推定だらけで断定はできないけど
おじさんに連れられて、吉備太郎は都の郊外にある屋敷の前に来ました。
吉平や鷲山中納言の屋敷と比べて豪華ではりませんが、吉備太郎は素朴な造りで良いなとぼんやり思っていました。
何かを思わないと胸が張り裂けそうになるからです。
竹姫と吉平の安否が知れない中、次にどうすれば良いのか、吉備太郎には分からなかったのです。
屋敷の奥から出てきた侍女らしき者は「ご主人さま、都の様子はいかがでしたか?」と不安気に訊ねました。
「駄目だ。生き残っているものはいない」
「……そうですか。そちらの方は?」
「この子か。……君はかゆの準備を」
侍女におじさんはやさしく言いました。
「かゆ、ですか?」
「この子は弱っている。だから何かを食べさせないと」
侍女は真剣な顔になり「承知しました」と急ぎ足で屋敷に戻ります。
おじさんは吉備太郎を気遣うように話しかけます。
「君にどんなツラいことがあったのかは分からない。けれど今だけはゆっくり休みなさい。君まで壊れることはないんだよ」
吉備太郎は黙って頷きました。
屋敷の一室に案内された吉備太郎に、すぐさまできたてのかゆが運ばれました。
「さあ。お食べ。まずは腹ごしらえだ」
さじを手に取ったまま動けずに居た吉備太郎でしたが、おじさんの言葉でようやく口にかゆを運びます。
「――美味しい、です」
吉備太郎の呟きにおじさんは嬉しそうに「そうか。良かった良かった」と笑いました。
かゆを残さず食べ終えて、吉備太郎はすっかり話す気力を取り戻しました。
「ありがとうございます。なんとお礼を申したら良いのか……」
「いいんだ。それよりも訊きたいことが山ほどあるんだ」
おじさんは柔和な瞳で見つめます。
「まず、君の名前はなんだい?」
吉備太郎は何も考えずに正直に名乗りました。
「吉備太郎です」
「吉備太郎? まさか大江山の酒呑童子を討ち取った若武者、かな?」
おじさんは驚きましたが吉備太郎のほうも驚きました。
「私のことを知っているのですか?」
「当然だとも。君は知らないのか? 都ではかなりの有名人だった」
おじさんの「だった」という言葉は悲しみを帯びていました。
「そうですか……」
「もしかして、鬼が来たことを聞きつけて、都に来たのかい?」
おじさんはどうやら都が襲われているとき、吉備太郎は不在であったと考えていました。
それは間違いではないのですが、吉備太郎は質問に対して「それは違います」と否定しました。
「実は茨木童子を倒しに都を離れて、帰ってきたら、都が……」
おじさんは怪訝な表情でさらに訊ねます。
「茨木童子? 大江山で倒したのではないのか?」
吉備太郎はこれまでの経緯を話すことにしました。
鷲山中納言に茨木童子を倒すように命令されたこと。
吉平たちと協力して、茨木童子を倒したこと。
とどめを刺そうとしたときに、悲しくておそろしい決断を迫られたこと。
吉平との対決。そして起きると山吹の死体があったこと。
元々説明するのが苦手な吉備太郎でしたが、おじさんは根気よく話を聞いてくれました。
「そうか。そのようなことが……」
おじさんは顎に手を置いて、考え込んでしまいました。
吉備太郎は次の言葉を待っていましたが、耐えきれなくなって訊いてしまいました。
「すみません。竹姫という娘と吉平さんの無事が分かりますか? 竹姫は私と一緒に居た十才くらいの少女で、吉平さんは――」
「うん。吉平くんの安否は確認できているよ。彼は無事だ」
おじさんが遮るように言いましたが、そんなことはどうでもいいらしく吉備太郎は喜びました。
「良かった! それで今どこに――」
次に居場所を訊こうとしたとき、おじさんの顔は暗く厳しいものになっていて、訊くことを戸惑ってしまいました。
