受け入れる真実
しばらくの間、誰も声を発しませんでした。いえ、吉備太郎の言葉を待っていたというのが正しいでしょう。
吉備太郎は何を言って良いのか判然としませんでした。自分が父親だと思っていた人物が実父を殺した経緯を知ったことに衝撃を受けたわけではありません。その考え方が信じられなかったのです。
「どうして、五十狭芹彦は、殺せなかったのだろう……」
実父でありながら、名前で呼んでしまうのは仕方のないことです。
「もしも殺さなかったら、自分にとって都合の悪いことになっていたのに」
その呟きに朱猴が応じました。
「そりゃあ、理屈じゃなくて感情の問題だからな」
吉備太郎は朱猴が言っていることが理解できませんでした。
「感情の問題?」
「ああ。誰だって罪の意識に囚われるのは嫌だろう。腹に土蜘蛛の子どもが居て、殺さなきゃいけないって分かっていても、吉備の旦那は殺せるか? いや、吉備の旦那は殺せるか。でも普通の人間は殺せないんだよ」
朱猴は吉備太郎に分かりやすい説明をし出しました。
「それは可哀想とか罪悪感を抱きたくないとか、そういう感覚なんだよ。だから五十狭芹彦は殺したくなかったんだ」
すると吉備太郎は「ではなんで父上は五十狭芹彦まで殺したんだ?」と訊ねます。
「父上にはそういう感覚がなかったのか?」
「それは違うんだよ、吉備太郎くん」
右大臣の静かで、それでいて場の空気を支配するような声でした。
「頼光くんは御上と私の命令を聞いただけなんだ。彼に罪はない」
竹姫は「どういう意味よ?」と怪訝そうに訊ねます。
「事前に命令してたんだ。もしも五十狭芹彦くんが貴族の娘を助けようとしたときは、彼を殺すように頼光くんに言っておいたんだ」
蒼牙は「何故、そのようなことを言ったのですか?」と疑問を口にしました。
「五十狭芹彦くんは前々から順わぬ民に優しすぎた。慈悲深い性格だった。わざと見逃すことも多々あった。その度に頼光くんが殺していたが。それが問題視されていた。何故なら、順わぬ民は全て抹殺しなければならなかった。そうしなければ、無辜の民に被害が出る」
朱猴は「そんなの勝手すぎるぜ」とぼやきました。
「自分たちに従わない者を次々に殺して、それが幸せにつながるのか? 血だらけの平和に何の価値があるんだ?」
忍者である朱猴は元々誰かに従うことを厭う性質でしたので、御上のやり方に否定的でした。
「まあ、君の言うとおりかもね。でも綺麗事で治まるなら戦いなんて起こらない」
右大臣は吉備太郎に向かって言いました。
「君の実父を殺したのは頼光くんだが、命じたのは私だ。恨むなら頼光くんではなく、私を恨んでおくれ」
吉備太郎は目の前の老人をどうすべきか、分かりませんでした。単純に憎めば簡単な話でした。しかし今まで受けた恩や右大臣の人柄を慮るとどうしても恨むことはできなかったのです。
だから、こんなことを言ってしまいました。
「私は誰を恨めば良いんだろうな」
俯いて誰ともなく呟く吉備太郎。
「貴族の娘を攫った土蜘蛛を恨めばいいのか? 殺せなかった五十狭芹彦を恨めばいいのか? 親友である私の実父を殺した父上を恨めばいいのか? それとも殺すように命じた右大臣さまと御上を恨めばいいのか?」
誰も答えられませんでした。
「私は誰も恨めない。土蜘蛛は既に滅んでいる。だから恨めない。五十狭芹彦は自分の正義に殉じた。だから恨めない。父上は命じられたままに殺しただけだ。だから恨めない。右大臣さまと御上もそうだ。もしも順わぬ民が鬼であるなら、殺す命令を出すのは理解できる。肯定も否定もしないけど、理解はできる」
吉備太郎は顔を上げました。大粒の涙が頬をつたって、床に落ちました。
「このやり場のない感情はどうしたらいいんだ? 私はどうしたらいいんだ?」
一同は何も言えませんでした。あの竹姫でさえ、かける言葉が見つからなかったのです。
