朱猴対火繰
火繰。彼女は沢蟹四天王の中で最年少であります。さらに言えば歴代の四天王の中でも三番目に若く就任した天才でもあるのです。
しかし彼女自身は未熟であると感じています。得意であり特異の火遁――彼女は火炎遁と呼びます――以外の遁術は苦手なのがその理由となっています。
逆を言えば火炎遁だけで四天王の末席に居るという事実を朱猴は見逃しません。だから見くびらないし、侮らない。油断もしません。
けれど、火繰のほうは、未熟だと思ってはいるものの基本的に山猿衆を見下しています。
それは先代の猿魔を同じ四天王筆頭であった後継者、雀罰が葬ったことに起因しています。
「山猿の先代が四天王と戦って負ける? そこまで弱くなっていたわけね」
今まで修行を重ねてきた火繰にとって、それは失望に他なりませんでした。他の四天王と違い、戦場経験が少ない彼女にとって、山猿衆は手ごわい好敵手でありました。
そんな山猿衆が弱くなったことは身勝手ながら許せないことですし、情けないことでもあったのです。
加えて、先ほどの吉備太郎の存在も気に食わないのです。
「手を貸してもらうほど、山猿が弱くなったの? 草の者の矜持はないの?」
そのようなことから、火繰は見下して、いや見くびってしまいます。
それが戦いにおいてどのような結果をもたらすのか。それは――
「な、なんで、効かないのよ!」
混乱に相違ありませんでした。
火炎遁。文字通り火炎を操る遁術です。火遁の一歩先進んだ技術です。
一般的な火薬よりも威力の高い炸薬を使って攻撃する火炎遁。
その破壊力と攻撃力は一般の草の者と比較しても大差があります。
しかも扱いに慣れた火繰の技術を加えれば、武者でもひとたまりもありません。
しかし朱猴には効きませんでした。
爆弾を投げても、火炎を吹きだしても、高熱を創りだしても、効かないのです。
どのように防いでいるのでしょう。
爆弾は爆発する前に苦無で打ち落とします。
火炎は射程範囲内から逃避します。
高熱は柿川の水を使って温度を下げます。
要するに攻撃が効かないというよりも無効化しているのが正しいのです。
「どうしてなの!? どうしてあたしの攻撃を先読みできるのよ!」
憤慨する火繰に冷静に返す朱猴。
「あのなあ。火遁しか使わないお前のやることなんて、大体予想がつくんだよ」
状況からして、火炎遁の使い道は限られます。
足下は川。よって周りのものを燃やすことは叶いません。それならば敵に火炎をぶつけるしかありません。
けれど火遁を使える者ならば、ある程度の射程範囲が分かります。
それを予測して避けることなど、朱猴にとって容易いことなのです。
「お前の情報は既に調査済みだ。俺様の部下を何人も消し炭にしやがって。末恐ろしいガキだな」
朱猴が知るかぎり、四天王の中で情報が割れているのは火繰と毒憤の二名です。
その内、自分だけが対応できるのは火繰だけであると考えていました。
だから火繰を引き受けたのです。
「お前の攻撃は効かない。だから観念しろ」
火繰はうな垂れてしまいます。
降参するつもりでしょうか?
