エピローグ 残るセカイ
「――夢ッ?」
オレは慌てて飛び起きた。
以前こんなことがあったと思い出して寒気がする。
まさか、本当に?
その声に慌てたのか部屋に入ってきたのは貴婦人。
彼女がまだ視界の定まらないオレに近づいて顔を覗き込んできた。
ようやくはっきりと見えてくるようになった。
彼女は、クロエ――ではなくパールだった。
「どうかされましたか?」
本格的にクロエに弟子入りして帝国淑女のイロハを叩きこまれ、更にウィルの母からも娘同然に山岳撫子教育を与えられ、いまやこの国随一の女性といっても過言ではない存在。
ハルバート夫人。――パール=ハルバート。
彼女は子育てを終え、先月からオレの側付き兼相談役として王宮に復帰した。
見下ろすと綺麗に手入れされているものの、それなりに歳をとったオレの手。
それもそのはず、あの日から既に三十年近い年月が経っていた。
「……いえ、何でもないわ。ちょっと昔のことを夢に見たようね」
素っ気なく伝えると彼女も無理に訊こうとはせず、笑顔で頷くに留める。
パールは三人の子宝に恵まれた。――ただし全員息子だった。
本音を言えばウィルは娘が欲しかったのだろうが、こればっかりはそれこそ神にでも頼むしかないだろう。
だが先日彼らの長男はマストヴァル家当主であるカイルの長女と結婚した。
ウィルとカイルは同年代と言うこともあって、実に良好な関係を築いている。
前回でも彼らは仲良しになっていたから元々そういう結びつきの強さもあったのだろう。
二人とも初恋の平民女性と結婚したという共通点もある。
そのこともあって世間からは両者とも時期女王の父親レースからは脱落したと思われていた。
しかしここで一発逆転の目が出てきたという訳だ。
マストヴァル家の力はいまだ健在。
ウィルは父ジニアスの後継者として東方3国全体の統括を任されており、ある意味領主数人分の発言力を持っている。
そんな両家に孫娘が生まれれば分からない。
あとはオレの寿命次第か。
まだ生まれてもいないが、その娘がそれなりの年齢になるまでは生きておいて欲しいはず。
だからこそオレの身辺警護の為にパールを寄越したのかもしれない。
ウィルならばそれぐらい考えていても不思議ではない。
オレの見えないところで、それなりに様々な思惑が渦巻いているのだろう。
オレは無言で立ち上がると姿見の前に立った。
パールは笑顔のまま、あの頃のクロエのように身だしなみを整えてくれる。
鏡に映った彼女は凄みを得て堂々たる風格を纏っていた。
この娘もこの国を取り巻く環境の中で、それなりに強くなることを求められたのだろう。……その日々によって、あの頃の可愛らしいパールを奪われたことが少々残念ではあるが。
更にその後ろにちょこんと映り込んでいるのは山猫のリーダー。
山猫の仕事も時代と共に緩やかに変わってきたが、それでもオレの身辺警護は相変わらず彼女たちがしっかりとやってくれている。
特に今のリーダーは優秀なことで国中で名が知れ渡っていた。
「せっかくだからあなたも女王候補に名乗りを上げてみたらどう?」
オレは鏡越しに視線を合わせて訊ねる。
「……あっしはそんなのマジ無理って知ってるッスよね? ……しかもあの二人を相手にどうこうするなんて死んでもイヤっす」
彼女は母親譲りの端正な顔を歪ませた。
……そんな弱り切った表情が父親に似ていて、いつも揶揄いたくなる。
あの二人を両親に持ったことで、生まれながらにしてオレたちのおもちゃ決定の可哀想な娘だ。
身だしなみを整えてくれるパールと鏡越しで視線を合わせて笑った。
「ねぇ、パール? あの子、素材としては抜群なのだけど、貴女なら何年で形にデキる?」
パールの現役時代さながらの鋭い視線で鏡越しに射抜かれた彼女は、まるで獣のように視線を外した。
勝ち誇ったかのような笑みをみせるパール。
「そうですね、五年、いや三年で……」
「いや、ホント、マジ勘弁してください」
