竹姫の知恵と機転
竹姫の突然の申し出――いやお願いをその場に居る者は何を言っているのか分かりませんでした。
「小娘。何故我々が貴様らを近江まで連れて行かねばならんのだ?」
大将は内心戸惑っていましたが、周りの部下たちの手前、威厳を保つために敢えて高圧的に訊ねます。
「あなたたち近江へ行くんでしょう? だったらついでにあたしたちも連れてってよ。そのくらい良いでしょう? あたしたち、近江へどうやって行けばいいのか、分からないの」
すると部下たちは笑い出しました。
「なんと厚かましい小娘だ」
誰もがそう感じたようです。
吉備太郎は黙っています。竹姫の考えることに口を挟まないことを決めたのです。
「そんな義理もない。理由もない。ゆえに貴様らを連れていくことはできぬ」
冷たく断る大将に竹姫は「義理も理由もあるじゃない」と得意げに言いました。
「義理も理由もあるだと?」
「ええ。まず義理のほうだけど、あなたたちは今から大和へ向かう予定だった。だけどあたしたちに会ったおかげで行かなくて済んだ。つまり無駄な労力を省けたってことでしょう。それは十分に義理ができた。恩ができたと言えるんじゃないの?」
笑っていた部下たちでしたが、竹姫の言葉を聞いているうちに徐々に真剣な表情へと変わりました。確かにそのとおりだったからです。
「次に理由だけど、あたしたち――まあ彼のほうは右大臣との関わりがあるわ。その人間を『保護』したのなら、右大臣への覚えも良くなるわ。心証も良くなるでしょうしね」
竹姫は義理という感情の話から一気に政治的な話に切り替えました。大将にとっての利を説いたのです。
大将は顎に手を置いて考えました。彼はこうして熟慮するときは顎の髭を触ります。
確かにこの娘の言っているとおり、義理も理由も満たしている。それに子ども二人を従軍させても負担が大きくなるわけでもあるまい。自分たちの最優先は御上と合流することだ。ならば――
大将は「良かろう――」と許可しようとしたそのときでした。
「いけませんぞ。口車に乗っては」
制したのは部下たちの中でも年老いた武者でした。この武者は先ほどから吉備太郎たちのことを怪しんでいました。
「忠正。お前はどのように考える?」
忠正と呼ばれた老武者は諫言します。
「この者が言ったことの裏づけはございませぬ。まず、右府さまと知り合いだと言うのも怪しく、また中納言さまの虚言だというのも疑わしいものです。敵を欺くのであれば分かりますが、味方を欺く理由が分かりません」
忠正は吉備太郎たちをかなり疑っているようです。
「全てこの者の虚言ならば、御大将を大和へ行かせないための策略。失礼を承知の上で申し上げますが、あなた様は敵が多い身、その者共が放った間者かもしれませぬ」
忠正の言ったことも推論ですが、身内の言うことは初対面の者の言葉より信用できてしまうものなのです。
「うむ。もっともだな。こやつらが間者かもしれぬ。しかしこの者が申すことも――」
「子どもが理路整然として利を説きますか? これは誰かの入れ知恵が――」
なおも疑う忠正に竹姫はとうとう怒りを爆発させました。
「ふざけないで! あたしたちが間者!? そんなわけないじゃない!」
先ほどまで冷静だった竹姫でしたが、子どもと侮る忠正の言いざまに腹が立ったようです。
竹姫は立ち上がりました。すると部下たちは武器を構えて大将を守ろうとします。
「もういい! あたしたちだけで近江へ行くわ。あなたたちには頼らない!」
そして武器を構える部下たちを無視して吉備太郎に告げます。
「さあ行くわよ! 吉備太郎!」
吉備太郎は「ああ、承知した」と言って立ち上がろうとしました。
「き、吉備太郎……?」
部下たちはざわめき始めます。
「あの酒呑童子を倒した、若武者?」
「この小僧がそうなのか?」
「まさか。虚言ではないのか?」
「しかし話に聞いていた容貌でもある」
思わぬ反応に戸惑う吉備太郎と竹姫。
大将も忠正も驚いて声も出せません。
「き、貴様があの吉備太郎なのか?」
部下の一人が吉備太郎に訊ねます。
「はい。そうですけど……どうかしました?」
部下たちは一斉に武器を納めました。
「すみませぬ! 疑ってしまって、なんと謝罪すれば良いのか……!」
忠正は額を地面に擦り付けて必死になって謝りました。
どうして一同は信じる気になったのでしょうか?