「あのすみません。何かあったんですか?」
質問に答えるべきか悩む表情を見せるおじさん。
確かにこれから言う言葉は誰しも躊躇してしまいます。
まさか、鬼を憎む武者の友人が――
「吉平くんは、鬼の味方になった」
都を滅ぼした張本人であることを。
「えっ? 何を言っているんですか?」
吉備太郎は頭が真っ白になりながらも訊くことはできました。
「鬼の味方になったって、嘘ですよね?」
信じられない思いでおじさんに詰め寄る吉備太郎。
「嘘ではない。吉平くんが先頭に立ち、鬼共を導き、都を滅ぼしたんだ」
「そのような冗談――」
「冗談でそんなことが言えるかい?」
「どうして吉平さんが――」
「それは私が訊きたいくらいだよ」
おじさんは少し考えて、吉備太郎に訊ねました。
「山吹――確か坂井家の人間だったな――の死体はどうなっていたんだい?」
吉備太郎は質問の意図が分かりませんでしたが「どうにもなってませんけど」と答えました。
「本当にどうにもなっていなかったのかい」
「あの、意味が分からないんですけど」
おじさんは悲しげに言いました。
「それじゃあ喰われていなかったんだね」
吉備太郎は一瞬意味が分からず――次の瞬間、理解しました。
「なんで、鬼が殺したはずなのに、喰われていないんだ……?」
そうなのです。鬼に殺されたのなら喰われているはずなのです。
そしてあの場に居たのは吉備太郎を除いて――
「多分吉平くんが殺したんだね」
吉備太郎は信じたくありませんでした。
都を滅ぼした者が吉平であることも。
山吹を殺した者も吉平であることも。
何もかも信じられなかったのです。
いや信じたくなかったのです。
しかし――信じてしまう自分が居ました。
「どうして、山吹さんを殺めたんですか?」
吉備太郎は縋る思いでおじさんに訊ねます。
「分からないけど、その女の子が関係しているかもしれない。他にも理由があるかもしれない。推定だらけで断定はできないけど、これだけは言える」
おじさんはきっぱりと言いました。
「吉平くんは鬼の味方で君の敵だ。それは揺るぎの無い真実だよ」
未だ十五才の吉備太郎には重過ぎる真実でした。もはや何を信じればよいのか分からなくなりました。
吉備太郎は吉平のことを思います。
優しくて頼りがいがあって、どんなときでも味方になってくれた吉平。
そんな彼が敵に回ったと考えるだけで混乱してしまいます。
おじさんはそんな吉備太郎に声をかけようとしました。
「右府さま! いらっしゃいますか!?」
どたどたと足音が二つ、屋敷の中に響き渡りました。
そしてがらりとふすまが開けられました。
「おお、右府さま、ここにいらしましたか」
一人は褐色の背の低い中年の武者。
もう一人は枯れ木のように痩せた武者。
二人とも血相を変えて入ってきました。
「おお、二人とも無事だったのか」
おじさんは喜びましたが、褐色の武者は大声で諌めました。
「右府さま、何ゆえ一人で都へ行かれたのですか! 鬼共が未だ居るやもしれぬのに!」
するとおじさんは困った表情で弁解します。
「いや、その、自分の目で見たくてな」
「何をのん気なことを言っておられるのですか! このようなときに!」
褐色の武者がなおも言おうとしたとき、枯れ木の武者は「そちらの小僧は何者ですか?」と訊ねます。
「おお、こちらは吉備太郎くんだ」
おじさんが紹介すると武者たちが感嘆の目で吉備太郎を眺めます。
「おお、あの鬼殺しの……」
「酒呑童子を斬った若武者か」
吉備太郎はおじさんに「あなたは何者ですか?」と今更なことを訊ねました。
「自己紹介がまだだったね」
おじさんはにっこりと笑って言いました。
「私は匂宮基篤。右大臣をやっているよ」