彼女は逃げるようにして鏡の中から消えた。
それを二人して笑顔で見送る。
女王国はあれから続々と子供が生まれた。
何せ女王であるオレと主神マリスミラルダ公認で女王争いが許可されたのだ。
むしろ激しささえ求められているという有様。
来るべきの為の多数派工作は水面下で収まらない。
それでも民からの信頼を得る為、治政もしっかりとこなす。
確実に民を取り巻く技術や生活水準は前へと進んでいた。
その中で女王候補に名乗りを上げ、堂々と王道の先頭集団を突っ走っているのが二人。
元宰相ニールとアンジェラの娘。
そしてロレントとケイトの娘だ。
大方の予想通り、彼女たちはまだ幼いといわれる時期から頭角を現し、早々にオレの側近として送り込まれてきた。
突っぱねても仕方ないので、引き取って女王として知っておくべき仕事のイロハを叩き込む。
今はどちらも中枢でバリバリと仕事をしている。
公然と派閥をつくり姫様ように扱われている彼女たちが、昼食時には何故か二人きりで顔を突き合わせて黙々とご飯を食べる姿は嵐の前の静けさを感じさせて面白い。
それを皆が遠巻きで眺めているのも――。
ちなみにあの後テオドールとクロエの間にも子供が出来た。
最後の最後できっちりそういう勝負に打って出られるあたり、流石はクロエだと感心したモノだ。
妊娠したと報告を受けた娘のケイトは大きなお腹を抱えて絶句したらしい。
……だけど生まれてきたのは男児だった。
それでもテオドールは愛の結晶でありターナー家次期当主の誕生に大喜びしていたし、クロエも幸せそうに赤子を抱いていたが、二人っきりになってからオレの耳元でそっと「そんなに上手くいくものでもありませんでしたね」と小さく呟いた。
だがその子が将来、誰の婿になるのかでセカイの状況が一変しそうな気配がする。
「――ねぇ、アリス様?」
オレに耳飾りをつけながらその耳元でパールが意を決したかのような固い表情で囁いた。
「なぁに?」
「アリス様は、本当は男の人なんですよね?」
「……ん? ……まぁ、そうね」
「もしかして私のこともそんな風に思ってくれていますか?」
いつかは来ると思っていた質問だったが、ここで来たか。
「そんなって、なぁに?」
だけどはぐらかす。いつものように笑えているだろうか?
「その、女性として、ボクを、その、性的に?」
言わんとすることは十分理解できている。
それにパールの言葉遣いが昔に戻っていた。
それだけ彼女も必死なのだろう。
「もし、そうなら……いいですよ? ボクもアリス様のこと、大好きですから。……その為に側近に、志願しました、し……」
赤くなってモジモジしているパールの可愛さに、思わず吹き出してしまった。
正直オレ自身、メイスなのかアリスなのか分からない部分がある。
少なくとも今はメイスだと思っている。
だがあの広間でマールと交渉したのは、間違いなくアリスだった。
完全にオレの中で切り替えがあった。
――メイスがあの場をアリスに任せた感覚。
明らかにアリスとして動いた方が頭の回転が速かった。
おそらく自分の中でメイスの部分が強く出ると『あの破滅』が待っていて、アリスが強く出ると今の平和につながるのだろう。
何となくではあるがそんな感じだと考えている。
きっとオレの中にはアリスとメイスが同時にいるのだ。
ずっとアリスを演じてきたつもりだったのだが、アリスはもう一つの人格として確かに存在していた。
「ありがとう。でも、私はこのセカイに生まれ変わるときに女になることを選んだの。……何となくで選んだのだけれど」
本当に適当だった。
せっかくだから女の恰好でいろんな服を着たり、違った言動を楽しみたいと、ただそれだけだった。
まさかその頃はこのセカイにここまでの愛着を持つとは思っていなかったし、人生の大部分を女王として過ごすことになろうとは夢にも思わなかった。
――それでも、これがオレの選んだ生き方だ。
