蒼牙
吉備太郎たちはすぐに牛鬼を討ったことを村人たちに知らせました。
初めは半信半疑だった村人たちでしたが、数人が洞窟の牛鬼の死体を見ると、喜びに変わりました。
「牛鬼が死んだ! これで村は救われた!」
いち早く戻った若者が牛鬼の仮面を持って村に戻ると、彼らは歓喜の表情になりました。
「ありがとう! 君たちは村の恩人だ!」
「まさか二人で牛鬼に勝つなんて」
「武者は強いのだな」
口々に褒め称える村人たちに蒼牙のほうは笑顔で応じていましたが、吉備太郎は疲れきった表情で「少し休ませてください」と言い残して寺へ戻りました。
「あー、吉備太郎殿は拙者よりも活躍なされたので、お疲れの様子です。感謝は受け取っていると思いますよ」
蒼牙が補ってくれたおかげで村人たちは何の疑問を持つことはありませんでした。
「今宵は宴を行います。蒼牙殿はいかがですか?」
蒼牙は少し悩みましたが、吉備太郎の分まで参加することにしました。
それに騒ぎたかったのも事実でした。牛鬼にとどめを刺したときの感触が未だに手に残っていましたので。
村中大騒ぎしている最中、吉備太郎は寺で竹姫と老僧に牛鬼を討ったことを簡単に報告しました。
「牛鬼を討ちましたか。それは何より。しかし、吉備太郎殿、あなたはどうしてそのように憔悴しておられるのですか?」
心配そうに訊ねる老僧に吉備太郎は自分の胸のうちを話すことに決めました。
もちろん、黙っている竹姫にも同様に。
「牛鬼は――死にたがっていたのです」
吉備太郎は何の感情を込めずに話し出します。いや疲れきって感情を出すことができなかったのです。
「そんな牛鬼を斬って、私は虚しさを覚えました。今までの鬼は憎むべきものでした。人を殺めて喰らうような残酷な鬼。しかし牛鬼は人を殺めたことを後悔していた。村人を喰らったりしてこなかった。そして――死を望んでいた」
吉備太郎は自分の渦巻いている考えが正しいのか間違っているのか、判断がつかなくなっていました。
「鬼を討つことは正しいとばかり思っていました。しかし鬼の中にも後悔の念があり、自分を罪深く思っている者も居る。仲間を想う気持ちを持っている。それが――」
人間と変わらないじゃないかと言いかけてやめました。それこそが罪深く思えたからです。
「前々から言ってたことだけど、吉備太郎は鬼への復讐をやめたりしないの?」
今まで黙っていた竹姫でしたが、吉備太郎の様子に耐えかねて訊ねました。
「それは――できない」
吉備太郎はきっぱりと言いました。
「鬼に対する怒りは収まらないし、抑えることもできない。私は生き残ったことは復讐するためにあると思うんだ」
老僧はそれは違いますと言おうとして、竹姫に制されました。
「だったら、悩むことないじゃない」
竹姫は明るい声で吉備太郎を慰めます。
「何が正しいか正しくないかなんて後から考えればいいのよ。それで間違ってるなら反省すればいいの。今しているみたいにね」
竹姫は吉備太郎に近づいて、手を握りました。
「吉備太郎は真っ直ぐ進んで。もしも間違えそうになったらあらかじめあたしが教えてあげる。それでも誤ったら反省して。二度と繰り返しちゃ駄目」
そして吉備太郎に笑顔で言いました。
「牛鬼を倒したことは間違いじゃないわ。だってあのままだと村の人が飢えて死んじゃうかもしれないし。それに村の人も喜んでいるわ。それは誰にも変えられない事実よ」
人間、落ち込んでいるときに責めたてられるとますます憂鬱になってしまいます。そんなときは敢えて良いことをしたんだと言ってあげるのも慰めになります。
「……ありがとう」
吉備太郎は竹姫にお礼を言いました。
「別にいいの。さあ元気を出して。あたしの武者さん」
それから吉備太郎が横になるまでずっと傍に居てあげた竹姫。吉備太郎の安らかな寝顔を見て、優しく微笑みました。
