第2話 ルビー、女王国からの出頭要請に従う。
イーギスでの戦いの後もアタシたちはレジスタンスからの討伐依頼をこなし続けていた。
そんな中ケイトちゃんからの呼び出し。
今度はどんな依頼? 何でもいいよ、どんと来い! そんな前のめりで行政府に立ち寄ったアタシたちを彼女は渋い顔で出迎える。
完全に勢いを削がれたこちら側に対して、無言のまま席を勧めてきた。
アタシたちは顔を見合わせると神妙な表情でそろっと椅子に座る。
「いつも、任務ご苦労様。別に貴方たちが何かしでかしてしまったとか、そういうのじゃないの。……そこは安心して頂戴」
ケイトちゃんが話を切り出すと、お茶の用意を終えた部下の女性が音もなく退室する。彼女はその後ろ姿を確認すると溜め息を吐き、苦り切った表情を見せた。
アタシたちも身構える。
「……女王国から貴方たちに対して出頭要請が出たわ」
ケイトちゃんはあからさまに困惑している様子だった。
だけどそれはこちらもそうだ。
そしておそらくその原因であろうクロードに視線が集まる。
クロードの表情が不機嫌そうに歪んだ。
「何故今になって? ……用件は?」
トパーズが低い声で尋ねる。彼も緊張しているようだ。
クロードが剣を向けたあの日から、もうすでに数か月経っている。
本当に今更だ。
改めて怒りが再燃したとか?
それはどう考えてもアリスちゃんらしくない。
「……どちらも分からないわ。でも出ない訳にはいかないでしょう? ……上司である私を通じてという話だから、私的な話ではないはずよ。おそらくみんなの知っている『アリス』ではなく、水の女王国の『アリシア女王』としての接見となるわ」
ケイトちゃんが眉間に皺を寄せ、目を瞑る。
ちょっとオジさん臭い仕草だった。何となくだけれど執政官をしているテオドールさんがこんな感じなんだろうなと思える。
「よりによって明日が決起集会というこの日を狙って仕掛けてくるアリシア女王陛下の真意が全く読めないの。――ママが側にいるから滅多なことにはならないと思うけれど……」
彼女の苦り切った顔と独り言にアタシたちは返す言葉もなかった。
「皆様、ようこそいらっしゃいました」
緊張しながら港湾区の女王国公館に出頭すると、出迎えてくれたのはまさに貴婦人と呼ぶべき美しい女性の完璧な一礼だった。
そして後ろに控える数人も同じように頭を下げてくる。
いきなりの丁寧な挨拶に困惑してしまうアタシたち。
こちらは第一声で罵声を浴びせられることも覚悟してきたのだ。
「……パール?」
そんな中、アタシの横にいたサファイアが呆然とした感じで呟く。
その視線は貴婦人の横に立っている愛らしい少女に向けられていた。
「……うん、……そうだよ!」
その少女は心底嬉しそうな表情で何度も頷くと、サファイアに飛び掛かるようにして抱きついてきた。
困惑しながらも彼女はしっかりと少女を受け止める。
少女は子猫のように頬をサファイアの服にこすり付けて顔を埋めた。
「……おねぇちゃん、ずっと会いたかったんだよ」
少女の声は涙声になっていた。
サファイアは大きく息を吐くと、優しい手つきで少女を撫でる。
「……パール、元気だった?」「……うん」
二人が抱き合っているのを見ていると、不意に横から声を掛けられた。
「ルビー、元気にしていたかい?」
耳慣れた落ち着きのある男性の声。
慌ててそちらを見るとそこに居たのはケンタロス伯父様だった。
アタシも先程の少女のように駆け寄って抱きつく。
それを伯父様も満面の笑顔で受け止めてくれた。
「伯父様、ご無事だったのですね!」
「あぁ、私たちもキミの両親もみんな元気にやっているよ」
懐かしい思いに浸っていると先程の貴婦人が手を叩いた。
「再会の挨拶はそれぐらいにして下さいな。……二階で陛下がお待ちですよ?」
そう言うと彼女はアタシたちに背を向けて歩き出す。
何が起こるのかと再び不安顔になったこちらに対して、少女と伯父様は安心しろと言わんばかりに力強い笑顔を見せた。
……もしかして歓迎されていたりするの?
