18.旅立ち……②
ユーリアの問い掛けに、シェリルは静かな、消え入りそうな声で頷いた。
「うん……」
「そっか、私も魔術は大好きなんだよ。それに王都に行けば、魔術の本が山のようにあるし、本はそれだけじゃないの。古に起こったお話だって沢山あるんだよ。例えばね……」
ユーリアは語って聞かせた。大昔にあった、とある司祭の話を……
それは、ここより海を渡った南の島『イオタ』に古くから伝わるお伽話だった。
平和だったイオタ島に、アニマの先兵が押し寄せ忽ち占領してしまい、その島の王を見せしめに処刑してしまった。
しかし、王の機転で、辛うじて危機を脱した王女は、この地を流浪していた亡国の王子と出逢い、二人は恋に堕ちてしまう。お互いの気持ちを確かめ合った二人は共に生きる事を誓い合うが、そこにアニマの兵が殺到してきた。
固い絆で結ばれた王子と王女は、永遠の愛を『ノイルフェール神』に誓い、襲い来る兵士達をいとも簡単に退けた。
ところが二人を狙った兵士の矢が放たれた瞬間、宣誓を見届けた司祭が自ら二人を庇い、命を落としてしまうという話だ。
「それで……王子様と王女様はどうなったの? 司祭様は?」
「続きは貴女自身で確かめなさい。図書館に置いてあるから」
「……けち……」
「フフッ、私のお薦めの本だからね!」
ユーリアがにこやかに笑うと、シェリルは桜色の瞳をまっすぐ彼女に向けた。
「どうかしたの? 私の顔に何か書いてある?」
「お姉さん……村の風精族さん達と雰囲気……違う……わたし相手でも……」
シェリルは小さく首を左右に振って、ユーリアに応えた。
「そうなんだ?」
「うん……風精族さん達は、わたしを魔物かなんかだと……思って見ている……から」
――そっか……彼等はこの子の魔力に怯えるのね……
ユーリアは風精族の中でも際立って高い魔力量を持っている。それは彼女の師匠であるアイリスが風精神族であったことが大きな要因だ。風精族の始祖とも言われる風精神族から修行を受けた風精族は、神性が高まるのか魔力量が大幅に増大する。
しかし、そのような修行をしたことのない、普通の風精族にとって、シェリルはその魔力量の多さを本能的に脅威と受け止めてしまう。
魔力に敏感な風精族ですら怯える存在となるシェリルを、魔力をほとんど持たない人間族が怪物扱いしてしまうのは、彼らの生存本能の為せることなのだろう。
――行き場がないのね……この子も……
自分自身を顧みてユーリアは、自分自身の胸にチクリと痛みが走るのを感じた。
「でも……」
彼女自身、そして彼女の仲間達は決して恵まれた環境で育ってきた訳ではない。
奴隷だった者、生贄に祭り上げられていた者、借金の形として花街に売り飛ばされそうになった者、口減らしで実の親から命を奪われそうになった者……枚挙に暇がなく、いずれも年端も行かない女性であり、主であるシルヴェスターに保護され育てられてきた。
だからこそ、伝えたかった。
「村の全ての人がそうだった訳じゃないでしょう? 貴女を大切に思っていた人も確かにいた。その事は覚えておいてね」
「……うん……」
「よろしい!」
ユーリアは銀色の髪を揺らして微笑むが、直後馬車が揺れ、急停車した。
「何事ですか?」
ユーリアが車窓から顔を出すと、御者が慌てた様子で報告した。
「申し訳ございません。大きな落石で道が塞がってしまっており、このままでは通れません」
ユーリアは眉を顰めた。シェリルに車内で待つように伝え、馬車を降りた。落石は予想以上に大きく、簡単には動かせそうにない。ユーリアは周囲を見回し、状況を確認した。
「この近くに村はありますか?」
「はい、少し先に小さな集落があります」
「分かりました。我が行って人手を集めて来ます」
ユーリアが戻ろうとすると、シェリルが馬車から顔を覗かせた。
「わたしも行きます」
ユーリアは少し迷ったが、シェリルの決意を見て取り頷いた。
二人で歩き始めて間もなく、遠くに煙が見えた。近づくと、小さな家が炎に包まれているのが分かった。
「火事だわ」
ユーリアが言った。
燃える家屋の周りには村人達が集まり、慌てふためいていた。とても落石処理どころではない。
「シェリル、貴女はここで待っていなさい」
しかし、シェリルは既に走り出していた。
彼女は燃える家に向かって両手を広げ、目を閉じると詠唱を始めた。
「天空の水よ、地上に降り注げ!
