つかの間の平和
御所で今回の討伐についての報告をした後、吉備太郎と吉平は屋敷に戻りました。辺りはすっかり夜です。到着すると式神の下男から「お食事の御用意が整いました」と恭しく言われました。
「吉備太郎ちゃん、まずはメシだ。ろくなものを食べていないし、今夜は豪勢といこう」
ろくなものと言いますが、吉備太郎が独りきりで過ごした五年間の食事に比べれば、討伐隊での食事はそれこそ豪勢だったのです。
「ありがとうございます。いただきます」
吉備太郎たちは食事が用意されている部屋へと赴きました。
「何してたのよ? 遅かったじゃない。ご飯が冷めてしまうわよ」
御膳の前で行儀良く座っているのは、竹姫でした。彼女はそわそわしながら、二人を待っていたようです。
「ああ、竹姫ちゃん。遅くなってごめん。待っててくれたんだ」
吉平が飄々とした態度で話しかけると、竹姫はそっぽを向きました。
「別にあんたを待ってたわけじゃないから」
どうやら吉備太郎を出世のために利用するという発言を未だに気にしているようでした。
「ふうん。じゃあ吉備太郎ちゃんを待ってたんだ。良かったね吉備太郎ちゃん」
からかうように言う吉平に吉備太郎はどうして私なんかを待っていたのだろうと思いながら「はあ。嬉しいです」と言いました。
「別にいいわよ。それより食べましょう」
どこか食べさせようと急かしているとする竹姫に疑問を持った吉平とまったく不思議に思わない吉備太郎はそれぞれ席に着きました。
吉備太郎は竹姫の向かい側。
吉平は上座に座りました。
席に着いた瞬間、吉平はいつもと違う食事だなと思いました。
はっきりと言いましょう。見た目はとんでもなく悪いです。盛り付けもなっていませんし、焼き物は焦げていますし、椀物はどことなく色が変に濁っています。
これを作ったのはうちの使用人たちではない。そう確信できる料理だと判断した吉平は口を開こうとしましたが、すぐさま噤みました。
竹姫が料理に手をつけることなく、吉備太郎を注視していたからです。
まるで試されているような心境の顔でした。
吉平はああ、なるほどと思ってことの成り行きを見守ることにしました。
竹姫の視線など気にせずに、吉備太郎は食事をします。
一口食べた吉備太郎は目を丸くしました。
竹姫は顔色が一瞬で真っ青になりました。
吉平も危ないんじゃないかと思いました。
部屋は沈黙で包まれて、誰も動けませんでした。
口を開いたのは、吉備太郎でした。
「う、うううう……」
竹姫は口を抑えて涙目になりました。
吉平は可哀想にと二人に同情しました。
しかし――
「美味い!」
吉備太郎の口から飛び出たのは称賛の声でした。
「えっ? 美味しいの?」
竹姫が呆然とする中、吉備太郎は物凄い勢いで食べ始めました。
「こんなに美味しいもの食べたのは初めてだ! 吉平さん、これが豪勢な料理なんですね! 感動しました!」
吉平はちらりと竹姫を見ました。
竹姫は口に指を置いて「黙ってて!」という合図を送りました。
「ま、まあね。戦いの後で疲れているだろうから、一層豪勢なものを用意したんだ。美味しいかい?」
「ええ! 美味しいです!」
元気良く答える吉備太郎に照れる竹姫。
「いつも食べるご飯も美味しいですけど、今日は特別ですね! 何か工夫がありますか?」
吉平は悪戯っぽい顔で吉備太郎に言います。
「工夫というよりも愛情が――」
「それ以上言ったら殺すわよ吉平」
竹姫から発せられる「話したらあんたを殺してあたしも死ぬ」という無言の圧力が吉平の背筋をゾッとさせました。
「竹姫、女の子がそういう言葉を使うんじゃない」
吉備太郎は何故止めたのか分からないけど、乱暴な言葉を使うのは良くないと思って言いました。
「……分かったわよ。もう言わないわ」
