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6.寒村の少女……④

 ウーラニアー村に住み着いたレイモンドには、一軒の家が用意された。

 大きなテラスのある家は、治癒の聖魔術が使えるレイモンドに、医者として居て欲しいという村の願いもある。


 その家の診療室の中で、彼は教え子(シェリル)と一緒にいた。彼女は自分の身体とほぼ同じ大きさの本を広げ、小さな声で読み上げており、レイモンドは静かにそれを聴いていた。


【かつて、世界を揺るがす未曾有(みぞう)の大災害があった。5千年前の事だ。

 今を生きる人間族(ヒューム)の中にその事を知る者など一人として存在していないが、その時の凄惨さは石板や壁画、そして伝承として5千年後の世界にも伝わっている。


 『悪魔の一ヶ月』と呼ばれる未曾有(みぞう)の大災害は、人類を始めとしたこの星に住まう(あまね)く動植物に甚大(じんだい)な影響を及ぼし、劇的な環境変化で、文明は(もと)より、多くの生命(いのち)、多くの(しゅ)(うしな)われた。


 今に至るまで5千年。

 気の遠くなりそうな時を経て、人類は(ようや)くかつての文明を取り戻しつつあるが、それでも多くの傷痕を残したままだ。


『悪魔の一ヶ月』で発生した大規模な津波・地震・噴火・岩盤の崩落・土石流や火砕流は大地を大きく変容させ、人間族(ヒューム)が今まで接したことのなかった神学的物質『アイテール』……俗称『魔素(マナ)』……の発生を見るに至り、人類は新たなる存在と邂逅(かいこう)することになった。


 脅威として。


 童話や神話、はたまた空想物語で扱われていた『亜人種』や『魔物』……決して交わることがなかった存在が突如として現実世界に姿を現したのだ。

 亜人種や魔物との力の差は歴然であり『万物の霊長』として世界に君臨してきた『人間族(ヒューム)』が、一転して狩られる獲物になってしまった。


 この結果、人間族(ヒューム)の生存圏は、今まで以上に脅かされるようになったのだが『アイテール』の存在は、同時に人間族(ヒューム)にも大きな変化を(もたら)せていた。


『アイテール(魔素(マナ))』を媒体として火を起こしたり水を湧き出させたりする技術として『魔術』が誕生し、その『魔術』を行使できる存在、すなわち『魔術師(マジシャン)』が歴史に登場するようになる……】


 朗読を終えて顔を上げると、レイモンドが拍手をして笑顔を向けた。


「よく読めたね。これ結構難しい本なんだけどな」

「……お義父(とう)さまと……お姉ちゃんの……お陰……」


 開いた本の向こうに顔を隠して、シェリルは応える。

 本を朗読させるとスラスラ読めるのに、会話になるとたどたどしくなる。とても控え目で内気(シャイ)な性格の子だなとレイモンドは思いながら、黒縁の眼鏡を指で押し上げた。


「この本の言っている意味、判るかい?」


 シェリルは本から顔を上げて頷いた。


「アイテールがないと……魔術は使えない……魔術を使うにはアイテールが必要……」

「そういう事!」


 レイモンドは軽くウィンクした。


「この辺にはあまりいないけど、この世界には恐ろしい『魔物』がいっぱいいるんだ。魔物もアイテールを吸収して生きている」

「ごはん……食べないの?」

「アイテールがご飯かな。だから魔物はアイテールがいっぱいある所に出てくるんだ」


 レイモンドの話を聞いてシェリルは桜色の瞳を虚空に向けた。彼女なりに魔物の姿を想像しているのだろう。


――可愛らしいな


 レイモンドは目を細めた。後10年も経てば、見る者が振り返る程の美しい女性になるのかもしれないと思いながら、レイモンドは頭を掻いた。


――残念だけど、年齢的に僕の守備範囲外だ


 そう思って、視線を窓の外に向けると、彼の守備範囲内にいる妙齢な女性達が、テラスや開放していた出入口に群がっていた。

 人間族(ヒューム)に森風精族(エルフ)、種族を問わずまるで獲物を狙う肉食獣のようにレイモンドの動きを凝視していた。


――(こわ)っ!!

