諦めるな!
牛鬼に対して吉備太郎がまず行なったこと――それは攻め続けることでした。
持ち前の速さで縦横無尽に斬って斬って斬り続けます。その斬撃と素早さは蒼牙はもちろん、戦うことを面倒であると考える牛鬼すら驚嘆しています。
しかしそれらの攻撃は徒労に終わります。切り傷どころか痣の一つもできなかったのです。
吉備太郎は舌打ちをして早々に攻撃をやめました。無駄であると気づいたからです。
「……それで終わりか?」
これは挑発ではありませんでした。面倒だから早々に終わらせてまた寝たいという気持ちの表れでした。
「本当に刀では斬れないみたいだな」
力の差ではありません。人と鬼、種族の差でした。人間にはどうしようもできない壁でもありました。
「だったら、刀以外ではどうだ?」
吉備太郎は納刀して――素早い動きで距離を詰めて、渾身の力を込めて牛鬼のすねに蹴りを叩き込みました。
蒼牙は思わず顔を背けました。鬼と言えども確実に骨が粉々に折れたと思ったからです。
けれど、結果は違いました。
「ぐわぁあ!」
悲鳴を上げたのは吉備太郎のほうでした。
脚を押さえてその場にうずくまります。
常人の脚ならば真っ二つに折れている一撃でした。たとえ鬼でもただでは済まない威力です。しかしながら牛鬼にとっては蚊に刺された程度のものでした。
まさに鬼の中でも身体の強い鬼。
最硬の鬼、牛鬼。
「吉備太郎殿、上です!」
蒼牙の言葉に反応して、確認することなくその場から退避する吉備太郎。
どしんと音がして、振り返ると吉備太郎が居た場所に大きな穴が空いていました。
それは牛鬼が脚を上げて吉備太郎を踏み潰そうとしてできた穴でした。
もしも蒼牙の声に反応できなかったら――吉備太郎はゾッとしました。
「吉備太郎殿、少し休んでください」
蒼牙が吉備太郎を庇うように前に立ちました。槍を構えて牛鬼を見据えます。
「蒼牙、君一人では無理だ!」
「分かっています。だから早く立ってください。時間稼ぎしかできません!」
蒼牙は槍の切っ先を牛鬼に向けます。
「行くぞ! ――牙槍!」
蒼牙は叫ぶと腹を狙って目にも止まらない三連撃を突き出します。
突き刺してできる傷がまるで牙で噛んだようになることから『牙槍』と名づけられた技でした。しかし傷一つ付くことはありませんでした。
「な、なんて硬い身体なんだ!」
蒼牙は衝撃を受けました。まるで砕けない岩を突いているような感覚。そして自分のもっとも得意とする技が効かなかった衝撃に打ちのめされてしまいました。
「ありがとう。蒼牙」
吉備太郎は心が折れかかっていた蒼牙に声をかけました。そして優しく言いました。
「今すぐここから逃げるんだ。ここは私が引き受ける。遠くへ行くんだ」
「そ、そのようなことができるわけがないでしょう! 何を言って――」
「とてもじゃないが勝ち目は無い。だから逃げるんだ」
そう言っても首を振り、逃げる素振りを見せない蒼牙に吉備太郎は溜息を吐きました。
そして近づいて牛鬼に聞こえないように耳元で囁きます。
「分かった。二人同時に逃げよう。合図をしたら一目散に入り口から出るんだ」
蒼牙は付き合いが短いので気づきませんでした。もしも竹姫がその場に居れば気づいたことでしょう。
吉備太郎が鬼相手に逃げるなんて――
「分かりました。従います」
一方の牛鬼は苛立ちを覚え始めました。寝ていたところを邪魔されて、いきなり戦わされたからです。加えて立ち向かってきた武者が自分を殺せるぐらいの強者ではないことに怒りを覚えていました。
「いい加減にしろよ。面倒だな。おらは寝たいんだ」
牛鬼が二人に近づこうとして――
「今だ! 逃げろ!」
合図と共に吉備太郎たちは一目散に入り口へと向かい、外へ出ました。
「……はあ。面倒だなあ」
牛鬼は追いかけるべきか迷いましたが、面倒だと思い、結局はやめて寝ることにしました。
「ふわあ。なんだったんだ? あいつらは」
横になろうとした牛鬼。
「待てよ、牛鬼」
牛鬼は緩慢な動きで振り返りました。
そこには入り口から逃げたはずの子ども――吉備太郎が大胆不敵に立っていました。
「……なんで戻ってきたんだ? せっかく助かったのに」
「鬼を目の前にして、私が逃げるわけないだろう」
牛鬼は元々気の長い性格ではありませんでした。吉備太郎の物言いに苛立ちが許容量を超えてしまいました。
「ふざけた人間だな。面倒だ。二度とそんな口が利けないようにしてやる」
吉備太郎にゆっくりと近づく牛鬼。
吉備太郎は納刀したまま、抜刀の体勢に入りました。もしもこの一撃で勝負がつかなければ、自分の負けだと感じました。
牛鬼は一歩、二歩と間合いに近づき――入りました。
「――抜刀術。虎の太刀」
かつて三匹の鬼に有効だった必殺の技。これが通用しなければ後が無い、まさに勝負のとき!
