棋士団VSナオト道場4
現代将棋に於いて、昭和以前と価値観が180°逆転した、所謂パラダイムシフトを起こした戦法がいくつかある。
その一つが「居飛車穴熊戦法(通称居飛穴)」である。
昭和中期まで、穴熊囲いは居飛車振り飛車どちらにおいても「田舎臭い素人がやる囲い」と蔑まれていた。
玉を盤の隅に引っ込め、駒を集中させてガチガチに固めるやり方が自陣のバランスを著しく損ねる為、プロ棋士に忌避されていたのである。
しかし、昭和後期にとあるプロ棋士が居飛車穴熊戦法の定跡を整備、洗練させた事で状況は一変する。
居飛車穴熊戦法はその堅牢さで振り飛車側の戦法を悉く蹴散らし、振り飛車戦法を好んで指す「振り飛車党」を軒並み絶望のどん底へ叩き込んだのである。
後に有名な対穴熊振り飛車戦法である「藤井システム」が開発され、振り飛車側は居飛車穴熊へ反撃の狼煙を上げるが、居飛車側も藤井システムに対応できるよう、居飛車穴熊を改良して対抗。
2018年現在も、居飛車穴熊戦法は振り飛車党にとっての大きな壁となって立ちふさがっている。
三間飛車党だった俺も多分に漏れず、始めて間もないころは勿論、自分の中で確固たる戦法を確立して尚、居飛車穴熊は苦手戦法の筆頭だった。
安定した対抗策を求めて読み漁った棋書は数知れず、そこまでしても、居飛車穴熊に長けた居飛車党に対する勝率は決して高くはなかった。
しかし
故にこそ、俄仕込みの居飛車穴熊になど負けない。
居飛車穴熊との数えきれない実戦で培った直感が告げている。
『この穴熊は弱い』と
『1三桂成』
「なん…だと…」
それは団長さんにとって正に青天の霹靂だった事だろう。
何せ桂馬が、単騎で、それも桂馬も香車も銀も角も効いている1三の地点へ突っ込んできたのだから。
将棋の基本的な考え方に「効きの足し算」と呼ばれるものがある。
ある地点へ効いている駒の数を数え、自分の数が相手の数を上回れば、その地点を確実に突破できるという考え方だ。
この1三桂馬はその考えに真っ向から歯向かう一手である。
俺も初めてこの攻め方をしている棋譜を読んだ時には自殺行為ではないかと訝ったものだ。
「…負けを認めたくないあまり自棄になったのか。馬鹿めが…。
たかが歩と桂馬を交換してどうしようというのだ」
『1三同じく香』
『1四歩』
「ふん。小賢しい。」
『1四同じく香』
『1四同じく香』
「む…。」
『1三歩』
『1三同じく香成』
「ぐっ!この…しつこいぞ!」
『1三同じく桂 』
『1四歩』
「ぐぐぐ…」
『2五桂』
『1三歩成』
ビー
ビー
(おい…。お前もか。)
「む、なんだ?銀が動かんぞ…。」
「…副団長さんと同じ事しないでくださいよ。角ですよ、角」
「角?角がどうしたというのだ。
確かに角でも取れるが、儂が動かしたいのは角ではない。銀だ。」
思わず呟いた独り言が聞こえたのか、団長さんは自分で考えるのを諦め、直接俺に聞く事にしたようだ。
「あんたの角じゃないよ、俺の角だ。」
「貴様の角?」
「あんたの玉が俺の角道にいるんだよ。
銀一枚が壁になってんだから動けるわけねぇだろ。」
「なんだと!?そんな馬鹿な!!」
そう叫び、盤面に目を戻して角の効きを確認する団長さん。
全くもって遅すぎる。2五桂で団長さんの角がどいてから
ずっと角でピン止めされていたというのに。
盤面に集中できていない、そして相手の指し手を見ていない何よりの証拠だ。
『角の効きを直通させて銀を動けなくし、桂馬と香車で端を攻める』というこの攻め方に名前はない。
それはとりもなおさず、この攻め方自体は特筆すべき定跡や発想などではなく「誰もが自然に辿り着く、別段に珍しくもない凡庸なやり方」である事を示している。
採用例としてみれば、対穴熊用三間飛車急戦戦法として名高い『トマホーク』や、振り飛車復権の立役者『藤井システム』などで頻出する攻め方であるが、それらの戦法が初出なわけではない。
つまり団長さんが本局で指している穴熊というのは『そんな取るに足らない凡庸な攻め方すら満足に受けきれない、未熟な代物だ』という事である。
(ぬるいな…。穴熊とはいえ、洗練されてない指し手なんか所詮こんなものか。)
「馬鹿な…そんな馬鹿な…うぐぐぐぐぐっ!!
