元皇帝ロイ、至上の幸せをかみしめる。
今回はアフターストーリーをするにあたって、幸せにしたかった人です。
憧れのニールの部下として働き始めてそろそろ一年になろうとしている。
最初は皆、私のことを遠巻きに見ていた。
当然だ。……元皇帝なのだから。
今までは顔を直視することさえも不遜と言われ、常に俯きながら話しかけなければいけなった人間だ。簡単に仕事仲間に迎えてもらえる訳もない。
それでも厳しいニールに叱られて神妙な顔で頭を下げたり、元女王国の同僚たちに『ぼっちゃん』と呼ばれ肩を叩かれても平気でいる私を見て、そこまで気を使わなくてもいいかもしれないと判断したらしい。
私もいきなりの『ぼっちゃん』呼ばわりに最初こそ面食らったものが、よくよく考えれば彼らはアリシア女王陛下ですら気軽に姐さんと呼ぶのだ。
だから私もそういうものだと受け止めて気軽に返事していた。
そこから私が馴染むのはあっという間だった。
あの真面目で気難しい顔をしているキャンベル殿やマグレイン殿までにこやかに私のことを『ぼっちゃん』と呼び、昼食を共にしてくれていたのだ。女王国をあげて私を国に溶け込ませようとする努力は相当なモノだったに違いない。
そう思うと彼らへの感謝の想いは絶えない。
その気持ちに応えられるよう、日々新しい驚きの中で仕事に取り組んだ。
「――帰るのは少し待っていてくれないか？」
仕事を終え、帝都の屋敷――女王陛下に用意してもらった丁度いい大きさの中古邸宅――に帰ろうとしていた矢先、ニールに呼び止められた。
彼も当然ながら私に敬語を使わない。
『貴方が敬語を使っているうちは絶対にロイは国に馴染めない！』と陛下に口酸っぱくいい含められたからだ。私を呼び捨てするのに中々覚悟を決められないニールの姿はどことなく哀愁が漂っていて皆がハラハラしていた。
その時期だろうか、私があちこちで『ぼっちゃん』と呼ばれ始めたのは。
「何でしょうか？」
逆に私は敬語を使う。
一国の宰相を呼び捨てに出来る存在など女王陛下だけ、当然の話だ。
もう完全に上下関係が出来上がっていた。
「今日、君に会わせたい人間がいる。帰りにでも我が家に立ち寄ってくれないだろうか。……私の仕事もまもなく片が付くから。もうしばらくだけ待ってほしい」
「――それならばコレは私が頂いていきましょう」
その声とともにニールの後ろからニュッと手が伸びて来る。そして彼の机の上に束になって積まれていた未処理の仕事がごっそりと持ち上げられた。
横取りしたのはアラン＝マストヴァル。かつてのヴァルグラン領主だ。
驚いた表情のニールが振り向くと、彼は茶目っ気たっぷりの表情で片目を瞑る。
彼も私同様、ずっとニールの部下として働くのが夢だったらしい。
元皇帝である私がニールの部下になれるのなら自分もなりたいと、娘であるアンジェラ嬢が嫁ぐのとほぼ同時期に帝都へやってきた。領主位は息子のカイルを説得して円満に譲ったとのこと。
今は帝都でご婦人と二人っきりの新婚生活もどきを満喫しているらしい。愛妻のお腹には三人目の命が宿ったと聞いた。
私や手のすいた人間も次々とニールやアランの机から仕事を奪っていき、あっという間に片付いた。
「――以外に早く終わったな」
そう嬉しそうに呟くニールの馬車で屋敷に向かい、早々に彼の私室に案内された。
緊張して待っているとノックと共に「……失礼します」の声。
「入り給え」
入ってきたのは平民の恰好の男性。……私よりも年上だろうか。
「彼は我が屋敷で働いてくれているランディだ」
その声は聞こえていなかった。私は彼の顔に釘付けになっていた。
名前はともかく、彼が誰なのかは教えてもらうまでもない。
それぐらい、私によく似ていた。
「……兄上、……なのですね？」
驚きのあまりかすれて声が出ない。それでもちゃんと伝わっていたようだ。
彼は目を見開くと瞳から大粒の涙を零し、慌ててそれを袖で乱暴に拭った。
「……私のことを兄と呼んで頂けるのですか？」
その言葉に今度は私の頬に涙が伝う。
「何をおっしゃるのです。私こそ、あなたからご両親を奪った者。殺されても文句はいえません」
兄上の存在は知っていた。