雲を呼び、風を誘い、
大地を潤す瀑布となれ!
天空の滝!」
突如、空気が冷たくなり、雲が集まり始めた。シェリルの周りに青い光が渦巻き、次の瞬間、豪雨とも呼ぶべき激しい雨が降り出した。
村人達は驚きの声を上げた。水の勢いに火はみるみる小さくなり、やがて完全に消えた。
驚いたユーリアが駆け寄ると、シェリルはその場にへたり込み小さな声で呟いた。
「わたし、また……魔術を……」
ユーリアはシェリルを優しく抱きしめた。
「よくやったわ、シェリル。貴女は人々を救ったの」
村人達が二人の周りに集まってきた。最初は恐れの表情だったが、やがて感謝の言葉を口々に述べ始めた。
「ありがとう、お嬢さん」
「女神様のようだ」
「本当に助かったよ」
シェリルは戸惑いながらも、少しずつ笑顔を見せ始めた。
「見たでしょう? 村人達の顔を……貴女の力は人々を助けることができるのよ」
ユーリアは優しく語りかけた。
「これからもっと学んで、その力を正しく使えるようになれば、きっと貴女は、より多くの人を幸せにできる」
シェリルは黙って頷いた。その瞳には、今までにない光が宿っていた。
◆◆◆◆
村人達とともに落石を取り除くと、二人は再び馬車に乗り込んだ。
長い馬車の旅で退屈しないようにと予め用意した本を食い入るように読もうとしているシェリルを見て、ユーリアは第二等級の風属性魔術でシェリルを包み込み、少しだけ宙に浮かせた。
――これで酔わないわね
ユーリアは思う。これから始まる王都での日々は彼女にとっては非常に刺激的で慌ただしいものになるだろう。魔術の知識や技能の他に彼女は覚えなければならないことが山ほど存在する。おそらく今日の出来事ですら記憶の片隅に追いやられる程に……
しかしそれでも良いとユーリアは思う。
この娘は『天空の聖女』としての運命を背負っていかねばならないのだから。
ユーリアとシェリルを載せた馬車は、遥か北方の王都『バーニシア』を目指して進んで行く。窓の外には広大な平原が広がり、時折小さな村や森が見えては消えていく。シェリルの目には、新しい世界への期待と不安が交錯していた。
ユーリアは黙ってシェリルを見守っていた。
この旅は、シェリルにとって単なる移動ではない。それは彼女の人生を大きく変える転機となるだろう。
魔術の才能を開花させ、新たな仲間と出会い、そして自分の役割を見出していく。その過程で、きっと彼女は強くなっていく筈だ。
馬車は静かに、しかし確実に目的地へと近づいていった。シェリルの新しい人生の幕開けは、まさにこの瞬間から始まっていた。
――――――――――――第一章 了―――☆彡
第一章終わりました。
群像劇で沢山登場人物が出てきたので、とっつき辛かったのではないかとは思います。
それでも、ここまでご覧いただき、ありがとうございます!
第二章は『ホーリーウェル魔導学院』に舞台を移して参ります。
シェリルの学院生活をお楽しみいただけたらいいなと思います。
もし少しでも気に入っていただけましたら、お星さま、ハートさま、などつけていただけると、とても嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。 m(_ _)m




