吉備太郎の修行
吉備太郎はまず、足の重さに慣れることから始めました。この状態で白鶴仙人を倒すのは到底無理だと判断したからです。
「しかし、慣れることがあるのだろうか?」
一歩ずつ歩く吉備太郎でしたが、初日は二十歩進むのがやっとでした。それはそのはずです。草鞋は両方合わせて米十俵の重さがあったのです。
吉備太郎の脚力は並外れていました。しかしそんな吉備太郎でもたった二十歩しか歩けなかったのです。
「なんと面妖な……! だがこれを行なうことでさらに強くなれるのなら受け入れよう」
吉備太郎の美点と欠点は真っ直ぐなところでした。何事にも曲がることをせずに信じた道を進んでいきます。ゆえに翠羽が感じた危うさはあるのです。
十日が経って、ようやく歩くのに不自由がなくなりました。この対応力は『月の民』の血が入っているからだと推測されます。普通の人間ならば十日では慣れることはありません。吉備太郎は気づきませんでした。とっくの昔に普通から逸脱していることに。
その日から吉備太郎は白鶴仙人に斬りかかりました。遠慮は要らないと言われていたので、躊躇なく刀を使いました。
しかし真正面から挑んでも背後から襲っても避けられてしまいます。
それどころか交差するように杖で叩かれる始末。まるで赤子のようでした。
「吉備太郎。お前は真っ直ぐすぎる。正攻法で勝てぬ相手は居たはずだ」
攻撃を仕掛けて五日後。白鶴仙人は見かねて吉備太郎に助言を与えました。
「正攻法で勝てぬ相手? 誰ですか?」
「ふむ。例えば牛鬼。例えば出会ったときの朱猴など、単純に強い者や搦め手を使う者にお前は弱いはずじゃ」
思い返せば牛鬼と朱猴には負けていました。はっきり言って酒呑童子が『神便鬼毒酒』を飲んでいなかったらその当時の吉備太郎でしたら負けていたでしょう。
「ではどうすれば良いのですか?」
「簡単じゃ。より強く、より速くなれば良い。だから今、こうして修行を課しておる」
吉備太郎は「しかしこれでは一向に進歩しできていません」と額に浮かぶ汗を拭いました。
「そうじゃな。例えばの話をしよう」
白鶴仙人は吉備太郎に近づきました。
「今から杖でお前を殴るから避けろ」
そう言うなり、白鶴仙人は杖で吉備太郎の頭を殴ります。しかし事前に言われていれば避けられる速さでしたので、簡単に避けられます。
「これが大事なことなのじゃ」
「……? 意味が分かりませんけど」
「もしも予告せずに殴ったら、お前は避けられたか?」
「いや、避けられなかったです」
「では自らの力で先読みできたのなら、わしが予告せずとも避けられるな」
吉備太郎はいまいち白鶴仙人が言いたいことを掴めていませんでした。
「まあ、そうなりますね」
「それを攻撃に転じたら? 相手の動きを先読みして、相手を攻撃できれば当たるということになる」
「――っ! ならば、私の脚が封じられている状態でも可能ですか!?」
白鶴仙人は「ああ、可能じゃのう」と余裕を持って答えました。
「お前の力を上手く使うには先読みの力が必要じゃ。洞察力と呼べば良い。さあ、お前なりにわしの動きを先読みするのじゃ」
それから十日をかけて、吉備太郎は白鶴仙人の動きを先読みする修行をしました。
そのことで気づいたことが二つあります。
まず自分の攻撃が単調であったこと。それは一撃で決めようと考えていたことを指します。つまり、攻撃を避けられたことを考えていなかったのです。初撃を避けられたとき、二撃目三撃目に移れるように攻撃をするべきだということです。それを考慮した攻撃を吉備太郎はできるようになりました。
二つ目は自分の攻撃によって相手を追い詰めることが可能だという点でした。仙人といえども人間の身体と変わりありません。体勢を崩したところを狙われれば避けることはできません。だからこそ初撃を布石にすることの重要さを吉備太郎は学びました。
そして十一日目。
吉備太郎が繰り出した斬撃が白鶴仙人の服を切り裂きました。
身体こそ斬っていませんが、立派な一撃を当てることができたのです。