――健康で子供を産める若い女性。それこそ兄上の母が私の母候補として選ばれた唯一無二の条件だった。彼女は兄上を産むことでそれを証明した。
巻き込まれてしまった幸せな家族からすれば悪夢でしかなかったはず。
絶対に会うことはないと思っていた。ずっと憎まれていると思っていた。
「そのようなこと……」
目の前の彼は顔をくしゃくしゃにして涙をボロボロとこぼし続ける。
私の瞳からもそれに呼応するかのような涙が流れ続けた。
そんなところに不思議な魂のつながりを感じた。
やはり子供の頃はずっと私を恨んでいたのだという。
だけど全ての事情を知ってからは、ちゃんと会って謝りたいとそればかり願っていたのだと。
弟が苦しんでいたのに、一人きりにしてしまったこと。
兄上の口から絶え間なく洩れる後悔の言葉を、私たちは黙って聞いていた。
「元はといえば私の責任なのだ」
ニールが私たちに詫びる。だけど私にそれは必要なかった。
「私はあなたの忠誠を疑ったことは生まれてこの方一度たりともありません。あなたが必要だと思ったからそのように手を講じたのでしょう。ならば私はあなたを全面的に支持します」
私の言葉にニールはハッとしたように顔を上げた。
「……どうしました？」
「いえ、その言いようがあまりにも先帝によく似ていらっしゃったので。……あの方も私のことを疑おうともされませんでした」
その後わずかではあるが、兄弟水入らずで穏やかな時間を過ごさせてもらってお暇する。兄上と今度はお互いの家族と一緒に会いましょうと約束した。
何気ない気持ちの高ぶりで再び涙が零れそうになるのを堪えるように、私は夜空を見上げながら家路につく。
出迎えてくれた妻に遅くなったことを詫びると、彼女は笑顔で料理を温め直してくれた。
妻は元々領主の妾腹で母一人娘一人で暮らしており、召使いなどいなかった。
だから家事などもお手の物で、むしろ城に居たあの頃よりも生き生きしている。
いつ死ぬかわからない、誰の息子かもわからない、敵だらけの皇帝に嫁いできた不憫な娘。
それでも彼女はいつも明るく気丈で、私に寄り添ってくれていた。
二人で料理を食べながら今日兄上に会えたことを興奮混じりで話す。
彼女も話が進むにつれ涙目になっていった。
聞き終わると妻は深呼吸して居住まいを正した。
ただならぬ雰囲気に私の背筋も伸びる。
「……実は今日、マストヴァル家のディアナ様の付き添いでお医者さんにかかってきました」
こんなに元気そうなのに。
私の心配げな視線に気付いたのか彼女は笑顔で首を振った。
だけどちょっと失敗して泣き笑い。
「ディアナ様がもしかしたらと連れて行ってくださったのです。検査をしたら彼女の推察通りでした。……赤ちゃんが出来ていたそうです。ロイ様と私の赤ちゃんです！」
彼女の瞳から止めどなく涙がこぼれる。
そのあまりに美しい彼女を私は呆けたようにずっと眺めていた。
今日ほど生きていてよかったと思える日は無かった。
私はいつの間にか零れていた涙を先程の兄上のように袖で乱暴に拭うと、彼女の横に駆け寄り力いっぱい抱きしめる。
いつ死んでもいいと思っていた。
生まれた瞬間から多くの人を不幸にしてきたのだと自覚している。
両親はもちろん、正妃様そして二人の兄上と二人の姉上。
そして今日初めてお会いした兄上とそのお父上。
こんな危うい立場の私に嫁ぐよう、帝都に送り出された妻。
全員が私という存在の被害者だった。
子供を作れば真っ先にその子が命を狙われかねない。
だから妻と相談して作らないと決めた。
そもそもこのセカイにおいて、マール神が私に課した役目は殺されること。
私は生きていることに何の意味もない人間だったのだ。
死ぬことでようやくセカイの役に立つ人間だった。
そんな私に幸せになる資格などあろうはずもない。
だけどあの日、あの会議で私のセカイが一変した。
――私は幸せになってもいいのだ。
今すぐにでも庭に飛び出して「セカイで一番の幸せ者はこの私だ！」と大声で叫びたかった。
これも絶対に外せない話でしたね。
本編ではセリフすらなかった人です。ただ殺されるだけ。
殺されることが前提の駒だった人です。
だけどセリフを与えれば人格が出来上がります。
何気ない一言が彼の幼少期を連想させます。
小説って面白いなって思いました。
