AVANT この碧き世界の中で
『知っているよ
一つの光が全てを逆転させてしまうだけの力を持っていることを
大きな想いが全ての理をひっくり返してしまうことを
冬の陽射しは暖かいね
まるであなたの温もりのように
わたしを包み込んでくれる
わたしたちが目指す向こうにある世界はどんなものだろう?
希望? それとも絶望?
でもね、例え先が暗闇だとしても忘れないで欲しいの
わたしがいつだって傍にいるってことを……
強くなれることだけが凄いことじゃない
そう……わたしは知っているよ
本当のあなたはわたしと同じように弱くて泣き虫だってこと
だからわたしは信じているの
あなたは、この世の理に辿り着くわ
だからこそ、この世界でわたしは精一杯生きてみたいと思うの。
そう……あなたが愛するこの世界を護りながら、あなたと一緒に……』
大の字になって草原に横たわり、彼女は一人思いを巡らしていく。
語りかける相手は、目には見えない。ただ風だけが、優しく彼女の髪を撫でていく。
空はいつの時代も碧く、この世界をすっぽりと包んでいる。彼女の瞳には見渡す限りの碧い天空が広がり、青く澄み渡る空には、白い鳥が群れを成して渡っていく。
「これもまた、碧き世界の欠片……気紛れな天使が残した絵具の一つ……」
しばらく青空を見上げていた彼女は、ゆっくりと起き上がり、両足を大地に着けて立ち上がった。吹き抜ける微風が彼女の青磁色の髪を揺らし、桜色のローブの裾を靡かせる。
「そろそろかな?」
白いマントを揺らせて歩き出す。その時、一陣の風がひときわ強く吹き寄せ、再び彼女が身に着けるローブの裾を揺らしていく……「大丈夫?」と訊ねるように。
「意外に心配性なのね? 大丈夫だよ、ユーフェミア」
風に向かって彼女は呟いた。
応えはない。ただ風だけが、彼女の言葉を受け止めるように、静かに凪いでいく。
彼女はクスリと笑った。
「うん……任せて」
彼女は再び歩き始めた。
空を閉じ込めたような明るい青銀の長い髪は陽の光を浴びて煌めき、均整が取れた身体つきに女性特有の曲線美が加わったその姿は、戦女神と形容してもなんら違和感のない佇まいを見せる。
その動きに合わせるように、オリハルコン製のサークレットの両側面に施された風羽の細工が青白い輝きを見せ、羽の付け根で存在感を示す碧の宝玉が、キラリと青緑色の輝きを放った。
穏やかに吹き抜ける風に、髪を軽く抑えながら彼女は再び立ち止まり、眼下に広がる穏やかな景色に目を細めた。
その視線の先——草原の向こうに、一人の男が立っていた。
彼女と同じ青磁色の銀髪を風に靡かせ、空のような蒼い外套を纏ったその人物は、彼女に背を向けたまま、旅の支度を整えている。傍らには大きな荷が置かれ、出立の時が近いことを示していた。
彼女の瞳が、柔らかく細められる。
――いつもわたしの傍にいてくれるあなたにこの碧をあげる
強がってばかりいたわたしを抱きしめてくれた君に……
言葉にならない思いを彼女は静かに書き綴った。
その想いは、目の前の人物……シルヴィ……へと向けられている。
長い道程を共に戦い、共に笑い、共に涙し……共に歩んできた相手だ。
彼女は『シェリル・ユーリアラス』……世界を渡ろうとする一人の女性だ。
しかし彼女には異名がある。
『天空の聖女』……この世界に慈愛と祝福を齎す聖なる者……人はシェリルに畏敬の念を込めてそう呼んだ。
風は静かに大地を撫で、永い時の流れの中で、彼女はまだ知らない。
自分が辿る運命の道を。
失われた記憶が蘇る日が来ることを。
そして、この碧き世界に隠された、遥か昔の約束があることを……
「さぁ、翼……広げようよ!」
シェリルはにこやかに笑い、歩き出した。その背中に大きな翼を広げ、シルヴィの元へ。新たな旅路の始まりへ。
二人の影が、朝日に照らされて長く伸びていく。
風だけが知っている。
この広い世界でたった二人しかいない理由を。白き翼を持つことの定めを。
いつか取り戻すべき真実を。そして、待ち受ける試練の意味を。
物語は、ここから始まる。