「ええっと……皆さんどうなさいました……か?」


 黒縁の眼鏡の縁を再び押し戻して、レイモンドが訊ねると、彼女達はゾロゾロと彼の診療所として用意された家の中に入ってきた。


「レイ先生、授業は終わりましたか?」

「私、さっきから胸が苦しくて……先生に診療していただけないかと」

「実は私も。息苦しくて、お腹もグルグルするというか」

「私は指怪我しちゃいました、レイ先生に舐めていただけたらきっと……」


 居並(いなら)ぶ娘たちが、熱烈で(なま)めかしい笑顔を見せる。とても病人や怪我人とは思えず誰もが同じ目的であるのは明白だった。


 同年代の村の男達に比べ、肌の色が白くて長身。それでいて、凶暴な魔物を屠れるほど強い黄金の冒険者プレートを持ち、あの華やかな王都『バーニシア』からやって来たレイモンドは、彼女達から見ればもう貴族も同然だった。

 さらに彼の整った顔立ちと亜麻色(あまいろ)の髪は、光を浴びるとキラキラと輝き、黒縁の眼鏡は彼の知性の高さを伝えてくる。

 レイモンドは、優良物件(アイドル)そのものでしかない。その伴侶になれば、人生楽勝だろう。


「きょ、今日はこれから教会に行くんだ。膝や腰を痛めたご年配の方々の治療をね……だから治療を希望の人は、ジェームス先生かエミリーさんを通してお願いして順番を待って欲しい……かな……」


 直後、室内がそこはかとなく桃色に染まっていた空気が、一瞬にして灰色になるのをレイモンドは感じた。続いて「あ“……?」という野太い声まで耳に届いた。


「どうしてレイ先生が、あんなクソジジイやババアどもの手当てをしなきゃならないのさ!?」

「それにエミリーは堅物の石人形(ゴーレム)だから、融通利かないじゃない!」

「順番は順番です!ってきっと言うよ、あの()!」

「ジェームス司祭だっておっかないし、あーしが何か言うとすぐ怒るしさぁ!」


 女性だけが集まった時の口の悪さは、きっと村の若い男どもは知らないだろうとレイモンドは思った。

 男も女もそうだ。同性だけで集まった時、そこに異性の前では隠している本性が出てくる。

 加齢とともに羞恥心や自制心が低下し、場に関係なく不用意な発言が増えるものの、若い内はどうしても異性の視線が気になり、行動も発言も控えられるが、そのストッパーが外れると暴走する。

 今の彼女達がそうだった。


「そんな事より、私と楽しい事しようよ!」

「ちょっと! 私が先に言ったのよ!」

「ええっ、そんなこと言わないでよ! 私だって先生に診てもらいたいの!」

「嫌よ、私が先!」

「何よ! ブス!!」

「テメーの方がブスだろっ!」

「ほんと、厚かましい女ねっ! あんたって()はっ!」

「うっさい! バーカ!」


 娘たちの声が昂ぶり、とうとうあちらこちらで娘達の掴み合いの喧嘩が始まった。


「あ、あの……す、すみません……まだ、授業……」


 小さな声でシェリルが訴えかけるが、娘達の喧噪に埋もれてしまう。


「何よ、あんた!」

「ガキはすっ込んでろってーの!」

「皆さん、まずは落ち着いて!」


 レイモンドは慌てて手を挙げ、娘たちを制止しようとした。

 しかし、娘達は聞く耳を持たず、ますます興奮の度合いを強めていく。


「先生は私を診てくれなきゃダメなの!」

「だから私が先なんだから!」


 シェリルは小さくなるように身を(すく)め、周囲の喧騒から遠ざかろうとしていた。この光景を見て、レイモンドは心を痛めずにはいられなかった。


「ああもう! シェリル、行くぞ!」


 レイモンドは娘たちの間を掻き分け、シェリルを優しく抱き上げ、彼女達の視線を遮るようにして背を向けた。


「私はすぐに行かなくてはいけない。診療希望なら、ジェームス先生とエミリーさんにお願いしてね!」


 とうとうレイモンドはシェリルを抱えたまま診療所から出て行った。周りの娘達は不満そうに見送るが、レイモンドは構わずに教会へと足を向けた。


「先生……人気者……?」

「ん、ああ……まぁね……」


 シェリルの言葉に曖昧に応えるレイモンドだった。


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