アタシたちはみんなで首を傾げながら顔を見合わせた。
貴婦人に先導されるままアタシたちは会議室に入っていく。
少女と伯父様とは部屋の前でお別れだ。
それが少し心許なく思えて、緊張感が戻ってくる。
深呼吸して部屋に入ると意外にも中に居たのは少人数。
見知った顔はレッドさんだけ。
その横にはアタシの周りにいない感じの、野性味溢れる男の人。
でもそこがちょっとカッコ良かったりする。
あとは笑顔の素敵な少年と筋肉が凄いお爺さん。
……そしてアリスちゃん。
その全員が一斉に入室したアタシたちを見つめてきた。
「みんな、よく来てくれたわね。女王国として歓迎するわ」
アリスちゃんが華やぐ笑顔で席を勧めてくる。
そして軽く出席者の紹介をした後、世間話のような現状報告が始まった。
その間も貴婦人――側付きのクロエさんというらしい――がアタシたちの為に紅茶の用意してくれている。
その姿はまさに帝国淑女。
ケイトちゃんの所作も綺麗だけど、この人はその数段格上に見えた。
アタシなんかじゃきっと鼻で笑われるだろう。
……一応これでも貴族令嬢なんだケドね。
そんな見るからに凄い女性が何故アリスちゃんの下で働いているのだろう?
アタシの考えていることに気付きもしないクロエさんは全員分の紅茶を淹れ直すと、嫣然とした笑みを浮かべたままアリスちゃんのすぐ横の席に座るのだった。
「さて、クロード君」
アリスちゃんは咳払いするとクロードを見つめた。
その佇まいから女王の威厳のようなモノが溢れ出す。
「改めて神の声についての説明をお願いしたいの。……何故私が神の敵なのか? そしてセカイの敵なのか?」
アタシたちでさえ、触れようとしなかったことに真正面から突っ込んできた。
躊躇いもなく切り込んでくる辺り、本当に怖いもの知らずだ。……さすが女王。
穏やかな会議室の雰囲気が一変した。
出席している女王国側の人たちも先程と違い、一言も聞き漏らさないと言わんばかりに真剣な表情になる。
クロードはこの空気に憮然とした感じを見せるも、素直に神の声が聞こえた経緯を話し始めた。
彼の説明を受けて少しずつ怪訝な表情に変わっていく女王国の面々。
それはアタシたちパーティの人間も同じだった。
やっぱりオカしい。
神職者でもない、ただの冒険者のクロードが何故?
……そもそも神の声って言われても、ねぇ?
だけどアリスちゃんは前回のように笑いもせず、かといって眉を顰めることもなく、無表情のまま聞き入っているのだった。
クロードが話し終えると、アリスちゃんは満足そうな笑みを浮かべた。
セカイの敵扱いされてからの、この表情が理解できない。
「なるほど。想像していたよりも信ぴょう性が高い話でしたね。……正直、もっと頭のオカシイことかと思っていましたが……」
十分頭がオカしいと思うけれど、アリスちゃんには何か思うことがあるらしい。
クロエさんは先程までの穏やかな笑みを完全に消し去った真剣な表情で、隣のアリスちゃんを食い入るように見つめていた。
彼女のような貴婦人がそんな顔をすると一気に凄みが増す。
知らない人が見れば彼女こそが女王だと思うだろう。
本当にそんな雰囲気だった。
「……やはり一番注目すべきところはクロード君とマール神は別の志向を持っている部分ですよね。自分の意思と違うところで聞こえるようになって困惑している。……そこが自分の言い分を認めさせるために神を利用しているような有象無象の輩と決定的に違うところですよね。……実に興味深いです」
研究素材か何かのような扱いに、今度はクロードが眉を顰めた。
アリスちゃんはそんな彼を一瞥しながら続ける。
「クロード君には確かに何かが聞こえているのだと思います。……今の時点でそれがマール神だとは断じることは出来ませんが」
クロードには何かが聞こえている? ……本当に?
「もし、仮に、ですが、……聞こえている声の主が本当にマール神とするならば、私を『セカイの敵』だと認定したことにも、……まぁ、それなりの見解を示すことが……出来ますね」
神にセカイの敵だと言われてもいいの?