「……見事じゃ」
白鶴仙人はにっこりと笑いました。
吉備太郎はその場にどたんと倒れこみました。体力のある吉備太郎でしたが、重い草鞋と慣れない先読みを数日の間続けていた負担が彼の身体を痛めつけていました。
「はあ、はあ……これで修行は終わりですか? これで強くなれたのですか?」
吉備太郎が訊ねると白鶴仙人は「刀を貸してくれるか?」と問いに答えませんでした。
吉備太郎は不思議に思いながらも父親の形見の刀を鞘ごと白鶴仙人に渡しました。
「お前には抜刀術があるな。虎の太刀と言ったか」
「ええ。そうですけど」
「それを昇華させた技を見せてやろう」
白鶴仙人は納刀したまま腰を低く落として構えました。
それはまるで歴戦の武者のようでした。
「何を――」
言い終わる前にその『技』は放たれました。
音を超え、光をも超えた『神速』と言うべき一撃は空を斬り、そして目の前にそびえたつ岩山を斬りました。
「な、なんと面妖な……」
「これが抜刀術の奥義、『天羽々斬』じゃ。これならばどんな鬼でも倒せるじゃろ」
白鶴仙人は刀を納めると、吉備太郎に手渡しました。
「この奥義を会得するにはさらに厳しい修行を重ねなければならぬ。分かっておるな?」
「もちろん委細承知の上です」
「だが、その前に訊かねばならぬことが一つだけある」
白鶴仙人は厳しい顔つきとなって吉備太郎に問います。
「鬼の総大将を倒したら、次は何をするのじゃ?」
すると吉備太郎はすぐさま答えます。
「鬼を全て殺します」
吉備太郎が答えた瞬間、白鶴仙人は刹那に悲しげな顔をしました。
「鬼全てに罪があると、お前は言いたいのか? その考えこそ罪深いと思わぬか?」
吉備太郎はここでも真っ直ぐに答えます。
「鬼は人を殺め喰らい尽くす生き物です。救いようの無いものです。それを絶滅させるのは決して悪ではありません」
「お前の言うことは間違っておらぬが、正しくは無い。お前は単純に自らの恨みを晴らしたいだけなのじゃ」
白鶴仙人の指摘に吉備太郎は「そうかもしれませんね」と認めました。
「私の恨みはたとえ鬼を皆殺しにしても晴れることはありません」
「ならば何故だ?」
吉備太郎は暗い眼差しで地面を見つめながら想いを吐露しました。
「復讐は何も生まない。でも殺すことができます。多大な恨みも少しずつ殺せます。この手に残る鬼を殺した感触が、怒りを殺してくれる。だから――私は殺すのです」
吉備太郎の想いは暗く穢れたものでした。もしかすると鬼退治の若武者と英雄視される資格などないのかもしれません。
けれど、その暗く穢れた想い、覚悟がなければ吉備太郎はこうして生き残れなかったですし、一人きりの五年間を生き抜くことはできなかったでしょう。
殺すことで生きることができる吉備太郎を責める資格は誰にもありません。あるとするならば、吉備太郎を愛した竹姫くらいでしょう。そして吉備太郎を信じた仲間だけが資格を得るのです。
「お前の想いは伝わったよ」
白鶴仙人は吉備太郎を諭すことはせずに理解を示しました。
「ならばこそ、この奥義を身につけなければならぬ。死ぬほど修練を積むのじゃ」
吉備太郎は白鶴仙人の顔を見据えて「分かりました」と答えました。
「鬼を殺すまで死んでも死に切れません。私は――決して諦めない」
こうして吉備太郎の最後の修行が始まりました。
岩山をも切り裂く『天羽々斬』を会得したとき、吉備太郎は名実ともに日の本最強の武者となりえるのです。
そして――修行の最終日。
それぞれの修行を終えた四人は再び白鶴仙人の前に揃いました。
「お前たちに教えることは無くなった。よくぞ己が試練に打ち勝ったものだ」
ねぎらいの言葉をかける白鶴仙人。
「これより手柄山を下り、鎌倉へと向かえ。そして鬼を退治して日の本を平和にするのじゃ」
蒼牙は元気良く返事して。
朱猴は冷ややかに笑って。
翠羽は無言のまま頷いて。
吉備太郎は力強く皆に言いました。
「さあ、行こう! 鬼を全て倒すんだ!」




