13.激闘の果てに……④
「ゲーム・アンド・セット、ハンコック。6-1」
審判の声が会場に響き渡る。
第一セットは、圧倒的な点差でステファニーが取った。インターバルのため結界が解かれ、青い光が消えると、観客席からは歓声と溜息が入り混じった拍手が起こる。その音が、シェリルの胸に重く圧し掛かった。
ステファニーは優雅にコートを降り、用意された豪華な椅子へと向かった。
クリムゾンレッドのラインが輝く白いテニスウェアは、汗一つ吸っていないかのように見える。まるで軽い練習試合をこなしたかのような涼しい表情だった。その姿は、まさに勝利者の風格を纏っていた。
シェリルも、震える足で椅子へと向かった。
精霊衣『ルーミア』が身を守ってくれているおかげで、ウェアは汚れ一つなく清潔に保たれている。だが、息は荒く、心臓が激しく打っていた。ラケットを握る掌には、まだ打球の衝撃が残っている。疲労は確実に蓄積されていた。
心配そうにタオルを持って駆け寄るラルフェリアに「あの人……強い……」と応えると、シェリルは椅子に深く腰掛け、タオルを頭から被った。その姿は、誰の目にも疲弊しきっているように見えた。
◆◆◆◆
フェアリー・テニスのコートを見下ろす特別観覧席は『貴賓室』と呼ばれ、通常であれば王族や学院長クランプ……そして数名の教師達だけが使用する、静謐な空間だった。
だが、今日は違った。
クランプが備え付けられた豪華なソファーに腰を下ろすと、不意に辺りの空気が歪んだ。空間に走る微細な震え。次の瞬間、青白い魔法陣が床に展開し、音もなく人影が現れる。
「何奴っ!?」
思わず魔術杖を構える。
日頃から結界で守られているこのホーリーウェル魔導学院……それも学院の長であるクランプの前にいきなり転移魔術を放つ者など存在しない。仮に実施したとしても、現出する前にクランプに捕捉され撃破されてしまうことだろう。
そんなクランプの警戒を易々と突破してきたのは、一人の男子生徒だった。
ホーリーウェル魔導学院の制服。それも、シェリル達と同じ第五学年の濃紺と金の帯が入ったSクラスの男子用制服。年の頃は十代後半。すらりとした体躯、整った顔立ち。どこにでもいそうな優等生の姿だ。
しかし、その瞳は、この学院に多い碧眼ではない。
南国の海を思わせる金春色で、光を受けて淡くきらめく髪は、蒼空に銀を溶かしたような青銀色だった。青銀色の髪の持ち主など、クランプが知っている限り一人しか存在しない。
「……主様……?」
理解が追いつくより早く、クランプの身体が反応していた。男子生徒は、僅かな笑みを浮かべる。
「やはり、卿には、隠しきれぬか? クランプ・アーレ・ハイパーソン」
その声音は、静かで穏やかなものだったが、室内の空気は、完全にこの男子生徒に支配されていた。
魔力の流れが、彼を中心に整う。まるで世界そのものが、この存在を基準に再構築されていくかのような静謐さに溢れ、クランプは喉を鳴らし背筋を正した。
――この御方こそが、アルフォード大聖堂の真の主
唯一の『賢者』にして、本物のエルスワース辺境伯
シルヴェスター・アール・シェフィールド様……
『賢者シルヴィ』がアルフォード大聖堂を出ることなど、王宮に出向く時以外殆どない。それにアルフォード大聖堂の表向きの最高指導者は枢機卿のセーラムだ。
それ故に『賢者』の存在は、街では、ほとんど知られていないのも確かだ。しかし、王宮も大聖堂も上層部は誰しもが知っている。
――『悠久の時を生きる賢者』
恭しく跪いて控えながら、クランプは口を開いた。
「先触れいただければ、正式にお迎えを寄こしましたものを……」
「よい。今日はあくまで観衆の一人として参っただけだ。それに堅苦しいのは余も得意とする所ではない故な」
クランプは言葉を失ったまま、シルヴィを見つめていた。
彼の前に現れた賢者は、いつもの威厳あるローブではなく現役学生の制服姿だったのだ。
この様子を第三者が目にしたら、学院長と生徒にしか見えないだろう。重厚な儀礼服ではなく、若者が纏う制服。その姿は、『賢者』とは到底思えないほど自然だった。
「……お戯れを」
ようやく絞り出したその一言に、シルヴィは肩を揺らして笑った。
「それに余も一度、着てみたかったのだ……ホーリーウェル魔導学院の制服とやらを」
あまりに無邪気な声音に、クランプは一瞬だけ言葉を探した。長い年月を知る賢者が、学生の制服に憧れを抱いていたとは。その意外性に、クランプは思わず微笑みかけた。
「……よく、お似合いです……主様」
それは本心だった。
だが、シルヴィはわずかに金春色の目を細める。
「それは、余が孺子に見えるということか?」
金春色の冷ややかな眼差しが向けられる。それは明らかに意地の悪い問いだった。
クランプの背筋が反射的に伸びる。下手に答えてしまうと不興を買ってしまう。賢者シルヴィは暴虐な存在ではないが、優しさと苛烈さを併せ持つ人物だとクランプは記憶している。
だからこそクランプは理解した。これは試されているのだと……彼は静かに微笑んだ。
「いいえ。逆です……『聖下』」
「ほう?」
シルヴィにいつも用いる『主様』ではなく『聖下』という敬称を用いた。これは単なる言い換えではない。『主様』が主従関係を示すのに対し『聖下』は神聖なる存在への畏敬を表す言葉だ。
クランプはこの一語に、シルヴィの本質……悠久の時を超えて生きる唯一の賢者という揺るぎない存在への敬意を込めたのだった。
クランプは胸に手を当てながら恭しく控えたまま口を開いた。
「どのような御姿であれ、貴方様の本質は変わりません。制服を纏ってなお、そこに在るのは……人の上に立つ者の気配です」
「持ち上げ過ぎだ、クランプ」
シルヴィの表情が、わずかに和らいだ。
クランプは続ける。
「子供に見えるのではなく『かつての時間さえも従えてしまう方』に身共は、そう愚考いたします」
一拍の沈黙が流れ、シルヴィは、ふっと視線を逸らし、微かに口元を緩めた。
「……やはり、卿は口が巧い」
「事実を申し上げただけです」
「であるか……」
シルヴィは軽く頷き、満足気に歩き出した。その背に、濃紺の制服は、奇妙なほど自然に馴染んでいた。
やがて彼は窓の外……コートの方角へと視線を向けて表情を引き締めた。
「余の戯言はともかく……周りの精霊達が、朝からやけに騒がしくてな……妙に気になったので参ったのだ」
クランプは一瞬、安堵しかけて、すぐに別の違和感に気付いた。
視線が、無意識のうちにシルヴィの頭部へと向かう。
「……しかし、その御髪では……」
言い淀みながらも、はっきりと口にする。
蒼空に銀を溶かしたような青銀色の髪、そして金春色の瞳。それはアルフォード大聖堂の障壁画に描かれている二枚の障壁画……ノイルフェール神……の一柱『天空神テリー』と同じであり、そのような髪と瞳の色をした者などこの世界に誰一人存在していない。
――それが意味する所は……
制服姿であろうと、この二つだけは、あまりにも人目を引き過ぎる。その時クランプの脳裏に、ふと父フェイの言葉が蘇った。




