残業プリン
金曜日、22時過ぎの大岡設計にいるのは私ひとりだけ。
顧客からの資料を誤読したがために計算のやり直し中なわけで。
「帰りたいよー」
電話で社長に相談したら、ガンバレ、だって。
資料の山にどざっと倒れ込んでみる。
「誰か助けてぇぇぇ!」
白馬に乗った王子様が抱き起してくれるわけないのはわかってる。
わかってるけどさ。
「私が悪いのはわかってるけど、ちっさい文字で特記事項かくなんて、確信犯!」
――でしょぉぉぉぉ!!
小さな設計事務所に、私こと如月遥27歳独身の叫びが響き渡る。
カツン。
どっかで靴の音がした。
事務所には私ひとりなはずだし、金曜の夜のこの時間に帰ってくる人なんていない。
白馬に乗った王子様が迎えに来たとか?
ナイナイ。
昼間、「最近、給湯室からすすり泣く声が聞こえるとかのよね」とか社長がこぼしてたけど。
知らないふりしてる間にどっかいってほしーなー。
気のせい気のせい私には見えませーん聞こえませーんと、突っ伏したままやり過ごす作戦。
給湯室を見るとか、怖くってできない!
ガチャ。
「うぎゃぁぁぁ!」
突然ドアが開く音がして、私の心臓が気絶しそうになった。
起きた、起きました!
王子様じゃなくっていいから、お化けはやめて!
「あれ、先輩、残業ですか?」
暗がりの入り口からぬっと姿を現したのは、柊君だ。
「び、びっくりしたぁ……」
椅子の背もたれにぐでんと寄りかかる。
お化けじゃなくって、よかった。
「如月先輩がこんな時間まで残業するなんて珍しいですね」
「柊君こそ、社長と飲みに行ったんじゃないの?」
「飲み終わって会社に資料を置きに来たんですよ」
柊君はカツカツと歩いてくる。
柊君は後輩で、スラリとやせ体型で、キラリと輝きそうな眼鏡で、クールで仕事がデキル系男子だ。
社長がどこぞで拾ってきたらしいけど、こんな男子が落ちてるなら私も欲しい。
「ちょっとミスっちゃって、構造計計算やりなおしなんだー」
あははといいながらほっぺをぺシリとたたく。
自慢じゃないけど、私はどんくさい。
小さいミスなら日常茶飯インシデントだ。
でも今日の私は一味違う。
ミスがでかかった。
やっちまった。
顧客に思いっきり迷惑がかかる、やらかし案件だ。
であるからして、今日は終電間際になるであろうことは決定している。
それで済めばいいなーという不安はゴミ箱にポイした。
「大変ですねー」
柊君は、私の向かいの机にゴトっと鞄を置いた。
堅そうな音からして、ノートPCとプレゼン用資料が満員電車なみに詰め込んであるんだろうなぁと察せられる。
そりゃ持って帰りたくはないよね。
「大変なのは柊君でしょ。社長と行ってた今日のプレゼンは、確か、30億の案件だったっけ。すごいなぁ」
「ほぼほぼ社長が切り盛りしてましたから。僕はプリンの付属スプーンみたいなもんですよ」
柊君はそういいつつ、澄ました顔で鞄の中を机にひろげていってる。
できる男って感じだなぁ。
なんか、お姉さん、情けなくなっちゃうな。
はぁ、仕事しよっと。
「如月先輩」
「うん?」
呼ばれて顔をあげれば、目の前には大きなプリンが。
「プ、リン?」
「ビッグ・ポッキリプリン160gです」
「は? 確かに、そう表記されてるけど」
「おなかにも優しい230kcal」
「……コーラ一本ぶんよね」
「のどごししか取り柄がないコーラと一緒にしちゃプリンがかわいそうですよ」
プリンの脇から、苦笑いの柊君の顔が覗いた。
おや、そんな顔もするのだね。
イケメンはどんな顔でも絵になるのがズルイよね、まったく。
「夜食用にふたつ買ってきたんですけ――」
「たーべーるー」
かぶせ気味に返事して、にへーっとしまりのない顔でビッグ・ポッキリプリン160gを受け取る。
ポッキリプリンは、普通だと67gが3個入りのパックだ。
ビッグ・ポッキリプリン160gは、贅沢にも3つ分を食べてしまえる。
なんかずっしり感があって、お得度がマシマシ。
トータルグラム数は少ないのにね。
「あ」
柊君がスタスタと給湯室へ消えていった。
「柊君、そこには、お化けが出るって……」
給湯室からはカチャカチャと食器の音が。
お皿でお化けと闘ってるのかしら?