それは吉備太郎の今まで活躍が原因でした。
大江山の酒呑童子を倒した。それだけで武者たちにとっては英雄に等しいのです。
そんな英雄に対して無礼な対応をしたとなれば、他の武者たちからどんな目に合わされるか容易に想像できます。
竹姫はこの様子を見て、好機と感じました。
「あなたの名前は?」
大将を指差して訊ねます。
「な、名前だと?」
「そう。右大臣に報告するから。不親切な武者が居たことを」
それを聞いた大将と部下たちは本当に吉備太郎だと確信しました。
「そ、それは――」
「勘弁願いたい? それは筋が通らないわね。人がせっかく虚言で騙されたあなたたちに真実を教えたのに、それを疑った挙句、間者呼ばわりなんて、失礼だと思わないの?」
竹姫は言葉に大将はうな垂れてしまいます。
「竹姫、もういいじゃないか」
吉備太郎は見かねて声をかけました。
「はあ? あなた怒ってないの?」
「いや、私が同じ立場だったら疑うだろうし、それに私が余計なことを言ったせいでもあるからさ」
吉備太郎の言葉にその場に居る武者たちはほっと胸を撫で下ろしました。
「甘いわね。まあいいわ。それより、近江へ連れてってくれるわけ?」
竹姫は大将に訊ねると「もちろん、連れていく」と早口で答えました。
「皆の者、我らは近江へ向かう!」
大将の号令で部下たちは一斉に動き出します。
しかし――
「ちょっと待ってください」
吉備太郎の一言に一同は動きを止めます。
「いかがなされた?」
忠正が恐る恐る訊ねると、吉備太郎は「他にも大和へ向かっている人はいるんですよね?」と訊きました。
「その人たちに知らせてあげなくて良いんですか?」
吉備太郎は御上が居なければ困るだろうなあという善意で言ったまででした。
「しかしそれよりも御上の元へ向かうのが先決なのでは――」
大将が言いかけましたが竹姫は遮ります。
「いや、知らせてあげたほうがいいわね」
竹姫は大将に向けて話します。
「いい? 今このまま向かったらたった数百の武者たちで御上を守らないといけないわよね?」
「まあ確かにそうだ」
「他の武者たちも虚言に騙されて、大和へ向かっているはずよ。それらを集めれば、大軍勢を創れるのよ」
「それも確かだ」
「大軍勢を創って御上の元へ参ずれば、覚えも良いし、他の武者たちにも感謝されるわよ。それに虚言に騙された汚名も晴れる」
大将は御上の元へ少ない武者で向かうよりもそのほうが得かもしれないと思いました。
「分かった。皆の者、各隊に分けて武者たちに知らせに行くのだ!」
こうして大将は一日ほど、他の武者たちを待ちました。
すると虚言に騙された武者たちが続々と集まりました。
彼らは大将の下に付き、軍勢は多くなり、結果として八千の武者たちによる大軍勢となったのです。
このときできた軍勢は近江へ集まった武者たちの中でも一大勢力を築くことになります。
「竹姫は賢いなあ。よくもまあそこまで考えが回るな」
吉備太郎が褒めると竹姫は得意げに言いました。
「考えることと交渉はあたしに任せなさいよ。あなたは鬼と戦うことだけ考えなさい」
こうして竹姫の知恵と機転のおかげで、無事に近江へ辿り着くことができたのでした。
そしてそこで白鶴仙人の三つの選択が現実のものへとなるのです。




