都に戻ると――
山吹の死体は都まで道中で埋めました。
本来ならば都に連れて行って、家族に渡してあげたいと吉備太郎は思いましたが、死体を晒して歩くのも避けたいところでした。
吉備太郎としても苦渋の決断でした。しかし一刻も早く都に着かなければいけないと考えていました。
それは五年間、野山を駈けずり回り、一人で生きてきた吉備太郎の野生の勘でもありました。
吉備太郎は後で迎えに来られるように、分かりやすい場所、森の中の拓けた場に埋めました。
雨が降った後だったので、素手で掘り下げることもできました。
「ごめんなさい、山吹さん。こんな淋しい場所に埋めてしまって。必ず家族の元へ返しますから」
吉備太郎は知らなかったことですが、山吹の家族は既に死に絶えていたのです。
山吹に残っていたのは家名と武術のみでした。それしかないのは哀れといえば哀れです。
埋葬を済ませた吉備太郎は自分のできる限りの速度を保ったまま、都へ向けて駆け出します。
「あの娘は一体どうなったのだろう」
草原には娘の死体はありませんでした。
「まさか吉平さんは都に連れて行ったわけでもないだろう。どこかに匿っているはずだ」
他にも可能性はありますが、難しいことを考える頭を持たない吉備太郎は一つの考えしか至りませんでした。
「もしもその娘に出会えたのなら、私はどうすれば良いのだろう」
あのときの吉備太郎は鬼と戦った直後だったので、気が高ぶり、殺すことしか考えられなかったのです。
しかし一旦は冷静になった頭で考えると殺すのはやりすぎだと思うようになったのです。
他に手はないのだろうか。
「方法としては鬼妊薬を無効にしてしまえば良いのだけど、それはできないと吉平さんは言っていた。だから駄目だ」
山道を街道と同じように走る吉備太郎。むしろ速さが増しているように思われます。
「だから最善は生まれてきた子どもを殺すことだ。それしかない」
発想が物騒になっているのは否めませんが娘を殺すよりは理性的とも言えましょう。
いや、罪も無い子どもを殺すことは正しくありませんが。
けれども吉備太郎からしてみれば、鬼であること自体が罪深いと思っても仕方ありません。鬼に全てを奪われた吉備太郎。彼を変えてしまったのは鬼のほうなのです。
「だけど、それも吉平さんは許さないだろう。まさか半々妖ってそういう意味だったなんて知らなかった」
吉備太郎は吉平が化け狐の孫だということを知っても、彼に対する友情は変わりありませんでした。
吉備太郎はおかしな人間で、鬼に対する恨みが強いせいで、鬼以外の人外に対しては何も感じませんでした。
例えば吉平が鬼の孫だったとしたら、知った瞬間、吉平を躊躇なく斬っていたでしょう。
鬼は悪。
それこそが吉備太郎の行動原理でした。
とても悲しい少年です。鬼を殺すことしか考えず、鬼を殺すことしか能力を割けない。
そして鬼を殺すことしか関心を持てない。
生き方は未熟でありながら無邪気。
鬼に村を滅ぼされなかったら、彼は一生を平和に暮らせていたのでしょう。優しい村人として生涯を終えたでしょう。もしかしたら村の誰かと結婚して子を育てて孫を愛でるといった平凡な人生を歩んだでしょう。
しかしそれは許されなかったのです。
鬼を憎む心が吉備太郎を変えてしまいました。
また吉備太郎自身は知らないことですが、彼の血がそうさせてくれなかったのです。
そうとは知らずに吉備太郎は吉平にどう謝ろうか考えていました。
「吉平さんに謝って、鬼の子を殺すことを認めてもらおう。そうでなければ、鬼の子は人々を喰らうだろう。それは避けなければいけない。鬼の子のためにも殺すことは必要なんだ」
残酷な考えでした。しかし吉備太郎なりに考えた結論なのでした。
「竹姫なら、良い考えが浮かぶだろうか」
