第6話 ニール、手紙を受け取る。
ヴァルグラン領境を挟んでレジスタンスと睨み合っているとの報告を受けて、急ぎ軍を編成派兵した。
滞りなく日程をこなし、近日中にはヴァルグラン入り出来るとのこと。
ヴァルグランでは小競り合い程度の戦闘こそあるものの、両者ともに大した被害は出ていないという話だ。
一応レジスタンスにも理性は残っているようで何より。
ロレントがリーダーとして公然と名乗りを上げたらしいが、実質取り仕切っているのはテオドール=ターナーのはず。
――そして彼の妻はメルティーナ。
彼らがしっかりと手綱を引いているなら暴走はないと考えていたが、一安心。
ウラでは活発に動いている女王国も、軍自体はイーギス以後おとなしくしてくれている。
いずれ内戦が始まると思っていたが、国を滅茶苦茶にするような展開を避けたいのはお互い様だろう。
戦争をしないのが理想だが、するならするでこういった理性の働いた状況での戦争を継続していきたいというのが偽らざる本音だ。
そういう意味では上々の滑り出しといえる。
今後に向けての充実した会議を終え、執務室の扉を開くと――。
誰もいないはずの部屋の真ん中にポツンと見慣れない少女が立っていた。
……!?
……衛兵は何をしていた?
いや、そうではない。
衛兵が機能する時点で潜入は失敗なのだ。
ヤるならば最高の駒で。……一発で仕留める。
「なるほど! いやはやレジスタンスも思い切った手を使ってくるものだ。安心させておいて一気に私の首を取りにくるか。……見事だな」
もはや感心しかしない。完全にしてやられた。
恐ろしく鮮やかな一手。
これで帝国はレジスタンスのモノだ。
「違います!」
私の言葉に激しく反応した少女が何度も首を振る。
ブンブンと。手もワタワタしている。
改めて見ると本当にあどけない少女だった。
「ボク……ワタシはアリシア女王陛下の遣いとして、この手紙を届けに来ただけなんです! 信じて下さい! 本当に違うんです!」
……女王の子飼いか。
少女は焦った表情のまま懐から手紙を取り出し差し出してきた。
そもそも最初から娘は武器を手にしていなかったのだと、今更ながら気付く。
一応私は警戒心を解かず慎重に近付き、突き出されたままの手紙を受け取った。
『宰相殿へ』と一目見て分かるアンジェラによる筆跡。
それだけで一気に鳥肌が立つ。
女王国がコレを私に届けるという意味が分からないほど馬鹿ではない。
反射的に目の前の少女を睨みつけると困ったような表情で目を伏せた。
心を落ち着かせる為に一呼吸おいて来客用ソファに腰掛ける。
そしてゆっくりと手紙を開いた。
しかし手紙の内容自体は想像していたよりも遥かに穏やかなモノだった。
いつも同様丁寧な筆使いで、それだけ取ってみても切迫した状況ではないのだと十分理解できた。
私も家族も領民も無事だから安心してくださいとのこと。
ただ今後は中立を約束することになった、と。
ヴァルグランに向かっている援軍と不測の衝突を避けたいので、宰相殿の名前で命令を出して兵を引かせて欲しいとのこと。
アリシア女王からの手紙も是非一読を、とのこと。
最後にご自愛くださいとの結び。
手紙を読み終えると息が洩れた。
レジスタンスの中に『穏便に済ませる』という選択肢があったことに驚いたが、手紙の中に女王という言葉があったこと、そしてこの手紙を女王の遣いが持ってきたことから考えて、女王が立案し妹がそれを採用したのだと推測できた。
手紙を畳み顔を上げると、少女が違う手紙を差し出してきた。
「それがアリシア女王の手紙なのだな?」
少女は無言で頷く。
親書の割に内容は実に簡潔だった。
ヴァルグランは既に係争地ではないこと。
女王国としても、この先戦争するつもりはないということ。
もし戦争が起きるとすれば、帝都側からの宣戦布告によるものである、と。
是非話し合いの場を設けたいので協力を要請する、と。
そちらの指示する日に白銀城を訪れるので、決まれば使者をポルトグランデに派遣して欲しい。
レジスタンス側の出席者は中枢部の人間と貴族や領主たちなどで、帝都に入る軍人は護衛に必要な最小限に留める。教会関係者と女王国関係者も参加したい、と。
あくまで用件は話し合いなので、そちらも余計な緊張を強いるような出迎えだけは絶対に避けて貰いたい。
その場でアンダーソン一族がなぜこんなにも皇位継承に介入するのかを問いただすつもりだ。
ただの私利私欲なのか、それともセカイの根幹にかかわる事情なのかを詳しく。
何らかの脅威が迫っているのであれば女王国としても他人事ではない。
是非知恵を出し合いたい。
皆で納得できる結論を出せることを期待している。
まずは城内で相談の程を――、と。
一読し深く息を吐いた。
女王はそこまで知っているのだ。
その上で詳しく話を聞きたいと……。
「あと、クロ……メルティーナ様からの手紙も預かっております」
どう考えてもメルティーナがウラにいるのは明らかだった。
辺境の女王が知っているはずがないのだ。
アレの考えていることは昔から意味不明だったが、今回はケタが違う。
本当に同じ両親から生まれたのかと疑問に思う。
一体何を企んでいるのか?
