真実を乗り越えて
吉備太郎は会うことを決意しました。御上の居る宮殿に向かったのです。
それも竹姫や仲間を伴うことなく、一人で向かい合うことに決めたのです。
しかし御上のほうは一人きりではなく、何人かその場に居ました。
居たのは近江大津宮で論戦をしていた貴族の一人、内大臣と数人の武者でした。
武者が居るのは護衛でしょうけど、内大臣が居るのは判然としませんでした。
でも吉備太郎は気にすることなく、御上と向かい合っていました。
向かい合っていると言っても御上は奢侈な寝具の上で寝ていましたが。
「すまないね。わざわざ来てもらって」
今にも倒れそうな声で、御上は言いました。
「いえ、右大臣さまにお願いされたので」
「では自分の意思ではないのか」
少し残念そうに御上が呟くと、吉備太郎は弁明しようと口を開きかけましたが、結局は何も言えないことに気づき、噤みました。
「そんな意地悪なことを言わないでください。御上」
内大臣が助け舟を出してくれました。
「俺たちがやったことを考えると殺されてもおかしくないですよ。それでもこうして話し合いに応じてくれたんだ。それ以上を望むのは酷ってもんでしょう」
「そうだな。昭義の言うとおりだ」
吉備太郎は昭義とは誰だと一瞬思って、次の瞬間に内大臣のことだと気づきました。
「御上、俺のことは役職で――」
「もういいのだ。腹を割って話そうではないか。息子の名を呼ばぬ親がどこに居るのだ」
そのやりとりから吉備太郎は二人が親子だと知ったのです。
「内大臣さま。あなたもしかして――」
「うん? ああ、血縁上は君の叔父になるな。しかし俺は桃太郎の血は入ってない」
内大臣は説明しました。
「君の祖母に桃太郎の血が入っているのだ。もっとも、色濃く受け継いだのは君の実父だけだが。俺と兄君は腹違いの兄弟だ」
すると御上が「桃太郎の子孫は必ずしも御上になったわけではない」と言いました。
「右大臣と三池典太から聞いていると思うが、桃太郎は自分の子どもを残して何処へと去って行った。その子どもの子孫は私たちと深い縁で結ばれているのだ」
「父上が初めて桃太郎の子孫の娘と婚姻したんだ」
そう考えると桃太郎の子孫は御上、ひいては日の本に関わり続けた一族かもしれません。
「それでだ。吉備太郎くん。回りくどい言い方はあまり好きではないので、単刀直入に訊ねるよ。君は――私を恨んでいるのかな」
吉備太郎は迷うことなく「いえ、恨んでいませんよ」と答えました。
「本当かい? 君の実父を殺し、君を辺境へと追いやったのは私なんだ。遠慮は要らないよ。恨んでいても仕方ないと思う」
「御上。そもそもの前提が間違ってますよ」
吉備太郎は御上に向けて正直に言いました。
「御上のやったことは許されないことです。しかし代わりに優しい両親と大切な故郷をくださった。その御恩は忘れられないものです。恨むとするなら、伊予之二名島を救ってくださらなかったことですね」
御上は「伊予之二名島のことは悪いと思っている」と悲しそうに言いました。
「無辜の民を見殺しにしてしまった。それはとても心が痛む」
「吉備太郎くん、言い訳をするつもりはないが、これだけは分かってほしい」
内大臣が口を開きました。
「御上は決して見捨てるつもりはなかったんだ。鬼共が都を狙っていた。だから、助けることができなかったんだ」
「……分かっています」
旅を始めたばかりの吉備太郎でしたら、怒りを覚えていたはずです。しかし今までの旅に置いて、鬼の強大さと人々の精一杯の抵抗を見て、現実を知るようになったのです。
「綺麗事かもしれないが、伊予之二名島はまだ滅んでいないと思うんだ」
内大臣は吉備太郎を指差して言いました。
「何故なら、君がまだ居るじゃないか」
吉備太郎はぱちくり目を見開かせました。
「君はまだ生きている。生き残っている。だから伊予之二名島は滅んではない。そう思うのは気休めだろうか」