「おとなしくするなら――」
「はあ。これはやりたくなかったんだけどね」
火繰は渋々使うという様子で、両腕を――振るいました。
両腕が発火して、燃え盛りました。
「なあ!? てめえ、何を――」
「これがあたしの秘伝、火炎闘術よ」
両腕だけではありません。両脚も発火しています。
「これは残りの火薬全て使うから、滅多にしたくないんだけど、仕方ないか」
火繰は拳法の構えを取ります。
「あたしに触れたものは全て焼かれるわ。当たれば大火傷で済まないわよ」
そう言って火繰は――突貫しました。
「は、速い――」
足元に仕掛けた炸薬を爆発させたのです。水に浸からないように小さな竹筒に仕込んだそれは推進力となり――
朱猴の元へと導きます。
眼前に迫る火繰を避ける術は朱猴にはありません。
「火炎闘術、火誅の刳り」
大きく後方に広げた両手を一気に前面に押し出す掌底。その威力は桁違いでした。
朱猴は後方へ吹き飛び、何度も弾んで、そして動かなくなりました。
「ふう。やあっと片付いた」
火繰は満足感よりも徒労感に包まれていました。
「さて。他の四天王の手助けでもしましょうか。まったくふがいないんだから」
火繰は火炎闘術を解いて、他の四天王の様子を見ようとしました。
朱猴のことなど、頭から離れていました。
はっきり言って火繰は失敗したのです。
あの一撃で朱猴を倒したのだと勘違いしたのです。
だから気づかなかったのです。
朱猴がすぐ後方まで近づいていることに。
「――っ!」
気づいたのは幸運でした。
何気なく見た川底に迫り来る朱猴の姿を視認したのです。
火炎遁では間に合わないと判断して、火繰は腰の苦無を取り出して、振り返りざま防御しました。
首元に迫っていた苦無が偶然当たりました。もしも当たらなければ首が刎ねられていたことでしょう。
「おっと。殺しちゃいけないんだったな」
とぼけた風に言うのは、何事もなかったように振舞う、朱猴でした。
「なんで、無事で居られるのよ!」
激高する火繰。それに対して朱猴は胸元を見せました。
中には溶けた鉄の胸当てが仕込んでいました。
「あーあ。特注の胸当てを。まったく、高かったんだぜ?」
残念そうに見る朱猴に「それで守ったってことなの!?」と驚く火繰。
「そんな重い物を着込んで、今まで戦っていたの!?」
「ああん? そうだけど、何か文句でもあるのか?」
鉄の胸当てを脱ぎ捨てて、朱猴は言います。
「さっきの火炎闘術には驚いた。しかしもうその技は見切った。俺様には効かん」
火繰はその言葉を鼻で笑いました。
「見切ったですって? どうやって攻略できるのか、見せてもらおうじゃないの!」
再び火炎闘術を発動させる火繰。
「こうするのさ」
朱猴は竹筒を両手に五本ずつ持っています。不思議なことにどこから出したのか、目の前に居る火繰さえ分かりません。
「行くぞ? 火遁、炎陣!」
朱猴は竹筒を火繰と自分を囲むように投げました。竹筒は川に突き刺さり、そこから火が燃え始めました。
「ひ、火の結界!?」
火と真っ白い煙が火繰と朱猴を取り囲みました。
「さて。これでてめえの負けが決まった」
朱猴は余裕たっぷりに言いました。
「こんなことであたしを殺したつもり? 火炎遁を操るあたしにとって、こんなのは涼しいものよ」
「じゃあかかってこい。安心しな。俺様は攻撃しないからよ」
そのまま黙って腕組みをします。
その挑発に乗ってしまった火繰は、再び足元の火薬を爆発させます。
「どうせ、避けて火の中に突っ込ませる魂胆でしょう? 対処法ぐらいあるわよ!」
朱猴が避けた瞬間、火繰は火薬を使って逆に勢いを殺しました。
「これなら安全に戦えるわよ!」
勝ち誇る火繰。
それに対して黙っている朱猴。
「統合してやるって言ってたけど、逆にこっちが隷属させて――」
言葉は続きませんでした。
勝ち誇った表情のまま、火繰は意識を失いました。
朱猴は炎陣を解いて、火繰を抱きかかえます。
「まったく。火遁の使い手なら、あんなところで動いたり大声出したりしたら、煙を吸うだろう」
朱猴の狙いは煙を吸わせて相手の意識を失わせることにありました。
竹筒に仕込んだ猛毒の煙が出る薬品を吸わないように、黙ったままで居たのです。
「さてと。他の連中はどうなっているんだ?」
猿蟹合戦、朱猴対火繰。
勝負は朱猴の貫録勝ちでした。




