10.聖騎士ユーリア
いよいよ『その日』がやって来た。
上空を舞う一頭の竜の咆哮が、彼等の日常を急激に打ち破っていく。
大きな翼を持つ白き竜。そしてその上に乗る白銀の騎士は、それだけで通常の騎士とは異なる雰囲気を漂わせ、何の変哲もない寒村の上空を旋回している。
異変に気付き広場に集まった村人達は驚愕の表情で空を見上げ、中には恐怖のあまり地面に膝をつく者もいた。子供達は両親の背中に隠れ、老人達は長年の経験から来る不安を抑えきれずにいた。
「『三日月』、降下せよ!」
凛と澄み渡る声が村全体に響き渡る。その声には威厳と力強さが宿っており、聞く者の心を震わせた。直後に強い風が吹き起こり、竜はゆっくりと高度を下げてくる。
「……飛竜……それも『三日月』か……」
レイモンドは、やって来たこの騎士が何者かを即座に理解した。白い飛竜を操る騎士など、彼の記憶には一人しかいない。その記憶が蘇る中、彼の心には複雑な感情が渦巻いていた。
ウーラニアー村上空を飛竜で旋回し、村の広場に降り立った聖騎士に、村長は恐る恐る近づいて『拱手礼』を取った。その姿は畏敬の念に満ちており、同時に不安も垣間見えた。
「ウーラニアー村の村長を務めるモナハンと申します」
村長の声は少し震えていたが、それでも礼節を保とうと努めていた。
「我が名はユーリア。エルスワース辺境伯領を管掌する、アルフォード大聖堂、聖騎士序列第3位、ユーリア・ミュウ・ヴェシヒイシである。此度は、ウーラニアーに魔女ありとの報を受け調査に参った」
腰下まで伸びる長い銀髪と青銀の鎧、それに大きな青い弓と細剣を装備した美しい風精族の女性だ。その姿は威厳に満ち、同時に神秘的な美しさを放っていた。
しかし、その端正で上質な顔立ちに、遠巻きに身構えていた男達の目は釘付けになって行く。
中には息を呑む者もいれば、思わず目を逸らす者もいた。その雰囲気を察したのか、ユーリアは口調や声の出し方を柔らかいものに変えて、彼等に向き直った。
「……って、口上を述べたけど、これは規則なのでご容赦くださいね、皆さん!」
長い髪を煌めかせユーリアはニコッと微笑む。その反則的なまでに美しい笑顔は眩しく、一気に周囲を惹き込んでいく。
美貌揃いの風精族の中でも、ユーリアはさらに美しい部類に入るのかもしれない。
聖騎士ユーリアは、接点こそなかったが、この村に住まう風精族と同じ森風精族だ。その事実が、村人達の緊張を少しずつ和らげていった。
先程の威厳に満ちた態度から一変して愛らしい少女の笑みを浮かべたユーリアに、魅了された村人達が騒然とする中、村長モナハンは咳払いをして注目を集めた。
「聖騎士様、長旅お疲れさまでございます。まずは休憩をお取りください」
「ありがとうございます、村長さん」
ユーリアは優雅に頭を下げた。その仕草には気品が漂っていた。
「でも、その前に皆さんからのお話を聞かなければなりませんね。どなたか、詳しくお聞かせいただけますか?」
村人達の間で小さなざわめきが起こった。誰もが話したいと思いながらも、誰も前に出ようとしない。そこで、モナハンが代表して応えた。
「アルフォード大聖堂からこちらに移住した者がおります。レイモンドという者で、今はこの村の医者をしています」
「レイモンド? レイモンド・ドレッドノート卿ですか?」
ユーリアの目が輝いた。同じアルフォード大聖堂から派遣された者同士であり、もちろんユーリアはレイモンドと親交があった。
「すぐに呼んでいただけますか?」
「ここにいますよ、ユーリア殿……」
彼女の囲む輪の最奥でレイモンドは指で黒縁の眼鏡を直しながら、小さく手を挙げた。
「お久しぶりですね、レイモンド様!」
「特使とは貴殿だったのだね……ユーリア殿」
屈託のない笑顔で手を振ったユーリアだったが、久し振りに顔を合わせた友人の表情が冴えない事に違和感を覚えた。
「どうかなさいましたか?」
「実は……折り入って貴殿に話があるのだが……二人で話せる時間を作っていただけないだろうか?」
レイモンドの申出にキョトンとした表情を浮かべたユーリアだったが、言葉の意味を理解したらしく、急激に白い頬を朱色に染めて両手で頬を抑えた。その反応は、まるで少女のようだった。
「いやだ、レイモンド様……久しぶりの再会だというのに……そんなに大胆にグイグイ来られると……」
嬉しいのか恥ずかしいのか、しきりに身体を揺らし、潤んだ眼差しで光る銀髪を指で弄っているユーリアは、どう見ても聖騎士には見えず恋乙女そのものだ。
それが演技なのか素の反応なのか……?
残念ながら人生の半分以上をアルフォード大聖堂で過ごし、女性経験が殆どなかったレイモンドには理解できない。彼の頭の中は混乱に満ちていた。
しかし、ユーリアに対してレイモンド以上に反応した者達は確かに存在した。
ザワッ! という音にならない音が村の妙齢な女性達の間を駆け抜け、鋭い視線がユーリアに、そしてレイモンドに向けられ、辺りの空気が一気に張り詰めていく。
人間族でありながら、風精族のように美しい顔立ちをしており、かつ知性的で剣も自在に操れるレイモンドを狙っている若い女性は多くいる。
「あの二人、もしかして……」
「何なのよ、あの女!」
「いやぁ! 私のレイモンド様が……」
「何言ってんの? レイ様は私のものよ」
「はぁ!?」
「バカなの? 出直してきなさいよ」
動揺する女性達の囁きと言い争う声が聞こえてきて、ようやく自分がとんでもない発言をしている事に気が付いた。朴念仁ここに極まれり。彼の顔は徐々に赤くなっていった。
「えっ? あっ? い、いや、違う、違うんだユーリヤ殿、それは誤解……」
レイモンドが慌てて手を振ると、ユーリアの顔が一気に曇った。その表情には、本物の失望が浮かんでいるようにも見えた。
「まぁ! では、我との事は遊びだと?」
「だぁ! 紛らわしい事を言うな!?」
レイモンドが周囲を見回すと、村娘達がヒソヒソと話し、レイモンドを見つめている。その視線には非難の色が濃く滲んでいた。これでは完全に悪者だ。
彼は身に覚えのない『冤罪』を受けようとしていた。
額には冷や汗が浮かび、どうしようもない焦りに襲われる。
そんなレイモンドの姿を見て、ユーリアの表情が一変した。
「なんてね、冗談ですよ! ちょっとお茶目な悪戯です! ほんと、レイモンド様って純真ですね!」
ユーリアの顔には「してやったり」と、笑みが浮かんでいる。
レイモンドは疲れた様子で溜息を吐いた。頭の中は、まだ混乱に満ちている。
「ほっといてくれ……参るぞ」
「はい、レイモンド様、では参りましょう。案内してください」
ユーリアはペロッと舌を出して、憮然と歩くレイモンドの後に続いた。その姿は、まるで昔から親しい友人同士のようだった。
二人の後ろ姿を見送る村人達の間で、また新たなざわめきが起こり始めた。
「でもまぁ、聖騎士が来ると皆恐れ戦いていたからな……そういう意味では助かった」
「はい、お役に立てて良かったです」
にこやかに微笑むユーリアにレイモンドの顔は朱に染まる。
この騒動が収まるまでには、まだしばらく時間がかかりそうだった。




