19.ユーミルの森……⑤
夕暮れの森に響く戦闘音は、戦乙女達の心を急かせていた。樹木の向こう側から聞こえてくる咆哮は、明らかに巨大な魔物のものだ。そして、それに対峙する者達の声は、緊張と焦りに満ちていた。
魔術剣士のアナスタシアが両手に炎術剣と氷術盾を同時に展開した瞬間、赤と青の魔法陣が重なり合い、激しい魔力のうねりが周囲の空気を震わせた。
炎と氷の相反する魔力が彼女の周囲を包んだ。剣の炎は空気を焦がし、盾の氷は白く輝きながら蒸気を纏い、彼女の前に立ちふさがる全てを拒む防壁となる。
犬人族特有の鋭敏な嗅覚が戦場の匂いを捉えていた。血の匂い、そして何か異質な魔力の残滓を。
対するウィンディアは、支援職の祭司ながら、杖を亜空間収納に収め、代わりに腰に下げた魔剣『フリューゲル』をゆっくりと引き抜いた。
抜刀と同時に放たれる澄んだ金属音は、森のざわめきを一瞬静め、冷ややかな緊張感を生み出す。刀身を伝う緑の光は風精霊の加護の証であり、刃先は風を裂くように鋭く煌めいた。
聖騎士のイヴォリーネは聖銀の槍『アストラル・ランス』を構え、その長い緑銀の髪を風になびかせる。槍先が捉えるのはまだ見ぬ敵影であり、その眼差しは氷のように冷たい。この森の精霊達が動揺しているのを否応なく伝わり、森風精族の血が騒ぐのを感じていた。
何か、自然の摂理に反することが起こっているのだ。瑠璃色の瞳が鋭く光を放ち、槍の先端に聖なる光が宿る。
ミーティアは、先行する挺進士としてその場に留まることなく、木々の間を猫のようにしなやかに駆け抜けた。足音はほとんど無く、影のように森の奥へと溶けていく。彼女の役目は偵察。群れの牙を折るには、まず敵の数と配置を知る必要がある。
ミーティアは素早く木々の間を駆け抜けて偵察に向かった。猫人族の身軽さを活かし、まるで影のように音もなく移動する。その優雅な身のこなしで、高い樹上へと舞い上がっていく。
そして聖騎士長ミシェルは、静かに息を吐き、背に負った戦乙女軍団伝統の大剣『断罪裁刃]』《ジャッジメント・ブレード》を背から抜き放った。
その刃には古代文字が刻まれている。それは一見するとルーン文字のように見える、しかし実際にはこう記されていた。
“Evil who seeks only self, this sword cannot be drawn. To those who truly wish for peace and serenity, it grants its power.”
(自利のみを求む邪なる者 この剣を抜くに能わず 真に平和と安寧を願う者に力を与えん)
その刀身をなぞる光が、文字の一つ一つを浮かび上がらせる。邪悪を討つために鍛えられたその重量は、並の戦士に扱えるものではない。剣を握るミシェルの手に自然と威厳が宿り、見る者に畏怖と敬意を与える。
そんな大剣を細身の身体なミシェルは、しなやかに抜き放ち、両手で持ち下段に構えた。
刀身の刻印が淡く輝き、周囲の空気が重く張り詰める。長い金髪が夕日に輝き、緑玉の瞳に決意の光が宿っていた。
上級魔術師レイモンドもまた、村医者ではなく、黄金級冒険者としての本領を発揮した。
魔杖『シルヴァリウム』を握り締め、支援魔術の詠唱を開始する。その表情は真剣そのもので、長年の経験に裏打ちされた確かな技術を見せつけていた。
「揺るがぬ大地よ、我が足元に力を与えよ!
『大地の加護』!
疾れ、駆ける風よ、我が背を押せ!
『風の加速』!
深淵より湧き出る魔の奔流よ、我が内に宿れ!
『魔力増幅』!」
三つの支援魔術を同時に展開する技術は、上級魔術師でなければ不可能だ。レイモンドの実力は、決して戦乙女軍団に劣るものではなかった。彼の魔杖から放たれる魔力の波動が、仲間達の能力を底上げしていく。
戦闘音はますます激しくなっていた。悲鳴と怒号、そして巨大な魔物の咆哮が森に響く。木々が揺れ、鳥達が一斉に飛び立つ音が聞こえた。
「氷熊の上位種ッス! 体長は4mを超えてるッス! それと……」
ミーティアが木の枝から飛び降りて報告した。その表情が困惑に歪んでいる。猫人族特有の直感が、何か異常なものを感じ取っていたのだ。
「人間族が5人……でも、なんか変ッス。魔力の流れも普通じゃないにゃ……ニャンだこれ?」
「詳細は後でよい。まずは救援を優先する」
戦乙女達を指揮する『金剛鈦』の冒険者アイリーンが言い放つと、風の魔力を足に込めて森の奥へと駆け出した。
風刃障壁によって空気抵抗が無効化された彼女の速度は、常人の三倍を超える。白金の髪が風になびき、氷青色の瞳が戦場を見据えていた。
戦乙女軍団の面々も、後に続いた。ミシェルは大剣を構えながらも軽やかな足取りで木々の間を縫うように進み、聖騎士長としての経験がその動きに表れている。
アナスタシアは犬人族らしい俊敏な動きで確実に距離を縮める。次々に障害物を飛び越える様は、ボーダーコリーを思わせる機敏さであり、次々と回避していく。瑪瑙の瞳が戦場への道筋を見極めていた。
ウィンディアは半風精族の血を活かして空気の流れを読み、最も効率的なルートを選択していた。赤毛が風に舞い、鳶色の瞳が森の精霊達の声を聞いている。自然との調和を保ちながら、確実に前進を続ける。
イヴォリーネは森の精霊達との交感によって障害物を事前に察知し、スムーズに移動を続ける。緑銀のストレートヘアが月光に照らされ、瑠璃色の瞳が神聖な光を宿していた。
そしてレイモンドも黄金級冒険者として培った身体能力で遅れを取ることなく一行に追従していた。年齢を感じさせない動きで、戦乙女達に負けじと駆け続ける。
戦闘現場は、すぐそこまで近づいていた。巨大な氷熊の咆哮と、必死に応戦する若い冒険者達の声が、より鮮明に聞こえてくる。金属がぶつかり合う音、魔術の詠唱、そして痛みに満ちた叫び声。
しかし、その中に混じる声の主達が何者なのか、アイリーン達はまだ知らない。戦場に響く声には、確かに技術と経験を感じさせるものがあった。普通の冒険者にしては、あまりにも洗練されすぎている。
それは、この世界の運命を大きく左右する一行だったが、今の戦乙女達には、それを知る術はない。
だが、彼等は今、『新米冒険者』を装っていることの代償を、身をもって味わっていたのである。
真の実力を隠すことで生じた連携の乱れが、彼らを窮地に追い込んでいた。
――フン……大精霊の気配……遠のいたか……
「……まったく騒々しいことよの!」
森を駆けながら、アイリーンは苦々しく舌打ちした。『風精神族アイリス』……このユーミルの森を守護する者……として、この森に漂う異質な魔力に反応していた。
しかし、交錯する過去と真実の香りは、確かにこの森に残されている。運命の歯車が、今まさに回り始めようとしていた。




