1話 委員長は夕子を助ける覚悟を決めたのか否か
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『夕子』はいう。「とうとう、やりたくもない荒療治をやるしかねえのかな。記憶を消去しても消去しても消去できない。なら、記憶そのものを荒療治するしかない――もとより分かっていたことだ。幻想が幻想足りえるのは、幼少期まで。なぜなら、幼少期なら世界を――現実の世界をそこまで知らない。だから否定しまくって記憶を消去すれば『イマジナリーフレンドを幽霊と置き換える』くらいなんとかなる。だけどなあ、お前、いや私というべきか。私は高校生になっても、『イマジナリーフレンドを幽霊』だと誤認し続けてきた――それは禁忌だ。
だからこれは報いだ。腹くくれ、私。どんな試練でも仕打ちでも最悪でも取っ払え。幻想と幽霊と現実の世界を獲得し、現実から目を逸らさずに、他の世界も見つめろ。
三つの世界を肯定するまで――掌握するまで、『試練』は終わらない」
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私――委員長こと佐々木晴陽は、ゆーちゃん――夕子ちゃんと言ったほうがいいのかもしれない。彼女が、急に大声を上げた。
「大丈夫!? 夕子ちゃん!?」
「あああああああああああ!!!!!!!!」
悲鳴を上げている。今はまだ午前中だ。誰の助けもない。この家には誰もいないことを、幽霊から逃げている最中に夕子ちゃんから聞いていた。
というよりも。
夕子ちゃんは果たして、本当に無事か――あたしはそれが一番心配だ。
彼女は眼を手で覆い隠し、床に張り付いている。誇張抜きでその状態。
彼女がこうなってしまったのは、きっとあたしのせいだ。
彼女にあだ名として「ゆーちゃん」っと言ったのが、間違いだったのだ。論理だてて説明することはほぼ不可能だけど、それでも直感で、しかしながら革新的に、彼女のあだ名をそう呼んだことで今、こうなっている。
だからといって少し不可解なのは、あたしがゆーちゃんと呼んだだけで、異常な声を発していることだった。
過去に何かトラウマめいたことがあったとしても、これは常軌を逸している。泣き出すことも不思議だし、何よりここまで全力で泣けてしまうのは、まるで赤子のように思えてしまった。
あたしは彼女を励ます。
「大丈夫だよ、夕子ちゃん。あたしが、ついているから!」
あたしにできる何ができるかは分からない。だけど、できる限り夕子ちゃんに恩返しがしたい。
たとえそれであたし自身が死んでもいい。とにかく、彼女を助ける方法を模索したい。そして探し出し、命懸けでもいいから彼女を助け出したい。夕子ちゃんは、命懸けであたしを助けてくれたんだから。
「――――」
急に、夕子ちゃんは泣くのをやめた。
数瞬、身体の力が抜けているのが分かった。そのまま倒れようとしている。
「夕子ちゃん!?」
慌てて呼びかけたが、夕子ちゃんは気絶してしまった――そう思った瞬間に、彼女は立っていた。
「*気絶してねえよ。えっと、ハル――じゃなくて委員長*」
「え?」
耳を疑った。口調があからさまに変わっていた。口調以外にも、声音も多少変わっているように思えた。
目の前にいるのは紛れもなく、夕子ちゃん――そのはずだ。
「*ハルって言ったのは忘れてくれ、委員長*」
呆然とせざるを得なかった。
この目の前の存在が何者なのか。そんなのは決まっていて夕子ちゃん――そうだと思いたい。だけど、コレは夕子ちゃんというにはあまりに変わり果てている。
「夕子ちゃん……なの?」
思わずそう聞いてしまった。
「*まあ、言葉として表せば『夕子』だよ『私』は。ただ、委員長、お前の求めている答えとは違うだろうから、分かりやすいく応えるよ。『私』は夕子とは違う人格だ。二重人格だとか、多重人格だとか、そう思ってくれていい。もっとも『私』のことを人格というには、少しばかり語弊があるけどな*」
……多重人格。性格の乖離なら、確かにその言い方が適しているとあたしは思うけど。
それでも、彼女は違うと否定する。
「*『私』は今、仕方なく出た――この現実世界で、初めて夕子の人格用として取り出されただけだ。端的に言えば精神が一時的に入れ替わってるだけだ。お前のいつも通りの夕子ってのはここにいる。*」
脳を――頭をコツコツと指で叩く目の前の夕子ちゃん。
よく分からなかった。
「それってどういうことか、詳しく聞かせてくれる?」
「*そりゃ詳しく聞かせてやるよ、隠してるわけじゃないからな。ただまあ、覚悟して聞いてくれよ。覚悟しなかったら、お前は夕子の友達じゃなくなる可能性があるからな。覚悟はできてるか?*」
「できてるよ!」
即答するに決まっている。夕子ちゃんはあたしを助けてくれたんだ。どんな現実があっても、あたしは夕子ちゃんの味方でいる!