セカイはアイツのおもちゃではないというのに!
「――クロエさんはボクにとってもう一人のお母さんなんです。そんな悪い風に思わないで貰えますか?」
少女は急に鋭い目つきでこちらを睨みつける。
殺気を纏った雰囲気に思わず圧倒されてしまった。
私の考えていることの一部分でも読み取ったのか。
これでも長い間宰相をやっているのだ。
それ程簡単ではないはずだ。
おそらくこの娘は女王か妹、もしくはその両方から何らかの教育をされたのだ。
知らず知らずのうちに。
……女王国がこんな娘を量産しているのだとしたら。
簡単に敵の急所を突くことが可能なあどけない少女たち。
考えただけで恐ろしかった。
「すまないな。君にとって妹は大事な人なのだな。……ありがとう」
私の謝罪に対して少女は驚いた顔をしたかと思えば、今度は目に見えてアタフタする。
「あ、あう。その……忘れていました。宰相殿はクロエさんのお兄ちゃんだったのでした。こちらこそ失礼なことを言っちゃってごめんなさい!」
そして物凄い勢いで落ち込む。
この起伏の凄さはシーモア並みだ。
ただアイツは自分でそれを意識して切り替えている。
それと違いこの娘は不安定なコトこの上ない。
理解しがたい歪な存在だった。
それにしてもお兄ちゃんと、な。
私たち程その言葉が似つかわしくない兄妹も珍しいだろう。
どうせ、アイツは私のことをアレだの真面目なだけで融通の効かない男だの好き放題言っているに違いないのだ。
少女がクスリと笑った。
「……心を読んだのか?」
「いいえ、顔に出ていました。でも当たりです」
なるほどこの娘はそういった洞察力に優れているのか。
注意するに越したことは無い。
そんなことを考えながら妹の手紙を開く。
――アレからの手紙?
生まれて初めてもらったかもしれない。
不思議と心が躍るのを感じていた。
ただ内容自体は恐ろしい程薄いものだった。
使者の少女は女王の最側近だから必ず生きて返せ、と。
アンジェラ嬢みたいな親子程離れた年齢の娘に手を出すヒマがあるならばもっと国の為に働け、とも。
……二十年ぶりぐらいの兄妹の交流がコレなのか?
