初心者の通る道10
局面図は後ほど折を見て追加予定です。
「…団長が来られていたとはつゆ知らず…とんだ失態を…」
「…すまない…目の前の敵に集中してしまっていて…」
「…すみませんナイロン団長…お、お恥ずかしいところをお見せしてしまって…」
先ほどまでの意気軒昂が嘘のように項垂れた副団長とレーヨン君、顔を真っ赤に染めて恥じ入るキリルさん。
そしてその前で仁王立ちする穴熊団長。
その顔からは怒りを通り越した呆れが見て取れる。
「…こほん。アラミドへの叱責は日を改めて行う事にする。
今日ここに伺ったのは王女様とアラミド副団長を王都へ連れ帰る為です。
レーヨン殿もいるのであれば同道をお願いします。
疾く身支度を。」
「「「ええええええ!!」」」」
「そんな!団長急すぎます!
ここにはまだ俺が勝てていない居飛車党がたくさんい…るの…に…
いえ、すみません何でもないです。はい。」
私情駄々漏れのままアラミドさんは抗議するが、団長さんからの殺意のこもった視線に射すくめられ、容易に白旗を上げる。
「ナイロン団長!わたくしはまだここでやる事が残っています!
それに期限のひと月まで後1週間ほどあるはず。
なぜ私が帰らければならないのですか!!」
「そうです!王女と私の戦いはまだ終わっていません!
ここの振り飛車党全員に勝ち越すまでは帰るわけにはいかないのです!」
「それは…
私からはお話ししがたい事情です…。」
団長さんからしてみれば実に言い難い事だろう。
キリルさんが王都から離れて留学している最中に、家族が隣国と些細な理由で争い、しかも領土問題を生み出した挙句、なんら咎の無いキリルさんが満喫している留学期間を切り上げて連れ帰ろうというのだ。
激昂しても不思議ではない。そう「普通の王女様」ならば。
「団長さん。団長さんの苦悩はお察ししますが、一から十までちゃんと話した方がいいですよ。」
「そんな事は…解っておる…。
しかし王女様の悲しみを考えると…儂には…。」
「彼女は十中八九悲しみませんから大丈夫です。」
「…なに?」
そう、俺には確信があった。
団長さんから聞いた話が事実なら、キリルさんは一切抵抗することなく、寧ろ嬉々として王都へ帰るだろうと。
俺の態度を訝りながらも、団長さんは渋々連れ帰るに至った理由について話し出した。
王国と獣人国の王族同士で序盤定跡の優位性をめぐる争いがあった事。
その争いが激化した結果、2本先取のシンバンを行う羽目になった事。
そのシンバンで一敗し、領土喪失が現実味を帯びてきた事。
領土にキリルさんの生家がある為、私物の回収向かってほしい事。
そして最後に、一切責任のないキリルさんが一番理不尽な扱いを受ける事になってしまった事への団長からの謝罪の言葉があった。
最後まで聞いたキリルさんは、俯いたまま肩を小刻みに震わせている。
泣いているかのように見せるその姿を見て、団長は俺にほれみろとでも言いたげな恨みがましい視線を投げてよこした。
唆しはしたが、根本的な要因を作ったのは俺ではない。
甚だ心外である。
それにそもそも彼女は悲しみに震えているわけではない。
数分ほど続いたその空気は、キリルさんからの感極まった言葉で破られた。
「やっと…」
「?」
「やっと居飛車党の力を見せつけるチャンスが来た…」
「キ、キリル王女?一体何を…」
団長さんが狼狽えるのも無理はない。
キリルさんの声は普段の温厚なそれとは違い、宿敵に向けるかのような敵意が満ちていたのだから。
「ナイロン団長、第四王女の名を以って命じます。
先駆けを用い父様との謁見を準備しなさい。
二戦目以降の対局は私が出ます!」
俯いていた顔を上げ、団長さんをまっすぐ見据えるキリルさんの目には、誰が見てもわかる明らかな闘志が宿っていた。
そこにいたのは棋士団に守られる「か弱き王女様」ではなく、自国の定跡に牙向く憎き振り飛車党を屠らんとする「居飛車党過激派」の姿だった。
「そ、そんな事は無茶です!キリル王女!