吉備太郎が次に思ったのは、竹姫でした。
竹姫は吉備太郎よりも賢いので、彼よりも良い考えが浮かぶかもしれません。
「都に帰ったら、竹姫に相談しよう。吉平さんも交えて。一緒に考えれば名案が出てくるはずだ」
楽観的と言えることをのん気に考えながら、吉備太郎は走ります。
普通なら二日はかかる道のりを一日半で走りきった吉備太郎の体力と脚力はたいしたものでした。
鬼でさえ、吉備太郎には勝てないでしょう。
けれど吉備太郎は鬼に追いつくことはありませんでした。
草原から吉備太郎は都への道のりを走っていましたが、それは決して最短距離ではありませんでした。
加えて、吉備太郎は途中休息を入れて走っていましたが、鬼は二日や三日、寝なくとも動けますし、力を発揮することができます。
もしも最短距離で不眠不休で強行軍をかけることができるのなら。
そして最短距離を知る者が道案内したのなら。
さらに草原で気絶していた時間を鑑みるとしたら。
鬼が吉備太郎よりも都に着くことは容易だったのです。
「なんだ? あの煙は……?」
黒い煙が遠くから見えました。
方角は――都でした。
嫌な予感がした吉備太郎は、速度を上げて都へ向かいます。
走って。
走って走って。
走って走って走って。
その先に見えたものは――
「なんで、どうして……」
吉備太郎にとって、何度目か分からない、地獄だったのです。
筆舌し難い都の有様を語るとすれば、家は焼け落ちて見る影もありません。
そして路傍に転がっている死骸。
頭を喰われた男。
苦悶の表情の女。
焼かれた子ども。
吉備太郎はそれを見て、村のことを思い出して――吐きました。
「うげえぇえ! うぇえええ!」
誰も声をかける人は居ませんでした。
「はあ、はあ、はあ」
吉備太郎は都をふらふらと徘徊します。
生き残りが居るかもしれないなどと考えませんでした。
ただ一つだけ分かっていることがあります。
「鬼の仕業、なのか? どうして鬼が都を攻めたんだ?」
吉備太郎には理解できませんでした。
「吉平さん、竹姫、どこに居るんだ?」
二人の名前を呼びながら、吉備太郎は廃墟と化した都を歩きます。
吉備太郎は自分でもどこへ向かっているのか分かりませんでした。
そしてようやく辿り着きました。
「あ、あああ」
それは吉平の屋敷でした。
「ああああ――」
正確に言えば屋敷だったものでした。
「あああああああああああああああああああああああああ!!」
他の屋敷よりも無惨に破壊された吉平の屋敷を見て、吉備太郎は膝から崩れ落ちました。
竹姫と吉平を探す気力も残っていませんでした。
ただその場で子どものように泣いています。
「私は、また、守れなかった……!」
吉備太郎は地面に拳を叩きつけます。自らの手が傷ついてしまっても関係なく叩き続けます。
「竹姫、吉平さん、山吹さん、ごめんなさい。私は鬼に勝てなかったんだ……!」
何度も何度も地面に拳を叩きつける吉備太郎を止める者はいない。そう思われたときでした。
「君、生き残りか? よく生きていたな」
後悔と怒りで我を失っていた吉備太郎に声をかけた人が居ました。
「……えっ?」
振り返るとそこには身なりの良い服装を着ている痩せ気味のおじさんが心配そうに吉備太郎を見つめていました。
「あなたは……?」
見覚えがあると吉備太郎は思い出そうとしました。そしてハッと気づきました。
「吉平さんの屋敷を案内してくれた、おじさん? どうしてここに?」
吉備太郎たちが最初に都に着いたときに道を教えてくれた親切なおじさんでした。
「君は生き残っていたのか?」
「いえ、今ここに着いたのです」
「そうか……君、私の家に来なさい」
おじさんはそう言って吉備太郎に手を差し出しました。
「困っている子どもを見捨てられないよ。さあこっちにおいで」




