5.フェアリー・テニス……⑤
「こんなの貴族社会の常識じゃありませんこと? 聖女様ともあろう御方がそのような事では先が思いやられますわね」
隣に座るステファニーが冷ややかな視線を投げかけている。
今は出番に備え扇子を持っていないので、厳しく吊り上がっている口元もしっかり見える。
彼女の鹿毛色の髪が秋の日差しを受けて艶やかに輝き、整った顔立ちには名門貴族令嬢としての矜持が滲んでいた。周囲の女子生徒たちも、二人のやり取りに興味津々といった様子でちらちらと視線を向けている。
しかし、その言葉は耳に痛かった。
この学院に入る事を決めた時から、聖騎士のユーリアより色々な作法を学んできた。それでも、貴族社会に全く無縁の存在であった彼女にとって学ぶべき作法は決して少ないものではない。
最初はナイフとフォークの上げ下げから歩き方までユーリアから指摘され、厳しい指導を受けていた。立ち居振る舞い、言葉遣い、視線の配り方、扇の持ち方……数え切れないほどの細かな作法が、貴族社会には存在する。平民として育ったシェリルにとって、それらは全てが新鮮であり、同時に重荷でもあった。
――初歩の初歩……ユーリアさんが言ったことは本当だったのね
ステファニーの指摘は手厳しい。手厳しいがそう思う。彼女の言葉には棘があるが、間違ってはいない。貴族社会で生きていくためには、こうした細かな礼儀作法を完璧にこなさなければならないのだ。
「でも聖女様なら、リネア様がなさっている技は、できて当然ですわよね?」
ステファニーが挑発的な笑みを浮かべる。その瞳には、シェリルが怖気づく様子を期待する色が浮かんでいた。
コート上で繰り広げられるリネアの華麗な光魔法を引き合いに出し、暗に聖女としての能力を試そうとしている。観客席の数名が、二人の会話に耳を傾け始めた。
「やれるとは言えない……でも……やってみせる……」
シェリルは真剣な表情で答えた。内に秘めた持ち前の負けん気が顔を覗かせている。それに常識知らずの平民だからといって、臆して退く訳にはいかない。そう思えた。
自分が本当に『聖女』であるかどうかなんて正直疑わしい。それでも自分を慈しみ育ててくれた養父ジェームスやエミリー、そして聖騎士ユーリアにシェリルは心に誓っていた。
平民出身であることを言い訳にせず、その名に相応しい存在になると。
「そうですの? では、お手並み拝見させて頂きますわ」
「ええ、ステファニー様には是非……直々に……」
シェリルとステファニーの視線がぶつかり火花が飛ぶ。以前はシェリルが視線を逸らせていたが、この3年で彼女も成長し、貴族の恫喝にも屈しない精神力を養っていた。桜色の髪と鹿毛色の髪、朱赤の瞳と榛色の瞳が、まるでコート上の戦いを映すかのように睨み合う。
「あ、あの……二人とも仲良く……ね?」
「あら、ここでも? 面白いですわね」
横でレイコ・イシュトリア・ミヤマが心配そうに二人を見つめる中、クラリス・リディア・ジャウエットは興味深そうに状況を観察している。クラリスの瑠璃色の瞳は、まるで観劇でも楽しむかのように二人を交互に見つめ、その唇には微かな笑みが浮かんでいた。
彼女にとって、この二人の小競り合いもまた一つの娯楽なのだろう。
「……風向き……変わったのでしょうか?」
その時、クラリスの隣に座っていたセラフィーナ・ライラ・グリフィンはふと空を見上げて手を翳した。その翠の瞳は何かを探るように空を見つめ、細い指先がわずかに震えている。彼女の表情には、戸惑いと困惑の色が浮かんでいた。
コート上では、魔法のボールが打つたびに色を変化させていた。
赤から青へ、青から緑へ、そして黄色から紫へと目まぐるしく変わる様子は、まるで生きているかのようだった。
プレイヤー達は素早い動きでボールを追い、白を基調としたスコートが翻るたびに、アンダースコートがちらりと姿を見せる。ボールが空中で弾ける度に、魔力の煌めきが結界に反射し、虹色の光が観客席を照らす。その美しさに、多くの令嬢たちが息を呑んでいた。
レイコは頬を赤らめ、目を伏せた。
「短いスコート……やっぱり恥ずかしいですわ」
「貴族令嬢たるものの嗜みです。むしろ堂々としていなければなりませんわ」
クラリスは冷静に言い放った。
「伝統的な競技に恥じらいは不要ですわ。それに、フェアリー・テニスは三百年以上の歴史を持つ由緒ある競技ですもの。現学院長クランプ・ハイパーソン卿が現在の様式に整備なさってから、より安全で洗練されたものになりましたわ」
その声には、生まれながらの貴族としての自信が滲んでいる。
「それよりも、ご覧なさい、事実上の決勝戦ですわ」
クラリスに促されレイコが視線を向けると、青い光で結界が張られたコートに、リネアとフーディエが相対している。
いつもの穏やかで優美な振る舞いを欠かさず、彼女達下級生にとって羨望の的である二人が鋭いまなざしを向けている。普段は穏やかな微笑みを浮かべる二人の表情が一変し、勝負への覚悟が感じられた。リネアの菫色の髪とフーディエの銀色の髪が、魔力の余波を受けて揺れている。
その緊張感はシェリルにも伝わってきて、彼女はごくりと唾を飲み込んだ。
空気まで凍りつくかのような二人の対峙に、観客席も静まり返る。先ほどまでの華やかなざわめきが嘘のように消え、誰もが固唾を呑んで次の瞬間を待っている。
七色に輝くボールが上空高く舞い上がり、リネアのラケットが菫色の光を放つ。対するフーディエは銀色の魔法陣を展開し、氷の結晶が生まれては消えていく。コートの表面が突如として氷に変わり、リネアは一瞬足を滑らせたが、瞬間移動の魔法で体勢を立て直した。その華麗な技に、観客席からどよめきが起こる。
「すごい……」
シェリルの目は輝いていた。彼女は上級生達の神業のような技を食い入るように見つめていた。
光と氷が織りなす幻想的な光景は、まるで夢の中の出来事のようだ。
――自分もあのコートに立つ……
練習は人知れず行ってきた。それに『テニス』という競技自体に訳もなく懐かしさを感じるほど、自然に身体が動いていた。球を追いコートを駆け、ラケットを繰り出す……相手も応じて打ち返してくる。
――その駆け引きが堪らなく楽しい……
シェリルは自身が身震いしているのを感じていた。