「……まさか」
両者の口から同じ言葉が零れました。
結果として吉備太郎の奥義は牛鬼に通用しませんでした。わずかに皮膚を斬っただけで肉には到達しませんでした。
「……なんと面妖な」
笑うこともできませんでした。鬼が化物だとは知っていました。しかし今までの戦いから、対抗できると考えていたのがひっくり返されてしまったのです。
「久々だったな。おらに傷を付けたのは」
感心する牛鬼に対して絶望する吉備太郎。
呆然とする吉備太郎に今まさに振り下ろされようとする牛鬼の拳。
吉備太郎は動くことすらできませんでした。
「吉備太郎殿ぉおおおおお!」
入り口から駆けて来る者の声に反応して拳を避ける吉備太郎。そして、声の主を見ます。
蒼牙でした。彼もまた戻ってきたのです。
「吉備太郎殿、諦めてはいけません!」
吉備太郎の肩を掴んで、蒼牙は興奮しながら想いをぶつけます。
「なんで一人で戦おうとするのですか! 拙者がそんなに頼りにならないのですか!」
吉備太郎は燃えるような蒼牙の目を見ます。
「自分一人でなんでもできると思わないでください! 拙者も協力しますから! なんでも背負わないでください! 生き残ったことを罪深く思わないでください!」
蒼牙の言葉は吉備太郎に届きました。
「悪かった。私は独り善がりだった」
吉備太郎の目に光が戻ります。
まだ戦える。
まだ負けていない。
まだ――生きている。
「蒼牙。私の一撃の後に、あの技を同じ箇所に放ってくれ」
吉備太郎の言葉に力強く頷く蒼牙。
牛鬼は二人のやりとりを黙って見ていました。攻撃する機会なのに、まるで何かを期待しているように。
「行くぞ牛鬼!」
すると牛鬼は笑いました。
「来い、人間!」
もう面倒だと思っていませんでした。
「抜刀術。虎の太刀!」
吉備太郎による胸部への一撃。
今度の一撃も僅かに皮膚を斬っただけ。
しかしそれはほころびとなり得るのです。
「牙槍!」
その傷跡を狙って蒼牙が連撃します。
「うぉおおおお!?」
すると牛鬼はよろめきました。
傷が深くなっています。まるで犬に噛まれたように。
「吉備太郎殿!」
蒼牙の呼びかけに吉備太郎は応じます。
返す刀を両手で握り、抜刀とは逆方向に斬りました。
それは吉備太郎も一度たりともしたことのない技でした。
まるで煌く星のように光り輝いていた斬撃。
「ぐはぁああ!」
鮮血が飛び散りました。そして後ろに倒れる牛鬼。
見事、吉備太郎たちの攻撃は牛鬼に届いたのです。
「やりましたな! 吉備太郎殿!」
喜ぶ蒼牙に吉備太郎も微笑み返しました。
「あーあ。負けちまった」
牛鬼の悔しそうとは思えない清々しい声に二人は反応しました。
からんと牛の仮面が外れました。
牛鬼の素顔は、その表情は――
なんともいえない嬉しそうな顔でした。