「ねえ。牛鬼がどうして仮面を付けていたと思う?」
その様子を見守っていた老僧に突然問いかける竹姫。
「そうですな。今から考えても仕方ないのですが、目や口などを突かれないためですか」
確かに最硬の身体を持つ牛鬼の弱点と言えば局部への攻撃に他ならないはずです。
「それもあるだろうけど、一番の目的は自分の正体を偽ることよ」
竹姫は自論を展開させます。
「自分の正体を偽る。それは仲間の鬼もそうだけど、一番は人間に対してよ」
老僧は「人間に対してですか?」と首を捻りました。
「そう。牛鬼は人間に食糧を強請るとき、いつも罪悪感を覚えていたに違いないわ。奪わないと生きられない罪深さを常に感じていたのよ。でなければ、仮面なんて付けないわ」
老僧はこの少女の洞察力はずば抜けていると思いました。
そして何者なのだろうと不思議に思ったのです。
「仮面はね。守るものでもなく、隠すものでもなく、偽るものなのよ」
吉備太郎の頭を撫でながら想います。
自分はいつまで吉備太郎に偽らなくてはいけないのだろうと。
女の子は仮面を付けなくても、本心を偽ることができるのでした。
翌日。吉備太郎と竹姫は村を後にしました。
「皆に見送られなくてよろしいのですか?」
老僧は名残惜しそうに言いますが竹姫は「人助けに見返りは要らないわ」と胸を張って言いました。
「そうですか。ならばまたこの村に寄ってくだされ。そのときは一段と明るくもてなしますので」
老僧に見送られて、二人は村を後にしました。
このまま美濃から信濃へ向かおうと東へ進んでおりますと後ろから「お待ちください!」と元気な声で叫ぶ者が居りました。
蒼牙でした。彼は槍を携えて走ってきます。
「あなたたちに話があります」
話せる距離まで近づいて蒼牙は頭を下げました。
「拙者も旅に同行させてください!」
思わぬ申し出に吉備太郎と竹姫は顔を見合わせました。
「家来にはできないけど」
吉備太郎の言葉に蒼牙は頭を上げました。
「いえ、家来は諦めます。拙者はあなたたちに付いていきたいのです」
真剣な表情の蒼牙。竹姫は「理由を話してよ」と訊きます。
「拙者は未熟者。今回の戦いで実感しました。しかし、吉備太郎殿の役に立ちたいと願っています」
蒼牙は続けて言いました。
「それにあなた方と一緒に居れば強くなれる気がするのです。強くなれば一族郎党の皆を救える強さになり得ます。自分勝手な物言いですが、どうか同行させてください」
竹姫は吉備太郎に笑って言いました。
「どうする? 吉備太郎が決めていいわよ」
吉備太郎の答えは決まっていました。
「私に家来は要らない。同行者も要らないんだ」
その言葉にがっくりと肩を落とす蒼牙。
「だけど――」
吉備太郎ははっきりと言いました。
「仲間なら必要なんだ」
蒼牙はハッとして吉備太郎の顔を見ます。
その顔は何の迷いもなく、真っ直ぐな笑顔でした。
「蒼牙。私の旅の目的は鬼退治だ。鬼を全て討ち取る。そのために力を貸してほしい」
今度は吉備太郎が頭を下げました。
「そ、そのような大切な旅に、拙者が仲間に入っても良いのですか?」
蒼牙は震えていました。恐怖ではありません。歓喜に震えていました。
吉備太郎は笑顔で応じました。
「ああ。君さえ良ければ」
蒼牙はすぐさま答えました。
「はい! お供させてください!」
こうして槍術遣いの蒼牙が仲間に加わりました。
彼の槍術は未だ未完成ですが、大器となれる資質を持っていました。
それが鬼退治に役立つ日はそう遠くはありません。
「吉備太郎、これで一人、仲間に加わったわね」
嬉しそうに竹姫は言いました。
吉備太郎も笑顔で応じます。
「蒼牙、頼りにしているよ」
蒼牙も笑顔で応じます。
「拙者にお任せあれ!」
三人は楽しそうに旅を続けます。
東国への道のりは遠いですけど、三人の足取りは軽やかになっていました。