なーんてアホなこと考えてると、柊君が小皿とスプーンを持ってきた。
「ポッキリプリンには、これですよ」
柊君が私に小皿とスプーンを渡してきた。眼鏡の奥の、柊君の目が細まる。
「ふふーん♪」
柊君が鼻歌まじりでポッキリプリンのフタをはぎ、皿に押し当ててひっくり返した。カップの底にある突起をポキン折ったら、中のプリンがすとんと落ちた。
「こう食べると雰囲気がでるんですよー」
いつもはクールな柊君が、嬉しそうにお皿のプリンを見つめてる。
「ふーん、そうかもねー」
私の視線はプリンではなく、柊君に釘付けだ。
クールビュ-ティならぬクールダンディ、って年齢じゃないか。柊君っては25っていってたし。
甘い顔のイケメン。
視線の先は私じゃないけど。
あれだね、残業の疲れがふっとぶ、眼福だね。
はー、拝んどこ。
「先輩?」
おっと、そんな怪訝な顔で見ないでほしいね。
お姉さんは、イケメンで精神のリフレッシュしてただけだから。
せっかくのプリン、いただかなくては。
「じゃー私もー」
いそいそと、柊君と同じようにプリンの容器ごと皿に押し付けてポキンする。
手にはずしりとプリンの重み。
幸せな重み。
「ふふふ」
思わず頬がゆるんじゃう。
ぷるっぷるな黄色い富士山にカラメル色の雪が積もってる。
ちょっと揺らすと、黒い雪崩がつーって麓まで落ちていく。
まるで、食べられる盆栽。
盆栽は、あの大きさに風景を詰め込んでるっていうんだけど、プリンも負けてない。
大げさだけど、ちょっとした芸術よね。
「ぐぅー」
お腹の音が鳴った。
でも私じゃない。
私じゃないってことは……
柊君は、窓に顔を向けてる。髪から覗く耳が、ちょっと赤い。
クールな彼のイメージを壊してはかわいそう。気がつかないふりしておこう。
「ふっふーん、美味しくいただいちゃおっかなー」
「そうですね」
涼しげな顔の柊君。
うんうん、その調子その調子。
「じゃあ、いただきまーす」
左手でお皿をがっしり固定して、右手でしっかりスプーンを握って、プリン富士5合目あたりにエイっと差し入れる。
ぷにゅんと抵抗されるけど、すぐにスプーンは入っていく。
形を崩さないように、プリン山頂に向けてスプーンを押し上げていく。
手首を動かさないように腕でスプーンを操るこのテクニック。
お菓子好き女子を27年もやってるからね!
このくらい当然さ!
スプーンにのった歪なプリン富士山。
ぱくりとひと口で食べちゃう。
口にひろがるのは、優しいプリンの味。舌でそのぷりぷりを味わう。
私の幸せ指数は爆上がり。
舌と上あごでプリンを挟んでぐにゅっと押せば、名残惜しげにバラバラと砕けていく。
はなの奥で甘い空気を味わって、もにゅもにゅとあごを動かしたら、口の中からプリンが消えちゃった。
「うーーーん、ポッキリプリンって、この、ぷるぷるがいーよねー」
思わずぷるぷる震えちゃう。
「ポッキリプリンのぷるぷるの秘密って、寒天なんですよ」
スプーンを咥えたままの柊君が、そうのたまった。
なんですと?
プリンに寒天?
私は容器を掲げ、原材料の欄に書いてある文字をおった。
「えっと、乳製品、砂糖、カラメルシロップ、植物油脂、生乳……寒天! 寒天あった!」
「そうなんですよ、寒天が入ってるからこその、このぷるぷるなんですよ」
柊君は、スプーンを持った手で、クイと眼鏡のブリッジをあげた。
「製法と材料からいえば、ポッキリプリンは、ゼリーに近いんですよ」
なんですと!?