全員の動揺を余所にアリスちゃんは眉間に手を当て、所々つまりつつも言葉を発し続ける。
絶対に思考を止めようとしないその姿をアタシたちは黙って見守っていた。
「私はマール神とその教徒からすれば侵略者そのものです。聖王国の四神の信仰を認め、山岳国のキール神をも認めました。……一神教でもあるマール教徒の立場からみれば、私はそれらを従えている邪神のような存在ともいえるかもしれません。――私自身はそのつもりはありませんが」
ちらりとクロエさんに視線を向けた。
彼女はそれに黙って頷くことでそれに同意を示す。
なるほどマール教徒からすればアリスちゃんは異端中の異端者なのだ。
熱心な教徒ならば一緒の空気を吸うのもイヤなのかもしれない。
あの場にいて笑顔で歓談していた教会のオランド神官長という人も内心では嫌悪感を露わにしていた可能性もある。
……あんな温厚な感じだったのに。
「マール神は全てのマール教徒の守護者です。考えてみれば、彼らを迫害し得る存在である私が勢力を拡大するのを黙って見ていられる訳がないのです。何とか私を排除したい。それが無理ならばせめてマール教を敵視しないという保証が欲しい。……だからマール神にとって一番相性がよく、それでいて私にモノ申せる場所にいたクロード君を私の前に寄越したのではないか? ……と、まぁそんな感じですね」
アリスちゃんは一気に話し切ると大きく息を吐いた。
なるほど筋は通っている、と思う。
……というよりも、アタシたちが今まで絶対に触れようとしなかった神の声の真意を真面目に考えたことに驚く。
女王だって暇な仕事ではないだろうに。
ましてやアリスちゃんは相当活発に動いているのだ。
「おそらくマール神は今もクロードを通じてこの話を聞いているはずです。……だからこそ、ここではっきりと宣言いたしましょう」
彼女が身を乗り出すと、室内が完全に静まり返った。
「……私、水の女王国アリシア=ミア=レイクランドはこのセカイを統べる立場もしくはそれに準じる立場になるかもしれませんが、マール教及びマール教徒を絶対に迫害しないことを誓いましょう。マール教徒の信教の自由を認めることも誓います。……今は私が何をしようとしているのか、それを見守っていてくれませんか? もし、それでも私のことをセカイの敵だと判断するならば、そのときはお互いの存在を懸けて戦いましょう」
どうですか? と言わんばかりにアリスちゃんはクロードを見つめ返事を待つ。
正確には彼にだけ聞こえているであろう神の声を。
クロードはうろんな表情を見せていたが、突然頭を跳ね上げた。
「……『わかった。取り敢えずはセカイの敵だというのは取り下げよう。……我を落胆させるなよ』だって」
クロードが唖然とした表情で一点を見つめながら呟いた。
「そう? よかった。これで一つ胸の引っ掛かりが取れたわ」
アリスちゃんは安堵したように大きく溜め息をついた。
だけどこの場にいた人間はそれどころではない。
見渡せば全員が呆気に取られていた。
きっとアタシも同じようにポカンとした顔をしているに違いない。
まさかアリスちゃんとマール神が和解するなんて!
……これは、クロードが神の声を聞こえることを前提とするならば、だけど。
たとえ神の声がクロードの空想の産物だったとしても、クロードとアリスちゃんの和解だといえる。
まさに空転直下の展開だった。
「これからは是非皆さんもこの公館に遊びに来てくださいね」
ようやく落ち着いてきた空気の中、突然のアリスちゃんの発言に全員の目が再び見開かれる。
それを見た彼女は本当に楽しそうに笑い出すのだ。
今の発言はアタシたちを自陣に組み込むと宣言したも同然だった。
ある意味レジスタンスに対する宣戦布告とも取れる。
「別に貴方たちを引き抜くつもりはありませんよ。引き続きケイトさんの下で動いてください。……ですが、私たちとも仲良くしましょうねということです」
と言われても。アタシたちはお互い顔を見合わせる。
アリスちゃんが笑顔のまま何かの合図すると後ろのドアが開かれた。
紅茶器と茶菓子を持って部屋に入ってきたのはパールちゃんと……伯父様!?
二人で手分けしてアタシたちの前にそれらを置いて行く。
なぜ伯父様が給仕の真似事を?
アリスちゃんも伯父様のその姿を見て驚いたのか、声を上げて笑いだした。
「何やってるんですか!」
野性味溢れた男の人――ブラウンさんという名前だったか――も思わず立ち上がって声を上げる。
だが伯父様は笑顔のまま彼の前にも優雅な仕草で紅茶を置くのだ。
「……今ね、皆さんにこれからは女王国公館にも遊びに来てもらいたいとお願いしていたところなの」
アリスちゃんの言葉を聞いた伯父様の、その表情ときたら!
その瞬間まずアタシがオトされた。
伯父様にそんな嬉しそうな顔をされて断れる姪がどこにいるのか?
