2.フェアリー・テニス……②
寮の扉を開けると、学院の廊下にはすでに多くの生徒達が行き交っていた。
石造りの壁に掛けられた魔導灯が柔らかな光を放ち、磨き上げられた床が朝の光を反射している。廊下の両脇には学院の白い花の紋章が刻まれた柱が立ち並び、その威厳ある佇まいが、ここが由緒ある魔導学院であることを物語っていた。
フェアリー・テニスの大会が近いとあって、どの生徒も新しいウェアに身を包み、緊張と誇りを纏っている。白や淡い色のウェアが主流だが、各家の紋章や魔力属性を示す色の縁取りが施され、それぞれの個性を主張していた。生徒達の会話は弾み、ラケットを抱えた姿があちこちに見られる。廊下は華やいだ空気に満ちていた。
シェリルの隣を歩くラルフェリアもまた、侍女用の落ち着いた女中服を着ていた。
深い藍色の生地に白いエプロン、胸元には学院の侍女であることを示す銀の徽章が光っている。森風精族であることを隠すための髪飾りが、ホワイトブリムの後ろで控えめに魔力を放つ。
それは小さな花の形をした魔導具で、装着者の姿を人間族の姿に保つ効果がある。
これはウーラニアー村にいた時にアイリスから、「正体を知られぬように」と下賜されたものだ。
しかし、それなりに自分の魔力に自信があったラルフェリアだったが、先程自身で掛けた魔術が解けるという『失態』を演じたため、観念してホワイトブリムの真後ろに装着している。
「……今日は落ち着いて行こうね、ララ」
「もちろんです。何があっても、私がシェリル様の心を守ります」
ラルフェリアが微笑んだ瞬間、廊下の向こうから、ひときわ華やかな少女が姿を現した。シェリルの白と金春色のウェアに対して、白と赤のウェアに身を包んだ姿は、まるで炎が揺らめくような、熱を帯びた雰囲気を纏っていて周りだけ空気が違う。
亜麻色の髪を左右に束ね、赤いリボンを揺らしながら歩いてくる少女。それは、シェリルと同じSクラスの同級生で、火属性の名門『スカーロイ辺境伯ハンコック家』の令嬢、ステファニー・アニエス・ハンコックだ。
彼女の纏うウェアは真紅の縁取りが施され、歩くたびに裾が翻る。その姿は、まさに燃え盛る炎を思わせた。
彼女の横には、赤と金の縁取りが入った鞄を抱える侍女、フロラの姿もあった。
フロラは落ち着いた表情で主に付き従っているが、その目には主への気遣いと、周囲への配慮が滲んでいる。
「まあ……これはこれは! ごきげんよう、聖女様……」
ステファニーの唇が、微かに笑みを描く。
声は柔らかいが、そこに混じる熱は火のように刺々しい。その言葉の端々には、シェリルへの複雑な感情が織り込まれていた。シェリルの表情に変化は無かったが、内心ではうんざりとした思いに溢れていた。
彼女とはもう三年以上同じクラスにいるが、何かにつけて絡んでくるのは相変わらずだ。
学院に入学した当初から、平民出身のシェリルが『聖女』として注目を集めることに、ステファニーは面白くない様子だった。
そんなステファニーは、シェリルの背後に控える金髪の侍女に気が付くと、興味深い視線を向けた。手にした扇子で口元を隠してはいるがきっと片側が吊り上がっているのだろうとシェリルは思った。彼女の瞳には、値踏みするような光が宿っている。
「やっと側仕えをお抱えになりましたのね……これも大聖堂の御加護かしら?」
ラルフェリアは風精族らしく整った容姿をしている。しかし、アルフォード大聖堂の人間は、式典以外は基本的に地味な服装をしておりアクセサリーも付けてはいない。
――どこの田舎娘を拾ってきたのやら……
ラルフェリアの女中服も、ステファニーに付き従うフロラに比べ金や銀の意図での刺繍などの装飾が少ない。
「まあ……そのお召し物、とても質素でいらっしゃるのね。さすが……」
ステファニーの視線が、再びシェリルの背後に立つラルフェリアを一瞥する。
フロラが身につけている刺繍入りのメイド服とは対照的に、ラルフェリアの服は簡素で、貴族の子女ばかりのこのホーリーウェル魔導学院ではとても浮いて見えた。
「平民上がりの方には、ぴったりかもしれませんわね」
その一言を、シェリルは静かに受け止めた。微笑の形を崩さぬまま、桜色の瞳に一瞬だけ冷たい光が宿った。
ラルフェリアは表情を変えなかったが、その拳が僅かに握られていた。
自分よりも、幼馴染であり主となったシェリルを侮辱されることへの怒りを、必死に抑えているのがシェリルにも分かる。
――どうしてこんなに絡んでくるんだろう……?
辛辣な言葉を選んで言い返そうとした瞬間、言葉を返すより早く、ラルフェリアがそっとその袖をつまんだ。彼女より感情の切り替えが速く、その動きはまるで風が頬を撫でるように静かで、確かなものだった。
冷静さを取り戻してほしいという、無言のメッセージが込められている。
「シェリル様……」
小声で名前を呼ばれると、シェリルは目を伏せ、息を整えた。
深呼吸をして、心を落ち着かせる。ここで感情的になっては、ステファニーの思う壺だ。
ラルフェリアの掌から伝わる温もりが、怒りの炎をやんわりと鎮めていく。その優しい感触が、かつて村で共に過ごした日々を思い出させた。あの頃と変わらない、ララの優しさ。それがシェリルの心を支えている。
「……ごきげんよう、ステファニー様。わたくしも神の御声を賜る時間も長くなりまして……これも聖女たるものの定めです」
シェリルは微笑を作り、スコートの端を摘まんで、カーテシーの礼を取った。その所作には聖女と呼ばれるにふさわしい品格があった。
背筋を伸ばし、優雅に頭を下げる姿は、まるで絵画から抜け出したような美しさだった。
「わたくし共にはもはや、衣の華美を競う心のゆとりがございません。
神の御前に立つとき、貴族であるか否かなど……
そんな世俗事など、なんとちっぽけな違いかと、思い知らされます」
「……神の御前では、ですって?」
「ええ。ノイルフェール神の御前では、人は皆、等しく魂で量られるものです」
シェリルは努めて柔らかく微笑んだ。
その声音には、貴族社会の虚飾を『世俗』と断じる聖女の響きがあり、周囲の学生達が息を呑む。
やがてステファニーの頬が僅かに紅潮し始めた。




