雲雀との戦い
「なんだここは? 幻術か?」
朱猴が不思議に思うのは無理もありません。砦の中に居たと思えば、山中の洞窟内に居たのですから。
石造りの洞窟。人間どころか鬼が生活しても平気な広さと高さを備えていました。
朱猴は知りませんでしたが、ここは今は亡き酒呑童子と茨木童子が拠点としていた大江山にある根城とまったく同じでした。
「嫌な感じがするな。一応、術を発動させておくか。……よし。でも式神を探さないといけねえけど、どうしたものか」
周りに松明があるため、閉ざされた空間ではありますが、ちゃんと視認できます。
それにもかかわらず、式神の姿は見えません。一体どこに隠れているのでしょう。
「もしかして居ないのか? こりゃあ幸運だぜ。ささっと先に――」
自分にとって都合の良い考えをした朱猴でしたが、それが裏切られる結果になるのはすぐでした。
殺気。咄嗟の判断でその場を転がるように回避する朱猴。
「はっ! いきなりの奇襲かよ!」
朱猴が居た場所には大きな穴が空いていました。しかし式神の姿どころか影も形も見えません。
「なるほどな。つまり――上か!」
朱猴は天井を見ました。
そこには鳥のように羽ばたく女性が居ました。彼女は朱猴と視線を合わせると、そのまま物凄い勢いで突貫してきます。
「うおおお!?」
危うく衝突してしまうのを避けた朱猴。式神は地面に当たる寸前で上昇します。
「おいおい。なんだよ。式神ってのは埒外の存在なのか?」
驚きよりも呆れが勝る心地でしたが、それでも上空の式神をどうにかしようと朱猴は火遁――いえ火炎遁を行使します。
「火炎遁――業火滅却!」
朱猴が今まで放った火遁とは比べ物にならない威力。式神は炎に包まれてしまいます。
「ふん。あっけないもんだ。これでここは通れるのか?」
人間ならば炎に包まれれば一巻の終わりでしょう。
だけど朱猴は忘れていました。
相手は式神であることを。
「もう! なんてことするのよ! あんた阿呆じゃないの!?」
驚きのあまり後ずさってしまう朱猴。
「……本当に埒外なんだな、式神は」
炎を転がりつつ消しながら、彼女は身体を起こしました。
妖艶な美女と言うべき感じで、ひらひらとした赤い服装が特徴的。手には羽毛でできた扇を持っていました。
「あら。良い男じゃないの。目つきが少々気になるけど。初めまして。あたしは雲雀。よろしくねん」
自己紹介してけらけら笑う式神――雲雀。
「ご丁寧にどうも。俺様は朱猴。遁術使いの忍者だよ」
朱猴は苦無を構えつつ、相手の出方を窺います。
「はあ。こんな状況で会わなかったら素敵な友人になれたのに。残念だわ」
「そうかい。俺様もあんたみたいな魅力的な女と殺し合うのはとても残念だよ」
それにしてもと朱猴は思います。
「式神って子どもや女が主流なのか? いや、武者っぽいのも居たな」
「あたしは特別なのよ。そういえば名田川の戦いで川岸で見たことあるわよ、朱猴くん」
「うん? ああ、そうだな。思い出したけど、老人もいた気がするな」
すると雲雀はにやにや笑いました。
「老人――氷亀って言うんだけど、あれの後に創られたのよ。氷亀の反省でね。若さと華麗さを重点に創られた、最後の式神よ」
「ふうん。じゃあ四体の式神の中の新入りって奴だな」
「何よ? 不足なわけ?」
「いや。厄介だと思ってな。一番新しく創られたってことは他の欠点を補っているわけでもあるだろう?」
和やかに語りつつも油断も隙も作らない朱猴。
「あっは。そういう風に評価してくれたのは朱猴くんが初めてよ」
「そうかい。なら戦いに手心を加えてもらえねえか?」
「それ無理。あたしは吉平くんを裏切るわけにはいかないから」
それから真剣な表情で言いました。