女王から何か書けと言われたので仕方なく書いたという感じ。
そんな苦り切った妹の顔がアリアリと浮かんできた。
目の前の少女もそのときの光景を思い出したのだろう、声を上げて笑っていた。
せっかく穏やかな雰囲気になったのだから、今後の為に生きた情報を手に入れたい。
ここからは私の手番だ。
この娘なら別に気を悪くしたりしないだろう。
どうせそれも含めて、あちらはこの娘を差し出してきたのだ。
――好きなだけ聞けばいいと。
「私からも聞きたいのだが、女王国は帝国をどうするつもりなのだろうか?」
「えーっ、その、……」
いきなり切り込んでみると困った感じの娘。
まぁ、見るからに政務官向きではないからそういう話は最初から期待していない。だが妹の手紙でこの娘は女王の最側近とあった。
「……あぁ、そういえばまだ君の名前を聞いていなかったな」
ここで話しやすくしてやる。
「あ! はい! パールと申します。いっ以後、おみ、おみしりおきを!」
「だから落ち着きなさい。無理して敬語を使わなくてもいい」
「……はい、ごめんなさい」
例によって落ち込む少女。
まただ。やはり起伏が激しすぎる。
私がいじめているみたいで心苦しい。
「取り敢えず座りなさい」
私が向かいの席に勧めると、彼女はしおしおと肩を落としながら着席する。
「心配しなくても女王からの申し出は受けるつもりだ。一応皇帝陛下や他の者とも相談はするが、会談は開かれるだろう。……その上で私としても和平の為に必要な情報が欲しいというだけのことだ。だから君――パール殿と話してそれの糸口をつかみたいと――」
優しく諭すように話すと彼女はがばりと顔を上げる。
そして輝くような笑顔を見せた。
「そのことでしたら、ボクの話せる範囲で全て話していいとアリス様はおっしゃっていました。『少なくとも女王国は宰相殿とコトを構える気はない』とのことです。ボクも今ここで宰相様には指一本触れないとで誓います。……あと実はこれは密命なのですが『最悪の状況、たとえばもし宰相殿が襲われそうな現場に居合わせたとしたら、相手を殺してでも守れ』と言われています」
それは今伝えなくてもいいことだろうが、根が素直な娘なのだろう。
好感が持てた。
それに彼女はさりげなく『女王国としては今私に死なれるのは困る』という情報を寄越してくれた。
私を殺そうとする人間は陣営問わず敵だとも。
会談を行うこと、そしてその内容にこそ価値があると考えているのだ、と。
私の話を聞くことか、そこで何かを発信することか。
どちらにしろ女王国は会談を行う為に全力を傾けている。
ヴァルグランの件を穏便に片付けたのもそれが理由だ。
そこを見極めたい。何を話したいのか。
何が目的なのか。
女王国の着地点はどこなのか。
「アリシア女王というのはどんな御方だ? ……別に弱みを握るとかではない。ただ書類による報告でしか知らないものでね。それも随分と偏っている。君のような素直で洞察力に優れた人間がそこまで信頼している女王陛下が、報告通りの悪鬼羅刹のような人間だとは到底思えないのだ。……だから側近である君の言葉で彼女のことを知りたい。仲良く話し合うにしても人となりぐらいは知っておきたいだろう?」
私の言葉にパールは大きく頷いた。
「はい! アリス様はですね! ……えへへ、凄くかっこいい人ですよ。憧れちゃいます! それでですね――」
そこから称賛の言葉が続くが、正直よくわからない。
ただひたすら崇拝しているという感じだ。
きっとこの娘にとって女王は神なのだ。
神聖にて不可侵な存在。
もし手にかけようとすれば、少女は容赦なくその相手を喰らい尽くすだろう。
これでは全く参考にならない。
知っている人間で聞かないと――。
「では、メル――クロエはどうだ?」
「クロエさんはですね。……えへへ、大好きです! 優しくて、だけど厳しいところもあって。色々作法とかも教えてくれるんですよ! この前もですね――」
……ああ、ダメだな。これは。
あの妹でさえこの娘にかかればどこの聖女かという話になる。
何かを隠しているのではないだろう。
こういう娘なのだ。
この純粋過ぎる少女は『夢』の中にいるのだ。
おそらくこの娘だけではないはず。
純粋な臣下、純粋な国民。女王は彼らに夢を見せる。
そうやって皆を手玉にとる。妹がそれに力を貸す。
その構図が見えた。
きっと妹は嬉々として少女たちの前で優しい淑女の仮面を被っているのだろう。
――来るべき時に向けて。
その女王と妹が話し合いを求めている以上、戦争は回避したがっているのは間違いない。
今はそこに懸けるしかなかった。
娘が帰って私はようやく一息つく。
彼女は目一杯大好きな人の話をすることが出来て良かったと喜んでいた。
また一緒にお話して下さいねと、手を振って帰る後ろ姿の無邪気さに笑いしか出てこなかった。
……まずはこの件を陛下に報告しておかなくては。
会談の為にあらゆる陣営の者が城にやってくるらしい。
それら全員を迎え入れるとなると――。
少々頭が痛いが、話し合いで解決できるならばそれに越したことは無い。
もちろんあちらは何かしら仕掛けてくるだろうが。
セカイの秘密をどこまで知っているのか、というのもある。
あのことを陛下にも伝えるべきか?
私自身も半信半疑なあの言い伝えを。
一族の主義には反するだろうが、その話題が出て先手を取られるよりはいい。
……別に全てを伝える必要はないのだ。
その辺りのことを一人部屋で考えていた。