吉備太郎はその言葉に心を打たれました。今まで伊予之二名島のことは諦めていました。どうすることもできないとばかり思いこんでいたのです。
だけど、内大臣の言葉を聞いてそれが間違いだと分かったのです。
自分はここに居る。だから伊予之二名島は滅んでいない。
生きてさえ居ればまた何度でも再興できるのです。
吉備太郎は御上と内大臣に頭を下げました。
「お願いがあります」
御上は戸惑いつつ「改まってなんだい?」と訊ねました。
「もしも鬼を退治したら、伊予之二名島の再興に力を貸してくれませんか?」
御上は「その願いを聞くには、条件がある」と言ってきました。
「条件、ですか?」
「ああ。君に頼みたいことがあるんだ」
御上は真剣な表情で言いました。
「それを守ってくれれば、約束しよう。伊予之二名島を再興すると」
「それはなんですか?」
御上は上体を起こして、吉備太郎を見つめます。内大臣も御上が何を言うのか見当がつかないようでした。
「皆も聞いてくれ。私は引退する」
その言葉に周りの武者たちは動揺しました。
吉備太郎も内大臣も同じように戸惑いました。
「そして後継者には内大臣昭義を指名する」
内大臣は「はあ!?」と驚きの声をあげました。
「お、御上、何を言ってるんですか!?」
「昭義。私はもう長くない。それにお前は後継者に相応しい。そう私は考える」
御上は咳をしながら言いました。
「それにだ。私は長い間在位していた。それゆえにしがらみが多い。若い人間が継ぐのは甦りになる」
「だからと言って――」
「吉備太郎くん。私の条件は昭義を補佐してほしいということだ」
吉備太郎は「私が補佐ですか?」と訊ね返しました。
「ああ。昭義は知力こそあるが武力が足りない。君が盾となり、矛となって昭義を守り戦ってほしい」
御上は縋るように吉備太郎に言いました。
吉備太郎は悩みました。だからこう訊いたのです。
「補佐と言っても、何をすれば良いのか、私には分からないのですが」
「そうだな。説明しなければならないな」
御上はごほんと咳払いしてから、言いました。
「武者として鬼や順わぬ民を討伐してほしい。ただそれだけだ。今までと変わりないだろう。変わるとすれば、大軍を率いてもらうことになる」
そして内大臣に「例のアレを吉備太郎くんに授けてくれ」と言いました。
「本当によろしいんですか? まだ子どもですよ?」
「では吉備太郎くん以外に適任者は居るのか?」
「いえ、ですが……分かりました」
内大臣は吉備太郎に正対して言いました。
「吉備太郎くん。断っても構わない。だから心穏やかに聞いてくれ」
吉備太郎は何が起こるのか、判然としないまま、頷きました。
内大臣は心を落ち着かせるために深呼吸をしました。そして言いました。
「吉備太郎。君を二代目の征鬼大将軍に任命する。これから都の軍の総司令官として働いてほしい」
内大臣はそう言って、印璽を差し出しました。
吉備太郎はなんと言えば良いのか分かりませんでした。
「……私が征鬼大将軍に、ですか?」
信じられない申し出に最初は断ろうとしましたが、口に出たのは――
「……私に務まるでしょうか」
という肯定の言葉でした。
「安心してくれ。君にできないことはないよ」
御上は優しく言いました。
「だから是非、就任してくれないか?」
吉備太郎は目を閉じて、そして答えました。
「分かりました。征鬼大将軍になります。内大臣さまを補佐できるように頑張ります」
こうして吉備太郎は征鬼大将軍に就任しました。
後日、竹姫たちに何の相談もなく就任したことを責められることになるのですが、それはまた別の話です。
しかしこれでようやく鬼退治の準備が整ったのです。
吉備太郎は自分の過去と運命に向き合うことができました。それは強さとなります。
目指すは鬼の本拠地。
備前・備中でした。




