論戦
「やれやれ。鬼を退治した者とは思えぬ物言いですな。臆病風に吹かれましたか」
中肉中背の品のある顔立ちの貴族は呆れたように一笑しました。
「左大臣殿。言葉が過ぎますぞ」
右大臣がたしなめると、左大臣と呼ばれた貴族は「このような言葉しか出て来なかったのですよ」と優雅に微笑みます。
「吉備太郎とおっしゃいましたか? そなたは鬼を二匹屠ったらしいではありませぬか。子どもにも倒せる鬼など二万の武者なれば、一気呵成に倒せます」
「そのとおりでございます」
鼠のような小男の貴族も左大臣に賛同します。
「この大納言の掴んだ情報に依れば、鬼は五百に満たぬらしい。今本拠地である『鬼ヶ島』を攻め立
てれば勝てぬ道理はございませぬ。そこの臆病風に吹かれた子どもと貴族には道理が分かりませぬか?」
中納言は「いや、それは違う」と否定します。
「吉備太郎殿は実に現実を見据えておる。鬼は百人力。ならば五百の鬼は五万の武者に等しい。加えて鬼に対して集団で戦うことになっても一度に攻め立てようには四人が限度である」
しかしそれを聞いた左大臣は「ならば子どもが鬼を討ち取った事実をどう受け止めるのですか?」と涼しい顔で訊ねます。
「もしかして、この子どもが特別だとおっしゃるのですか?」
「吉備太郎殿だけで討ち取ったわけではない。安倍吉平と坂井山吹と協力して倒せたのだ」
二人の名を聞いた大納言は「裏切り者の化け狐か」と忌々しく罵りました。
「薄汚い半々妖と一緒に討ち取ったのか」
右大臣はすかさず「子どもの前でそのような言い方をするでない」と怒りました。
「吉平くんは吉備太郎くんの友人だったのだ。君には遠慮というものがないのか」
竹姫は吉備太郎を見ました。
俯いて唇を噛み締めて、じっと耐えていました。
「それは失敬」
大納言は口を閉ざしました。それで十分謝罪を済ませたつもりらしいのです。
「話がいささか逸れてしまいましたね。そうですね、では吉備太郎殿に訊ねます」
左大臣は吉備太郎を見据えます。
「退くとして、その後どうすれば良いと考えていますか? 捲土重来するとして、御上を都以外のどこにおやすみいただくのですか」
吉備太郎はそこまで考えていませんでした。吉備太郎は吉平や竹姫の影響で闇雲に戦っても勝機はないと思っていたからです。
それに二万の武者が居ても倒せないだろうと直感していました。
だから退くことを提案したのですが、かといって代替案はありませんでした。
そんな風に困っていると。
「吉備太郎の代わりにあたしが言うわ」
傍に控えていた竹姫が毅然として声を発しました。
「……そなたは?」
左大臣は眉を顰めましたが、竹姫は構わず「吉備太郎の参謀よ」とさらりと言います。
「ふん。娘が場を弁えよ。一体誰の許可を得て――」
「そこの左大臣よ」
大納言の言葉を遮って竹姫は直言します。
「左大臣は吉備太郎に意見を求めた。それはすなわちあたしに意見を求めたと同じよ。だって、あたしは参謀なのだから。この場にどうしてあたしが居るのかはそれが理由よ」
「しかし、この場に居て良い道理は――」
「あるわよ。だって、最初にあたしが殿上したとき、誰も何も言わなかったじゃない。それは認めたと同じよ」
筋が通っているのか通らないのか分かりにくい論でしたが、大納言は黙ってしまいます。
詭弁でも正論に似たものであれば、道理は引っ込むのです。
左大臣は貴族の余裕と貫禄を持って竹姫に改めて訊ねました。
「ならば、どのような策があるのですか?」
「決まっているわ。東へ向かうのよ」
その言葉にその場に居る全員が驚きました。
中納言と右大臣は地方へ退き、勢力を拡大させることを画策していましたが、具体的には決めていませんでした。
「東? 東国へと向かうのですか?」
左大臣が訝しげになるのはもっともでした。東国は僻地でしたし、都を築くのに時間がかかります。比べて都の人間と比べて粗暴で野蛮な人間が多いと思われていたのです。