彼の国との一戦目は、我が国内政官屈指の棋力を持つアクリル殿が出ましたが、歯牙にもかけずに一蹴されています!
キリル王女の棋力はアクリル殿には遠く及ばなかったはず!
幾ら留学で棋力が上がったとはいえ俄仕込みの戦術では敵には勝てません!」
「心配無用だ、ナイロン団長。」
「レ、レーヨン殿?」
「キリル王女の棋力は既にわが父を大きく凌駕している。
内政官アクリルの息子である私が保証しよう。」
「し、しかし…。」
「では私の力を証明しましょう。
二戦目の対局まではまだ時間があるのでしょう?
アクリル殿と対局し、私の力を直接見定めて頂きます。
それなら文句はありませんよね?
疾く先駆けを。」
「りょ、了解いたしました…。」
有無を言わさぬキリルさんの口調に、それ以上団長さんの口から異議が出る事はなかった。
程なくして、同伴してきた団員の一人が慌ただしく馬に乗って出て行ったが、あれが話に上がってた先駆けという奴だろう。
キリルさんの荷造りをレーヨン君含めた他の団員が進める中、キリルさん自身は門下生の面々に別れの挨拶を告げていた。
(尚、先刻アラミドさんが首根っこを団長さんに掴まれ、村の隅へ引きずられていくのを見た。
南無。)
一通り別れの言葉を話し終えたのだろう。
「ててて」と擬音が聞こえてきそうな可愛らしい小走りで、キリルさんは俺の方へ向かってきた。
「先生!聞いての通りですので私はしばらく実家に戻りますが、そう長く空けるつもりはありませんので!
私はこの世に生きる全ての振り飛車党を滅ぼすまで、諦めませんから!!」
胸の前で拳を握り締め、いい笑顔でそう俺に告げるキリルさん。
「キリルさん…俺も振り飛車党なんだけど…。」
「…まぁそれはそれ。これはこれって事で。
でも、いずれ必ず先生にも勝って見せますよ!
居飛車党の力は無限大です!!」
拳を天につき上げ、オー!と声を上げるキリルさん
ぬかしおる。
でもまぁ滅ぼす云々はともかくとして、棋風の対立が生まれるのは良い事だ。
地球で藤井システムやトマホークといった対居飛車穴熊戦術が生まれた背景には、少なからず居飛車党、振り飛車党という棋風の対立があったのだから。
キリルさん、レーヨン君、アラミドさんはその日の内に身支度を終え、急ぎ王都へ向けて出立していった。
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それから2週間後、王都から村に伝書が届いた。
そこには、キリルさんが獣人国とのシンバンで2タテし、王国の領地喪失は未然に防げた事。
三番勝負に勝ったキリルさんの進言で、王国側も獣人国から領土を奪う事はせず、両者の和解で問題は終息した事。
獣人国とのシンバンに同行したアラミドさんが、あまりに酷い獣人国の指し回しに激怒し、なんのかんのと口出しをしていたら、獣人国側から同志と見なされ、そのまま親善大使を兼ねて将棋の指導する羽目になった事。
近く王国へ遣わされた獣人国側の代表と共に村に来る事。
など、事の顛末が詳しく綴られていた。
そしてそれとは別に王族からの勅書があり、そこには
一つ、キリル王女の棋力向上への多大なる貢献に対する感謝
一つ、キリル王女の過激派思考に対する苦情
一つ、キリル王女の棋力向上に伴う他王族に対する精神的ケアの申し入れ。
一つ、キリル王女の棋力向上に伴う内政官への精神的ケアの申し入れ。
一つ、何をしたら温厚を絵にかいたような可愛らしい娘があんな修羅に成り果てるのかという国王直々の非難。
がA4用紙5枚分くらいの文章量でびっしり書かれていた。
…キリルさんや…あなた一体何をしたの?
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