11.聖騎士と大精霊……①
極めて質素な室内と必要最低限の調度品。
そして多くの薬草と薬品類に、丁寧に整えられた診療室。これが治癒師レイモンドの家だ。
ユーリアは興味深そうに室内に翠石色の瞳を向けて微笑んだ。
「相変わらず、整理整頓が行き届いているのですね?」
「こればかりは性分だからね……まぁ、貴殿の上司を見て、反面教師になっただけ……かもしれないが」
レイモンドが応えると、ユーリアはクスッと笑い、すぐに表情を引き締めた。
「いけないいけない! 聖騎士長にバレたら叱られてしまいますわね!」
「そうだね。ミシェルは、外見だけ見れば、貴殿に勝るとも劣らない美しい人だけど、何をどうすればあんな生活無能力者になるのか不思議で仕方がない」
ユーリアの前にお茶を入れたティーカップを置きながら、レイモンドは努めて明るく振舞っている。その事はユーリアも判ってはいたが、きっと話し出す切っ掛けづくりをしているのだろうと彼の心情を慮った。
「確かレイモンド様は、聖騎士長と……?」
「うん……ミシェルとは同期入門だよ。かなり差が付いちゃったけどね」
現在の聖騎士長である『ミシェル・カレイジャス』は、アルフォード大聖堂初の女性聖騎士長で、王都バーニシアでは有名な存在だ。
レイモンドとミシェルは同じ時期に同じ師の下で魔術を学んでおり、彼は懐かしそうに目を細めた。
「ですが聖騎士は堅苦しいですよ。レイモンド様は、自由に行動できる……我はむしろ羨ましさを感じます」
「そうか?」
「ええ!」
ユーリアが微笑む。その表情は柔らかく美しい。差し込む日差しが彼女の長い銀髪を煌めかせ、レイモンドは思わず目を逸らした。
「して……我に話しておきたいこと……と言うお話でしたか?」
ユーリアが問い掛けると、レイモンドの表情は厳しいものになり、重苦しい口調で静かに応えた。
「うむ……些か厄介な事になっている」
「今回の我の特使派遣と関係があるように見受けられますが?」
「その事について、話しておきたい」
レイモンドは静かに口を開いた。
「この村の『魔女騒動』について聞き及んでいるのであろう?」
「然り。そのご様子だと、レイモンド様が関与していらっしゃるように見受けられますが?」
「ああ、その通りだ。その『魔女』の名はシェリルと言う、まだ12歳の子供だ」
彼女も、友人の様子に戸惑いながらも最初は笑顔で彼の話に耳を傾けていたが、噂の元となったシェリルの話を耳にいた途端、その表情を一変させた。
事情はレイモンドから全て聞いた。それは心情的には理解できるものの、それが正しい判断だとは到底思えなった。
「……一存でそのような事を……」
レイモンドが話す内容は、重大な命令違反ではないか? それを今になって口にするとはいったいどう言うつもりなのか? ユーリアはレイモンドの真意を測りかねた。
だからこそ友人とは言え詰問調になってしまう。
「何故こうなる前に我等に相談なさらなかったのですか!?」
ユーリアはレイモンドを大切な仲間だと思っている。だからこそ力になりたい……そう思っていた。思っていたからこそ、友人とはいえ詰問調になってしまう。
レイモンドは一瞬たじろいだが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「私にも確たる理由があったのだ。あの子の力は並外れている。大聖堂の管理下に置けば、彼女の真の潜在能力を引き出せないかもしれない。そう判断したのだ」
「何という事を……そのような子を大聖堂で保護するために主様は、このお役目を任じられたというのに……」
ユーリアは深く溜息を吐き、窓辺に歩み寄った。長い銀色の髪が陽の光を受けて煌めくが、その表情は深い憂いが浮かんでいた。
窓の外では、大声で叫び走り回っている他の子供達からかなり距離を置いて、一人黙々と馬桶の水を運んでいるシェリルの姿があった。
「村のどの子よりも、真面目で、文句一つ言わずよく働くのだ。あの子は……」
「そのようですね……私とて身寄りなき身であった故、今、あの子が置かれた状況は理解できるつもりです」
ユーリアは小さく呟いて彼女の姿を見送ると、何度も頭を振って、レイモンドに向き直った。
「このユーリアとて、レイモンド様の気持ちはよく分かります。だからと言って、これは個人で判断できる問題でもないのです。大聖堂が何故辺境の魔術師適性のある子供を保護するのか……その理由を考えたことはありますか!?」
「では、どうすれば良かったと言うのだ!?」
レイモンドが珍しく声を荒げ立ち上がった瞬間、突如として部屋に風が吹き荒れ、眩い光に包まれた。
「うわっ!」
「何事っ……!?」
レイモンドが驚愕し、ユーリアが素早く細剣を抜き放ち構える。
やがて光が収まると、そこには美しい女性の姿があった。
身体に風を纏っているようで、長い蒼緑の髪を風に靡かせ、蝶のような形状の半透明の羽を背中に持つその存在に、ユーリアとレイモンドは息を呑んだ。
しかし、その姿は実体と呼ぶには余りにも儚く、消え入りそうな佇まいをしている。
「貴女は……? いえ、貴女様は……!?」
風精族であるユーリアは、その女性が何者であるのか瞬時に理解した。細剣を鞘に収め、その場に畏まって控えた。
「誰なんだ?」
「お控え下さい、レイモンド様。この御方は『風の大精霊』様であらせられます」
「『風の大精霊』様……だと?」
レイモンドは目を剥いた。
『風の大精霊』……『水の大精霊』、『火の大精霊』、『土の大精霊』と共にこの世界に存在し、世界の調和を保つ者の一柱であり、まさしく神代の大精霊である。
精霊を祖とする風精神族アイリスの眷属であるユーリアにとっては、『風の大精霊』の出現は神の降臨に等しいものであった。




