。その所作はまるで舞台の貴公子のようであった。
コート上では、まだリネアとフーディエの優雅な攻防が続いている。光と氷が織りなす芸術的な競技。だが観客席の視線は、既に半分がその男子生徒へと向けられていた。
「マルムストローム公爵令嬢。こちらでしたか」
彼は立ち止まり、恭しく頭を下げた。
「ご機嫌よう。お会いできて光栄ですわ。マックスウェル卿」
その名を聞いた者達が、ざわ、と息を呑む。
ラファエル・ミーン・ブルックヤード。
マックスウェル公爵家の嫡男……マルムストローム家と並び立つ、王国の双璧の一つであり、紛うことなき貴公子であった。