次に少女――パールちゃんがサファイアの後ろから抱きつく。
それでもサファイアはまだちょっとだけ迷っているようだった。
怖い思いをさせられたのだから仕方がないとも思う。
だけどパールちゃんの頬ずりで明らかに心揺らいでいるのが見て取れた。
そんな珍しい彼女を見て、何とも言えないほっこりした気分になる。
アタシたちが篭絡されるのは時間の問題だった。
「そうそう、あなたたち、……明日の決起集会はどのような恰好で出席するつもりなのかしら? ……まさかその冒険者の恰好で、という訳ではないでしょう?」
……え? どういうこと?
言葉の意味が分からず、みんなで顔を見合わせる。
「……やっぱり。どうせそんなことだろうと思ったわ」
アリスちゃんは額に手を当てると、大袈裟に溜め息を吐いて見せた。
そして説明してくれる。
決起集会とはいえ、貴族が列席する場なのだと。
普段の冒険者の恰好で出席すると悪目立ちしてしまうのだ、と。
……って今頃そんなこと言われても――。
「本当に準備しておいてよかったわ」
アリスちゃんが再び合図すると例によって扉が開き、今度はゾロゾロと色んな人たちが荷物を抱えて入ってきた。
無言で人の動きを眺めているとアタシとサファイアの前に大きな箱が置かれた。
そして仰々しく蓋が開けられる。
そこにあったのはびっくりするぐらい豪奢なドレスだった。
トパーズの前にはいわゆる僧服というものだろうか。
こちらは派手さこそはないものの、いい布地を使っているのは一目でわかった。
――そしてクロードの前にはいかにも聖騎士といった格好いい鎧。
「……これは?」
驚きで目を見開いたクロードが擦れた声で呟く。
「言っておくけれど、私からじゃないからね」
アタシのドレスはキャンベル家を中心とした旧聖王国貴族の有志から。
サファイアのは彼女の家族を中心とした旧公国の山の民有志から。
トパーズのは旧山岳国の全僧兵の頂点でもある老将軍ガイさんから。
――目の前の筋肉モリモリのお爺さんだ。
そしてクロードのは――。
「マインズの有志からよ。町長のアンドリューさんは相当張りきったみたいね。……孫のレスター君も一緒になって資金を募ったそうよ」
こんな立派な鎧を仕立てるのにどれだけのお金が必要なのか。
マインズもまだ安定とは程遠いだろうに。
おそらくマインズだけでは無理だろう。きっと女王国からも出ている。
だけどそれには触れずにマインズからだと伝えることに意味があるのだろう。
それだけマインズとクロードとの結びつきは強い。
「……レスター君も?」
クロードから表情が消えた。
「えぇ、あの子から手紙も預かっているわ」
準備していたのか胸元から取り出されたそれを震える手で受け取るクロード。
大事そうに開くと読み進める。
そして彼の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
「……今の僕はちゃんとあの子の前で胸を張れるのでしょうか? あの子の勇者として相応しい男なのでしょうか? ……本当に僕はこのままでいいのでしょうか?」
クロードから初めて弱音が洩れた。
今まで愚痴は言っても絶対に弱音だけは吐かなかったのに。
アリスちゃんは女王に相応しい意志の強い視線でクロードを見つめる。
そして順にアタシたちのことも見つめてくる。
その鋭すぎる眼光に思わず姿勢を正してしまった。
「クロード君、……いいえ、皆様は自分の心の中の正義に従ってください。このことは以前トパーズにも伝えましたが、どうか自分の目でそして自分の物差しで判断してください。突き放すような言い方になって申し訳ありません。……ですが私からは誰に従えだとか誰とは行動するなとかそんなことは言いません」
毅然とした女王アリシアがそこにいた。
横目で伯父様を見るとどこか誇らしげな表情をしていた。
自分たちが戴くに相応しい女王陛下を見つめる目だった。
アリスちゃんはそんな臣下たちに目を遣り、少しだけ温和は表情を見せる。
そして咳払いしてからアタシたちに向き直った。
「まぁ要するに、……私のコトを避けないで下さいというコトです」
そう言うと彼女は実に晴れやかな、人懐っこい少女の笑顔を見せるのだ。
アタシたちも一気に緊張が解けて思い思いに笑顔で頷き返す。
「……さて皆様、別室を用意しておりますので、そちらの方で衣装の裾直しを致しましょうか?」
クロエさんの言葉を合図にアタシたちの会談は穏やかな空気のまま終了した。
 




