6.フェアリー・テニス……⑥
シェリルが目を見張っている試合は緊迫していく。その様子を見守っていたのは彼女達だけではない。
もう一人、新たにAクラスからSクラスに編入された菫色の髪を持つ少女が、コートで試合を続けている同じ髪色を持つリネアの様子を静かに眺めている。
その様子に気が付いたシェリルは、隣で声援を送っているステファニーから視線を移し、少し離れた場所で一人座っている新しい同級生へと向けた。彼女は他の生徒たちのように歓声を上げることもなく、ただ静かに、じっと姉の姿を見つめていた。その横顔には、複雑な感情が浮かんでいるように見えた。
――アリシア・ヴァレンシュタイン……リネア副会長の妹さん……
シェリルは卓越した記憶力を駆使して、アリシアの情報を整理した。
王国宰相テオドール・ヴァレンシュタインの次女であり、今、試合している生徒会副会長リネア・ヴァレンシュタインの妹だ。
ヴァレンシュタイン家は百年前にジール王国から亡命してきた貴族であるが、亡命者であることから自身の封土を持たない。これはそのまま国王の直臣という立場で官吏として王宮に仕えている。
テオドールが現王『エグバート3世』によって王国宰相に親補されてから17年。王国はかつてない程豊かな状態になっていた。
不正行為を行う貴族家の改易に官吏の公職追放に始まり、当時の宮廷筆頭魔術師『アストリア伯爵フェイ・ヴォルゴード・ハイパーソン』とともに密かに粛清も行った……シェリルは聖騎士ユーリアからそう聞いている。『鉄血宰相』と呼ばれるテオドールの冷徹な改革は、多くの腐敗した貴族を排除し、王国に秩序をもたらした。しかしその代償として、ヴァレンシュタイン家は多くの貴族から恐れられ、時には憎まれてもいると……
――鉄血宰相様の娘姉妹……か……
アリシアはリネアと同じ菫色の髪を持っているが、その瞳の色は空のように青い姉とは異なり、深い緑色をしていた。端正な顔立ちは姉によく似ているが、どこか影のある表情が印象的だ。
加えて、彼女の周りには、他のSクラスの生徒達のような華やかな雰囲気がない。まるで一人だけ、別の世界にいるかのようだ。
その時、コートでリネアが華麗なスマッシュを決めた。紫の光が尾を引き、ボールは相手コートに深々と突き刺さる。観客席から大きな歓声が上がった。
「さすがリネア様!」
「完璧ですわ!」
称賛の声が響く中、アリシアの表情がわずかに歪んだ。それは一瞬のことで、すぐに元の無表情に戻ったが、シェリルはその変化を見逃さなかった。
アリシアの瞳には、複雑な感情が渦巻いている。
羨望、敬愛、そして嫉妬。
姉への憧れと、姉に追いつけない自分への苛立ち。常に比較され、常に姉の影に隠れてきた自分。その苦しさが、一瞬だけ表情に滲み出た。アリシアの膝の上で、拳が小さく握りしめられている。
――あの人……姉を愛しているのに、同時に妬んでもいる?
シェリルは自身の能力を呪った。時として人の心の奥底を読み取ってしまう、この力は、アルフォード大聖堂に迎えられてから、より顕著になった。
知りたくないことまで知ってしまう事は、時に重荷となる。
他人の秘めた感情、隠された思い、心の奥底に押し込められた本音……それらが、まるで開かれた本のようにシェリルの心に流れ込んでくる。
アリシアの心の奥には、姉への純粋な敬愛がある。
リネアの才能を認め、その美しさを誇りに思っている。幼い頃から、姉は常にアリシアの憧れだった。優しく、聡明で、誰からも愛される存在。アリシアは姉のようになりたいと願い続けてきた。しかし同時に、自分がどれだけ努力しても姉に届かないという絶望も抱えていた。
Aクラスからようやく編入できたSクラス。しかしリネアは最初からSクラスに在籍し、今では生徒会副会長という地位にある。その差は、アリシアの心に深い影を落としていた。
どれだけ頑張っても、常に姉が先を行く。周囲の人々は常に二人を比較し、そしていつもリネアを称賛する。アリシアの努力は、姉の輝きの前では色褪せて見えてしまうのだ。
コートでは再びリネアがボールを打ち返す。その動きは流れるように美しく、まるで舞を踊っているかのようだった。観客席の視線は全てリネアに注がれている。
アリシアは小さく息を吐き、膝の上で拳を握りしめた。その指先が白くなるほど強く。
――お姉様……あなたはいつもそうやって、全ての視線を集めるのね……
その心の声が、シェリルの胸に響いた。痛いほどに、切ないほどに。
シェリルは静かにアリシアを見つめた。彼女の感情が、再び、自分の中に流れ込んでくる気がした。
平民出身で『聖女』と呼ばれる自分。宰相の娘でありながら姉の影に隠れるアリシア。立場は違えど、二人とも重荷を背負っている。誰も理解してくれない孤独。期待という名の重圧。そして、決して口にできない本音。
シェリルは胸の奥に、アリシアの複雑な感情を静かに閉じ込めた。この感情を、どう受け止めればいいのか。それはまだ判らなかった。ただ、彼女の痛みだけは、確かに理解できた。
「随分余裕ですわね? よそ見をするなんて……」
シェリルの思考を遮るようにステファニーの鋭い声が飛び込んできた。
「アリシア様は確かに器用な方ではありませんわ。しかし『聖女様』の御手を煩わせるほど弱くはありませんわ」
ステファニーの思わぬ一言に、シェリルの心が泡立った。他人には全く興味が無さそうに振舞いながらも、しっかり観察し、自分の行動を決めているステファニーの行動に改めて驚かされる。
「そう……ですか……」
同時にステファニーに感謝していた。知らず知らずに、アリシアの思考の海に耽溺していた自分に気付き、シェリルは再びコートに視線を移そうとした。
“Mens maligna hunc locum corrumpere nititur.”
(メンス・マリグナ・フンク・ロクム・コルルンペレ・ニティトゥル)
――何……今の言葉……?
不意に聞き慣れない言葉が飛び込んできて、シェリルは驚いて視線を向けた。その桜色の瞳には、空を見上げる級友が映っていた。