「もし男だったら、きっと貴女を手に入れようとしていたわ。実際に何度も『オレが男だったらコイツを自分のモノにしたのに』って思ったし、ね?」
オレの珍しい男セリフにパールは頬を染める。
「でも、もし私が男として2周目を始めていたら、きっとこのセカイは私のモノになっていなかったわ。それも事実なの。それに私はセカイと貴女を天秤にかけて貴女を選ぶ自信はない。そういう意味では私は貴女に相応しい男ではないわ。実際あの2周目では貴女を切り捨てる方を選んだ訳だし。……だから、これ以上滅多なこといわないの。貴女にはウィルがいるんだから。……絶対に彼は貴女とセカイを天秤にかけたりはしないわ」
ことさら真剣な表情を作って見せた。
それでも彼女は食い下がる。
「……でも、ボクだけ幸せで、アリス様だけ、その、何か悪いです。……別にアリス様が幸せでないとかそう意味じゃなくて、その何というか……」
パールはしどろもどろながら一生懸命に訴える。
「ありがとう。……まぁ、気持ちだけでも貰っておくわ」
オレは振り返って昔のようにパールの頬を引っ張った。
「――ねぇ、そんなコトより、今度休みが取れたら久し振りに狩りにでも出かけましょうか?」
ちょっとだけ変な空気になったのを変えようと声を張り上げる。
パールも頷くと少女の頃のような笑みを浮かべた。
「いいですね! ……あの塩を振った肉を思いっきり食べたいです!」
「もうみんなオジサンオバサンになっちゃったけれど、まだ身体が動く人間は女王命令で総動員しましょう!」
「はい! 今晩帰ったら早速、現役時代の短剣を研いでおきます!」
パールはもの凄く嬉しそうな顔で目を輝かせる。
「サファイアにも声を掛けておいてね」
「もちろんです!」
そんな話をしながらでもパールの手は止まらない。
あっという間に準備が整った。
「さて、そろそろ行きましょうか」
これから定例会議が始まる。
女王、それももうオバサンだから激務こそないが、それでも女王としての仕事は山程ある。
パールが笑顔で扉を開けた。
そしてあの頃のように、オレたちは二人して腕を組みながら部屋を後にした。
〈アナザーストーリー編 完〉
最後まで読んで頂きありがとうございました。
アリスは本当に恐ろしい娘でした。
私を相手取り、自分と仲間とその子孫そしてセカイを守り通しました。
正直、作者としてはこのセカイは本編で終了しておりました。
短編集も適当な場所で閉じるつもりでした。
有難くも感想欄などでハッピーエンドを望む声があり、私自身もその気になったものの、中々上手くストーリーが組み上がりません。
ですので苦肉の策として、一度アリスに自由にさせてみることにしました。
彼女に話したい会話をさせ、動きたいように動かしてみる。
そうしたらこんな感じの話が出来上がりました。
あの白銀城でのアリスとマールの会話はまるまる私の脳内で起きていた会話でした。
大団円を望むアリスとその終わり方自体は上等だが、もっと激しさを求める私。
その中で彼女は私にあれを提示したのです。
あの例の挑発的な表情で。
「――これならば短編のネタにも困らないでしょう?」と。
「このセカイを残してもいいですよね?」と。
私はその説得に応じ、このセカイ(作品)を残すことにしました。
一応この物語は一つの完結を迎えましたが、完結設定はしません。
アリスのアドバイス通り観察を続けるつもりです。
幸いネタは豊富にできました。
パールがいかにして帝国を代表する淑女になりえたのか、その裏に山岳撫子の正当後継者であるウィルの母あり、とか。
ケイトの娘とアンジェラの娘の人知れぬ友情とか。
ブラウンとマイカの娘が両親の馴れ初めを知りたがって、よりによってアリスとクロエに教えてもらう、とか。
本当に色々あります。
ですが一旦このセカイを離れて新作に取り組むことにします。
定期的に短編を置いて行きますのでこちらもよろしくお願いします。
長文失礼しました。