まだだ!!儂はまだ負けてはいない!!」
『1三同じく角』
(「さっさと負けを認めろ」とか言ってたのは誰でしたっけ…。)
『1四香打』
「くっ…くそ!!」
角は前後に動けない。
そして角の後ろには玉がいるから斜めに動く事も出来ない。
これが所謂『田楽刺し』というやつだ。
『1二歩』
『1三香成』
『1三同じく歩』
「ぐぐぐ…角と香車の交換は痛い…。
し、しかしもう貴様に香車はない!攻めは防ぎ切ったぞ!」
確かにこっちに香車はない。持ち駒は角と歩、この持ち駒だけじゃ金銀三枚の守りは破れないだろう。
(でもな、何も攻めに使えるのは持ち駒だけじゃないんだよ。)
『1八飛』
「なっ!」
(7筋から1筋への飛車の大転換。
右銀を保留していたのはこの大転換に繋げる為だ。
これで攻めはまだ繫がる。)
「くっ…そうはさせるか!」
『1四香』
『1五歩』
「邪魔だ!」
『1五同じく香』
『1五同じく飛車』
「これで…どうだ!」
『1四香』
「…。」
(まぁ後ろには下がれんけど桂取れるしなぁ…)
『2五飛』
『1九香成』
「よ、よし!相手の守りは薄い、この成香を拠点にすれば勝ち目はまだある!」
(ねぇよそんなもん)
『1五桂』
(もしこの桂打を無視して攻めてくるなら、2三桂成から寄るが…)
「…!!
ま、まずい!角道をふさがねば…!」
(まぁそりゃ気付くよね。)
『3三金』
(遅い遅い)
『3三同じく角成』
『3三同じく銀』
『2三飛車成』
「ぐっ…!龍がこんな玉傍に…!」
『2二金』
「さ、下がれ!下がれぇ!!」
『1二金打』
『1二同じく金』
『3三龍』
「ぎ、銀までも…馬鹿な…そんな馬鹿な!!」
『2二金』
『2三桂』
『2三同じく金』
『2三同じく龍』
「こんな…こんな事が…儂の無敗の要塞が」
盤面は2一金の一手詰めがかかってる。
これを防ぐためには2一の地点を守る駒を置かなければならないけど、2二金なら1二銀から詰み。
1二角なら即詰みは無いけど3三龍と逃がした手が厳しく、どう応じても一手一手だろう。
堅牢だった穴熊も今や見る影もなく、隅に追い詰められた玉を一人残すだけだ。
勝敗は誰の目にも明らかだった。
余談ながら、1三桂成に対する最善手は同角となります。
同香は本譜通り、同桂は1四歩、2五桂、1三歩成、同香、同香、同角に本譜と同じ1四香の田楽刺しがあります。
つまり1三桂成は一見4通りの応手があるように見えますが、銀は角のピン止めがあるため取れず、香車と桂馬で取ると居飛車側に田楽刺しが生じるという難しい一手です。
一応将棋解析ソフトなどの判定では互角の局面ですが、慣れていない居飛車側の指し手にとっては中々胆の冷える局面ではないでしょうか?
先述の通り、本譜では居飛車側が受け間違った結果、穴熊がボロボロにされてしまっているので、実戦でこの戦法を真似ても期待通りに穴熊を崩せるとは限りません。
寧ろ手慣れた穴熊使いには端を逆襲されてズタボロにされるでしょう…。(経験者談)
もしご覧の方々で、将棋を指し、この戦局を書いてみてほしいというご希望がもし(強調)おられましたらご一報いただければと思います。
相穴熊とか木村定跡とか地下鉄飛車とか風車とか死ぬほど書きにくいお題でない限りは努力します。
(また横歩取りに関しては先後両方の同意が必要な都合上、ある程度物語の進行が必要になると考えております…。
何卒ご容赦を…)