「誰かを恨めればどれだけ楽だろう。だけど、父上は優しかったし、右大臣さまだって、良くしてくれた」
吉備太郎はここで痛々しい笑みを見せました。
「だから私は誰も恨まない。もしも誰かを恨んでしまったら、父上と母上の言葉が嘘になってしまう」
それは誰に言う言葉でもありませんでした。
「父上は私に毎日剣術を教えてくれた。母上は毎日美味しいご飯を作ってくれた。父上と母上は私を愛してくれた。二人とも亡くなってしまったけど、だからこそ私は二人のために誰も恨まない」
そして吉備太郎は右大臣に向けて言いました。
「私は実父の仇を討つべきでしょうけど、その気はありません。鬼を滅ぼすことに専念しますよ」
右大臣は戸惑いました。自分は殺されるつもりでこの場に居たのです。その場合は黒井と高木に手を出させないように配慮するつもりでもありました。
しかし吉備太郎の決断を聞いて、自分はなんと愚かしいのだと気づかされたのです。
もしも自分が吉備太郎ならば仇を討つに決まっています。それだけの力と道理が存在していたからです。
でも吉備太郎はそれをしなかったのです。汚濁を飲み込むよりも大変でしょう。怒りのまま暴れ回るほうがよっぽど楽でした。
けれどその決断ができたのは、吉備太郎の性根の良さでも右大臣への恩義でもありませんでした。
ひとえに両親への愛でした。
吉備太郎への愛情の深さが思い留まらせたのです。
まあその愛ゆえに鬼への復讐に走ったのだと言えなくもないですが。
ともあれ、吉備太郎の決断は彼が鬼退治の若武者から英雄へと変わる転機でもありました。
「気に入った。流石五十狭芹彦の息子、流石源頼光の育てた子だ」
三池典太は憚ることなく言って、吉備太郎に相対しました。
「わしの刀を持つのに相応しい武者だ」
「はあ……ありがとうございます」
「お主の刀を打ってやろう」
三池典太の申し出に吉備太郎が反応する前に蒼牙と黒井と高木は驚きました。
「吉備太郎殿! これは好機ですよ! あの三池典太殿が刀を打ってくださるなんて、夢みたいです!」
「そんなに凄いのか?」
「武者の名誉ですよ! 凄いに決まってます!」
吉備太郎は「しかし父上の形見もありますし……」と申し訳なさそうに言います。
「もうこの刀は限界だ。半年もかからずに折れてしまうだろう。それにお主に合っていないのだ」
三池典太の言葉に吉備太郎は否定できませんでした。刀が限界だと分かっていましたし、父親と自分の戦い方が違うことも理解していました。
「お主のための、お主だけの刀を打ってみせる。期間は一ヶ月。それだけの時間があれば名刀を仕上げてみせよう」
三池典太の言葉に吉備太郎は「分かりました」と頷きました。
「私の刀を創ってください。全ての鬼を一刀両断できるように。お願いします」
頭を下げる吉備太郎に三池典太は豪快に笑いました。
「任せておけ。鬼どころか天をも斬れる名刀を創ってやろうぞ」
その言葉に吉備太郎も思わずにやりと笑いました。
「吉備太郎くん。悪いが君にはもう一人会わなければならない人が居るんだ」
話がまとまったと見ると右大臣が吉備太郎に告げます。
「会わなければならない人ですか?」
「そうだよ。先方が強く望んでいる。私としても会ってもらいたい」
右大臣は会わせるのに反対していましたが、中納言がどうしてもと言うので、会わせることにしたのです。
「その方は誰ですか?」
吉備太郎の疑問に右大臣は躊躇しながらも答えました。
「御上だよ。君に御上と会ってもらいたい」
右大臣は続けて言いました。
「君の実の祖父であり、今は病状で伏せている御上に是非会ってもらいたいんだ」
「……どうして私が?」
右大臣は分かりきったことを言いました。
「孫の顔をじっくりと見たいのは、誰だって願うことなんだ。後生だから会ってもらえないか?」