「ええ。関東の武者たちは強いわよ。それはあなたたちも分かっているでしょう?」
確かにそれも一理あります。
東国は西国と比較しても武者の質は高いと一般的に評されます。
それは都と遠く離れており、支援を受けられないことから、領主は自らの武者が強くなければ生き残れなかったという理由がありました。
「それに都に戻っても鬼の猛攻に耐えられないわよ」
「それは何故だ?」
大納言の質問に竹姫はあっさり答えます。
「交通の便が良いから。それは治めるのには利点だけど、攻められるのには欠点だわ。四方八方から攻めてこられるのだから」
理路整然とした説明に大納言は沈黙してしまいます。
「では東国のどこに都を定めるのですか?」
左大臣は興味を持ったようで、早口で問いました。
「そうね。はっきり言って都を造る必要はないわ。だって、軍勢が集まったらそれこそ一気呵成に攻め立てるのだから」
竹姫にはこの会議を収束させる方法はこれしかないと思いました。
それは両方の顔を立てること。
攻めるのは論外。
退いて守るのも論外。
ならば退いて攻めるべきと考えたのです。
それは右大臣と中納言の考えと少し違っていました。彼らは数年かけて鬼を滅ぼそうと思っていたからです。
「それは竹姫ちゃん、いくらなんでも焦りすぎではないかい?」
慌てて右大臣が諌めようとすると竹姫は「焦らないと人がたくさん死んじゃうわよ」と返します。
「しかし――」
なおも言葉を続けようとした右大臣に、竹姫は怒りを覚えました。
「いい? あなたたち貴族の勝手な都合で民が振り回されているのをいい加減分かりなさいよ!」
竹姫は感情の赴くままこの場にいる全員に訴えます。
「伊予之二名島が滅んだとき、あなたたちは何をしたの? 何もしなかったじゃない! それなのに自分たちの住んでいる都が酒呑童子に脅かされたら焦ったように軍勢を差し向ける。それがおかしいと思わないの? それで都が滅んだら、自分たちの都合で強攻だの退くだのとうだうだ言って!」
竹姫は感情が高まり、涙を流しながら続けました。
「あなたたちが戦うわけでもないのに! 勝手な決定を下して! それでたくさんの人が亡くなるなんて、どうかしてるわよ! 吉備太郎だって――」
「――竹姫、もういい」
吉備太郎は竹姫の手を握りました。
「き、吉備太郎――」
「私は考えることが苦手です。しかし竹姫はそれを補ってくれます。竹姫の意見は私の意見でもあります」
そして吉備太郎は頭を下げました。
「無礼は承知の上でお頼み申し上げます。どうか東へ向かうことをお許し願います」
水を打ったように誰も何も話しませんでした。
「俺は賛成するぜ」
沈黙を破って発言したのは今まで意見を言わなかった若い貴族でした。
「内大臣殿、正気ですか?」
大納言の言葉に「子どもにここまで言わせておいて、反対できねえよ」と言いました。
「それに悪くない策でもあるしな。しかし、えっと名前は竹姫って言ってたな。竹姫はなかなかに優秀だな」
竹姫はきょとんとしていました。
「利を説いてから最後に情で訴える。これで応えられないと貴族どころか人間以下だ。なあ左大臣、右大臣。二人はどう思う?」
内大臣は二人に訊ねると左大臣は「私は賛成します」と支持しました。
「平民とは思えない考えに感服しました」
「私も同意するよ」
右大臣も賛成したことで内大臣は「決まりだな」と言って、御上に申し上げました。
「御上。我らの総意は述べたとおりでございます。ご決断を」
するとありえないことですが、御上は御簾から出てきました。
御簾から出てきた御上は今にも倒れそうな老人でした。
「お、御上……」
貴族たちが慄く中、御上ははっきりと宣言しました。
「東国へ行く。皆の者、仕度をせよ」
そして吉備太郎と竹姫に微笑みました。
「ありがとう。お主たちのおかげだ」