「*じゃ、話すよ。こいつは今までな、『幽霊が見えていると思い込んでいたんだ』*」
「え? 実際に見えていたと思うけど……」
「*それは今さっきの話だ。それまで本当の幽霊なんて見えてなかったんだよ、あいつは。あいつは、『イマジナリーフレンドを幽霊と思い込んでいる』――臆病で、現実を見たくないゆえに、幻想で塗り替えて現実を生きてきたのさ*」
イマジナリーフレンドを幽霊だと思い込んで、今まで――十何年も生きてきた……?
それって――
「可能なの?」
「*可能だから、今、こうなってるんだ。話を戻す。『イマジナリーフレンドを幽霊と思い続けて』あいつはついに、禁忌に手を出したんだよ。つい最近、完全に顕現してしまったイマジナリーフレンドがいてだな、それが『お前を模したイマジナリーフレンド』――通称ハル。あ、結局言っちまったな*」
「あたしを模したイマジナリーフレンド……」
可能なのだろうか。イマジナリーフレンドは物が喋ったり――というような錯覚から起こるものと勝手に思っていたけど、夕子ちゃんはイマジナリーフレンドのキーとして物ではなく人を選んだ……そんな異次元な考え方ができるのだろうか――?
あたしの反応をしっかり見極めてくれたのか、夕子ちゃんではない夕子ちゃんは「*説明面倒だが、するか*」と頭を掻いた。
「*あいつはヤバいんだ。この年齢でイマジナリーフレンドを幽霊と思い込み続けてきた。だから、普通のイマジナリーフレンドの症状とは違う。物じゃなくても――人だとしても空気だとしても温度だとしても――何でも、全てを『相手』と認識して、幽霊だと誤認する。
空気だろうが微粒子だろうがなんだろうが、形を幻想の世界で書き換え、その上で幻想を映し、現実だと脳内で書き換え、そして会話する。ソレが行き過ぎて、お前を模したイマジナリーフレンドを創り出し、さらには付き合っている――それも、イマジナリーフレンドと付き合っている感覚じゃない。『幽霊と付き合っている』――そう思い込んでいる。そして今、ついに気づいたんだよ。いや、今までも、何度も気づいてはきたが、その度に自分自身の記憶を奥底にしまい込んできた。そして、その記憶のメモリは許容量を超えて今さっき隠せなくなって、あいつは理解した――今まで見てきたと思った幽霊は、イマジナリーフレンドだった、てな*」
…………。本当にそんなことが、あったんだろうか。いや、あるんだろう。目の前の、夕子ちゃんとは別の人格の彼女がそう言っている。夕子ちゃんは幽霊に魂が乗っ取られたわけではない――それはあたしが一番分かっている――だから彼女のことを信じよう。
相手の発現を理解し、あたしは質問する。
「それは分かった。だけど、それと今、貴方が飛び出してきたのはどういう関係があるの?」
「*簡単だ。現実逃避してるんだよ、あいつは。だから『私』に肉体を預からせている。*」
「肉体を預からせている……その言い方だと、今、貴方がここに現れたことを夕子ちゃんは知ってるの?」
「*知ってるだとか、知らないだとか、そういう次元じゃないな。もうかなりキてんだよ、あいつは自分の人生が崩壊したと思ってる。自分の世界が壊れたんだから、人生も壊れたんじゃねえのかって思ったんだ。そして殻に閉じ籠った。
『私』が現れたのは、まだ人生が壊されていないとという定義を《仮》とした結果、こうなってんだよ*」
現実逃避した。だから、この人が現れたということなんだと、あたしはあたしなりに理解した。
理解したからこそ、あたしは思う。
「夕子ちゃんに何かすることはできないの? あたし、夕子ちゃんのお陰で助かったんだ。だからあたしは、夕子ちゃんに恩返しがしたい」
「*お前ならそういうと思ったよ。お望みとあらば、手助けくらいはする。具体的には、『私』たちの世界に招待することはできる。まあ、かなりの博打になるが、それでも、私を――夕子を助けることはできるかもしれねえ。
来るか? 『私』――いや、私たちのの世界に――異常の最果てに。三つの世界を全て共有し、矛盾が矛盾足らしめたときに現実逃避した結果の、『私』なりの荒療治――『試練』の世界で、あいつを助けて――救って、再び現実世界で生活できるようにする。お前にそれができる覚悟があるのか?*」
覚悟はできている。どれだけ異常でもどれだけ悲惨でも、夕子ちゃんは大切な友達だ。そして何より、あたしを助けてくれた――だから今度は夕子ちゃんを助ける!
「あたしを『試練』の世界に連れて行って!」
「*お前がどれだけの覚悟をしても、多分、想像を絶するものだ。それでも、いいのか?*」
きっと、彼女なりの心配をしているのだろう。
あたしの想像をどれほど絶するのかなんて分からない。
それでも、あたしは夕子ちゃんを助ける!
「いいよ! 連れて行ってよ。あたしを、夕子ちゃんのもとに!」
「*分かったよ。じゃ――*」
そう言って、彼女はあたしのもとに近づき、耳打ちする。
「*気絶してくれ。*」
首に衝撃が走――