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ノイルフェールの伝説~天空の聖女(セインテス)~  作者: 朝霧 巡
第3章 『勇者』と呼ばれた男

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2.暗礁公路……②

 甲板に出ると、先ほどまでの静寂が嘘のように風が唸り声を上げ、波が『ゼーアドラー号』を激しく揺さぶっていた。

 空は黒紫色に染まり、稲妻が海面を裂くように光を放つ。

 その光景は、まるで海そのものが何かに怒り狂っているかのようだった。


「これは……?」


 ナディアが眉をひそめ、マックスに視線を送る。


「どうやらこの海は、俺達を歓迎する気はなさそうだ」


 彼は剣の柄に手を置きながら、嵐の中心に目を凝らした。

 その奥に潜む何かが、彼らを試そうとしているかのように脈動しているのを感じた。


「うわぁっ!」

「魔物だっ!」


 船首から響き渡る叫び声に、二人が駆け上がると、マックスは既に剣を抜いていた。

 群青の海面から這い上がってくる巨大な臙脂色(えんじいろ)の触手が、帆船『セーアドラー号』の船縁の手摺りを次々に破壊しながら迫ってきて、船を破壊しようと巻き付いてくる。


「あれは?」

「『大十足墨魚(クラーケン)』よ。耐久力が高いの。屈強な海人族(マーマン)の戦士が10人掛かりでようやく倒せる相手」

「そんなバケモノがいるという事は……」

「大丈夫よ、マックス。大十足墨魚(クラーケン)は縄張り意識が強くて、群れを作らない。この大きさだから、この海に他の個体はもういないわ」


 ナディア・シルワ・プリーシママーリス……それが仙術師(カルティベイター)である彼女の名前であり、彼女の種族は『精人魚族(ローレライ)』だ。

 海に生まれ海と共に生きる『人魚族(マーメイド)』。彼等は300年ほどの寿命を持ち、生まれてから50~60年で幼体から成体に変態する。

 男性体は筋骨隆々な『海人族(マーマン)』に、女性体は美しくしなやかな姿態を持つ『海女族(メロウ)』に。

 しかし、女性体の『人魚族(マーメイド)』の中で、違う種族に変態する者がごく稀に存在する。


 身体は水中を進む『鰭』と、陸上を歩く『足』を自らの意思で自在に変化させることができ、魔術に長けた『海女族(メロウ)』よりも高い魔術適正と『海人族(マーマン)』に匹敵する戦闘能力を持つ存在が現れる。『彼女達』に共通しているのは、白い肌と頭髪が紫掛かった色味を帯びており『精人魚族(ローレライ)』と呼ばれている。

 ナディアもその希少な種族の一人だった。

 当然、海で遭遇する魔物の事は熟知している。


「攻撃法は?」

「全体が柔らかく刃物が通りにくいわ。『勇者』のキミとは、相性最悪ね」

「相性は悪くて結構だよ。俺はナディアとさえ良ければそれで良い」

「もう……バカ……」


 軽口を叩いて『勇者』マクシミリアン・メッサーシュミットが不敵な笑顔を浮かべると、ナディアは端正な顔を赤らめた。


「おーおー、お熱い事で燃え上がりそうだな! そんじゃあ、俺も焼くとするか!」


 ようやく追いついた遊撃士(レンジャー)コンラートが手を翳し、詠唱を始めようとする。


「このスカタンがぁ!」


 そんなコンラートの身体を鞭で拘束し、魔術行使を封殺した治癒師(ヒーラー)のヨゼフィーネが、大きなハリセンで後頭部を叩く。

 そんなハリセンを何処から持ち出したのかは判らない。


「こんな船の上で火炎系統の魔術なんて! 船火事になったら全滅じゃない!? バカなの? バカでしょ? いいや、そうに違いない!」

「そこで夫婦漫才してないで、攻撃に参加してくれ。刃物が通らねぇなら、大槌(ハンマー)でぶん殴れば、ちったぁ潰れんだろ?」


 結果的に戦闘に参加していないコンラートとヨゼフィーネを視線だけを向けながら、戦士のゲルハルトが溜息を吐き、背負った大槌(ハンマー)を持ち替え、両手で構えた。

 直後、大十足墨魚(クラーケン)は、どす黒い粘液を滴らせながら蠢き、10本ある触手の1本が、悲鳴を上げる水夫を掴み取ろうとする。


「させるかっ!」


 マックスは躊躇なく駆け出し、剣を振るって触手を切り裂いた。弾力のある身体で衝撃を受け流す筈の大十足墨魚(クラーケン)の触手は、マックスの繰り出す高速の刃の前に機能を発揮する事ができず、断ち切られた触手が海面に落ちる。

 だが次の瞬間、新たな触手が船体を締め上げ、木材がギシギシと軋む音が響く。


 故国ジールからフィルツブルグ聖皇国までの航路は、外洋を通るルートであり、確かに噂通り危険に満ちていた。しかし、これほどの大物が現れるとは……


「もう駄目だ!」

「お終いだ!」


 怯えた船乗り達が叫ぶ間にも、大十足墨魚(クラーケン)の触手は次々と甲板を這い回り、彼等を掴もうとする。

 その動きには明確な殺意が感じられた。人間を深淵へと引きずり込もうとする、冷たく残虐な意思。


「くそっ! コイツ、しぶといっ!!」


 一撃で触手を断ち切るマックスだが、それは際限のない戦いだった。

 切り落とした箇所から新たな触手が生え、その数は増える一方である。

 船底からミシミシと船体が軋む不気味な音が響く。

 クラーケンは船体そのものを粉砕しようとしているのだ。このままでは、全員が海に投げ出される。


「マックス、下がって!」


 彼女の声と共に、紫色の三角帽子から銀色の光が迸る。長杖を大きく振るうと、周囲の空気が震え始めた。


風霆(ヴィンドシュトルム)!」


 突如、猛烈な旋風が巨大な触手を襲う。

 風は刃のように鋭く、大十足墨魚(クラーケン)の触手を幾筋にも裂き始めた。

 しかし、マックスの攻撃同様、切り裂かれた触手は瞬く間に再生し、むしろ攻撃性を増したかのように船体に襲いかかってくる。


「やっぱり、再生するわ!」


 ナディアが叫んだ。

 マックスは剣を構え、ナディアに襲い掛かる触手を弾いていく。


「どうする!」


 その時、甲板の後方から力強い声が響いた。


「俺に任せろっ!」

「援護するっ!」


 ゲルハルトが気合の掛け声とともに、巨大な両手斧を振り上げ、全身の筋肉を震わせながら前に踏み出す。コンラートは既に遠距離から銀色の弓を構え、矢を放とうとしていた。

「マックスは一回下がって! 治療(ヒール)するわ!」


 ヨゼフィーネも白い聖杖を掲げ、治癒と強化の魔法の光を帯びていた。

 マックスはいったん剣を引いて、大きく後ろへ退いて距離を取りナディアとヨゼフィーネの横に並んだ。


「頼んだ!」


 マックスの声に、ヨゼフィーネが頷いた。


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