「衝撃的事実ここに降臨! じゃぁ、私が食べてるこれは、ゼリーなの?」
しげしげとお皿に乗ってるプリンを見た。
どこから見ても、どう見ても、プリンだ。
見まごうことなき、プリンだ。
「いえ、ポッキリプリンはプリンです」
柊君はそう言いながら、スプーンにのったプリンをぱくりと食べた。
「え、だっていま、ゼリーっていったじゃん」
「製法的には、ですね。そもそもプリンに定義はないんです」
なんですとぉぉ!?
「え、ちょっとまってよ、私の中のプリン像が粉々に砕けちったんだけど」
狼狽を隠せない私。
だってプリンにさ、定義がないって、ありえなくない?
柊君がふふっと笑った。
「先輩の中のプリン像って、どんなんです?」
「プリンはー、牛乳とー、たまごとー、それからー」
「一般的には、ですよね」
柊君は、スプーンを咥えたまま、ひとさし指を立てた。
「プリンは、牛乳と卵とカスタードを主材料としたお菓子、を指しますが、そこに厳密な定義はないんです。しいていえば、プリンらしい、という要素が入っていれば、もしくは作った人が『これはプリンだ』といえばプリンなんです」
な・ん・で・す・と・?
「じゃあなに、私がバケツでプリンらしきナニカを作ったとしても、それはプリンと胸を張っていっていいの?」
「えぇ、問題ありません。大きさに問題がありそうですが」
「なにその適当っぷり!」
「バケツも大概だと思いますけど」
スプーンでプリンをすくって、口に運んだ。
カラメルの甘い香りと、くにゅるという感触が、私をトロけさせてくれる。
「味は、プリンよね」
「プリンですから」
柊君が、机に皿を置いた。
「たぶん、ですけど、開発した人は、このぷるぷる感を出したくって出したくって仕方がないから寒天を使ったんだと思うんです」
「それは、分かる気がするけど、でもさー」
「定義されちゃうと、その範囲でしか進化できないということになってしまいます。プリンの定義がないのは、プリンの可能性を閉じ込めたくはないから、なのかなーって僕は思うんです」
柊君が凛とした顔になる。
私の仕事は設計。
仕様を定義立てて、条件を決めた中で、顧客の要望を、できる限り実現させる。
定義があってこそだ。
頭を固焼きプリンで叩かれたみたいだ。
「そもそも定義って言葉ですけど、この〝定義〟にも定義がないって、知ってました?」
「いやそれ初耳なんだけど!」
「ギリシャ時代のソクラテスやアリストテレスとかも議論していて、いまだにそれは何であるという定義はないって見解もあります」
「アリストテレスもプリンの定義について談義をしていたってこと?」
「それはいってないです」
「もー、定義定義って、頭の中がプリンから定義にタッチされちゃったじゃない」
「先輩の頭の中はプリンでいっぱいなんですか?」
柊君がクスリと笑った。
だってー、残業で小腹も空いてたしー、ポッキリプリンは美味しいしー、そりゃー頭の中がプリンだらけになっちゃうのは仕方ないじゃない。
「僕らの仕事は設計で、条件なんかを白黒させなきゃいけないけど、プリンは白黒はっきりしてなくって、曖昧でいーんじゃないですかね。美味しければ。あ、お皿、片づけますよ」
柊君が、私の手からさみしくなった皿を持っていった。
そうだよねー。
物事はすべて白黒つけられないし、つけない方がいーってモノもあるだろうしね。
はー、なんだか勉強になっちゃった。
給湯室からは、ジャーっと水の音。
柊君は、マメだねぇ。
「そうそう」
柊君が給湯室から顔を出した。
「今度の日曜日にホテルスイーツがあるんですけど、一緒にいきません?」
澄ました顔の柊君。
いつもクールな君は、スイーツ男子だったの?
「甘いもの好きには見えないんだけど」
「外見で定義づけしてほしくないですね。それにプリンを食べる先輩が、いい笑顔だったもので」
柊君がふにゃりと笑った。
私の胸がぎゅっとなった。
急に誘われたらお姉さん勘違いしちゃうよ?
まぁ、彼女がいるんだろうからここは断っておかないとね。
「行きたいけどさー、最近ヤバイんだよねー。主に体重が」
「甘いものは別腹ってことにしておいてください」
にっこり笑う柊君。
「私も別腹なの?」といいかけたけど、まぁ曖昧でもいいか。