「吉備太郎くんみたいに、吉平くんの心を傷つけた阿呆とは違うのよ」
「裏切りねえ。そこらへんは見解の違いって奴だな」
あくまでも冷静な朱猴に対し雲雀は「あたしたちは魂を分かち合った親子のような繋がりを持っているの」と言います。
「吉平くんの痛みや苦しみを直接感じられる存在なのよ」
「あっそ。俺様から言わせれば人形遊びに近しいけどな。精神を分かつなんてことはよ」
雲雀はあからさまに不愉快な表情を見せました。
「まあ誰にも分かってもらえないわね。吉平くんの苦しみなんて」
「ああ。分かるはずもねえよ。俺様は吉平じゃねえんだから」
問答は終わりとばかりに朱猴は右手に構えた苦無の先を雲雀に向けます。
「悪いが再起不能になってもらう」
「飛び道具? このあたしに対して? ふざけたことを――」
最後まで言い切らせないまま、朱猴は苦無ではなく、左手で手裏剣を投げつけます。
不意打ちでした。普通ならば避けることはできません。
そう普通ならば。
「式神奥義、『風力操作』よ」
扇を振るうと、手裏剣は突然起こった横風に当たって、狙いが見当違いの場所へ飛んでいきました。
「……面倒だな。風を操る力か」
一目で看破したのを見て、雲雀は口笛を吹きました。
「凄いわね。ご明察。あたしの力は風そのものよ」
「火炎遁を受けて無事なのは、真空を作り出したからか?」
「それも正解。この扇を振るうだけでどんな風も作れちゃうのよ。たとえばかまいたちとかね」
「はん。吉備の旦那だって作れたんだ。別段不思議でも何でもねえや」
朱猴はそれでも余裕でした。雲雀はその余裕に苛立ちを覚えました。
「朱猴くん? この状況が分からないのかしら? もう勝負は着いているということに」
「ああ。そうかもな」
「だったらどうして――」
朱猴はまたもや最後まで言わせませんでした。
「俺様はここから動くこともせずに、勝つことができる」
朱猴が何を言っているのか理解できない雲雀は「あっそう。ならこの攻撃を受けてみなさい」と大きく扇を上に上げました。
「喰らいなさい。かまい――」
朱猴は意地の悪い忍者です。最期の台詞くらい言わせてあげればいいのに。
背後からぬっと現れた『もう一人の朱猴』が雲雀の口を抑えて、もう一方の手に携えた苦無で心臓を一突きしました。
「うううう!? むぐぅううう!」
悲鳴や叫び声は抑えた手によって最小になっています。
「女の断末魔の声はなるべく聞きたくねえからよ。悪いな」
雲雀は何がなんだか分からないうちに心臓を突かれ、そして引き抜かれて大量の出血が傷口から溢れました。
「おー。お疲れ。流石俺様」
そう言って近づく朱猴にもう一人の朱猴は頷きました。そして次の瞬間、糸が切れたように崩れ落ちてしまいます。
「秘伝、分身の術。とはいっても精巧に作った人形を操るだけなんだけどな。まったく、どっちが人形遊びをしているんだか」
鳥居をくぐった後に発動させた術。それが分身の術でした。
「こ、この、卑怯者……」
「あん? まだ息があるのか」
苦しみに喘ぐ雲雀に朱猴は容赦ない一言を言いました。
「いくら魂を分けた親子でもな。肝心なときに役立たないと意味がねえんだよ」
雲雀はそれを聞いて泣き出します。痛みと屈辱、そして辛辣な言葉に衝撃を受けたからです。
そして雲雀が姿を消して、大江山の洞窟も砦の中に戻ったのを見て朱猴は愚痴を言いました。
「あーあ。猿魔と似てたから、やりにくいことこの上なかったぜ」
それでも一切の迷い無く殺したのは、吉備太郎のためでした。
吉平との戦いを見守るためでした。
蒼牙と異なり、当人同士が決着をつけなければならないと断じていました。
「吉備の旦那にはツラいけどな。まあ仕方ねえ」
しかし朱猴は信じていました。吉備太郎の強さと勇気、そして優しさを。