竹姫は顔を背けて、自分の料理を食べ始めました。
吉平はホッとして、食事をし始めます。
食べてみると、見た目よりは味は悪くありませんでした。それでも普段の料理と比べたら味は落ちると思います。
やはり愛情なんだなと吉平は考えました。
「それで吉備太郎。あなたこれからどうするつもりなの?」
食事をし終えて、竹姫は問いました。
「鬼の本拠地に行こうと思う。吉平さん、約束しましたよね」
吉平は酒を呑みながら「そのことなんだけど」と切り出しました。
「吉備太郎ちゃん、鬼の本拠地に行く前に少し鍛えないかい?」
吉平の提案に吉備太郎は首を傾げました。
「鍛える、ですか?」
「そうさ。先の戦いで君は確かに鬼に勝った。でもそれは自分一人の力で勝ったものではないよね」
そのとおりです。鬼平太との戦いでは吉平と山吹の協力がなければ倒せなかったですし、酒呑童子との戦いはそもそも神便鬼毒酒がなければ有利に戦えなかったでしょう。
「確かにそうですが、私は一刻も早くみんなの仇を――」
「だからこそだ。みんなの仇を取るために、強くならないといけないんだ。君はまだまだ強くなれると確信できる」
吉平は吉備太郎を死なせたくありませんでした。それに加えて都を守る武者は一人でも多く居たほうが良いという打算もありました。
それでもやっぱり吉平は吉備太郎のことが好きになっていたのです。
「……強くなる、ですか。あまり考えていませんでした」
吉備太郎は心の内を竹姫と吉平に打ち明けました。
「私は死ぬために生きてきたのかもしれません。みんなと同じように死ぬべきだと思って、せめて鬼を一匹でも多く殺して死のうと思っていました」
「吉備太郎! それで死んでいったみんなが納得すると思うの!?」
竹姫は耐え切れずに怒り出しました。
「うん。分かっているよ竹姫。みんながそんなことを望んでいないってことは。これは私の自己満足だってことは」
吉備太郎は竹姫に言うのではなく、自分に言い聞かせているようでした。
「そうしなければ生きてこれなかった。孤独で死にそうだったんだ。そう思わないと自害してしまいそうだった」
吉平は吉備太郎の『孤独』がなんとなく分かるような気がしました。
自分も半々妖として蔑まれた過去があるからです。
「なあ竹姫。私は何を支えに生きればいいんだろうな。鬼を殺すために生きてきたことを後悔したことはないけど。それでも――」
吉備太郎の言葉は詰まってしまって最後まで続けられませんでした。
「あなたはいろいろと背負い過ぎなのよ」
竹姫は先ほどの怒りと打って変わって優しく諭します。
「みんなの仇を討ちたい気持ちは分かるけど、それであなたまで死んでしまったら、本末転倒じゃない」
吉備太郎はそれに答えられませんでした。
「……庭で素振りしてくる」
吉備太郎はそのまま部屋から出て行きました。
「吉備太郎ちゃんはどうして死に急ぐのかねえ。生きていれば良いこともたくさんあるのに」
竹姫は吉平に対して厳しく言いました。
「きっとそれまでの思い出が楽しかったからよ。毎日がきらきらと輝いて、吉備太郎を縛っているのよ」
竹姫の考えはあっていました。思い出は夕日のように人を振り返らせます。それが素晴らしいものであればあるほど、心の拠り所にしてしまうのです。
「なんとか吉備太郎ちゃんをここに引き止めないとな」
吉平の呟きに竹姫は「是非そうしてちょうだい」と素っ気無く言いました。
「吉平、まさかだと思うけど、一応訊いておくわ」
「うん? なんだい?」
「あなたまさか、鬼の本拠地を知らないわけないわよね?」
吉平は笑って答えました。
「それこそまさかだ。ちゃんと知っているよ。ただ、知らせたくないこともある」
「知らせたくないこと? 何よそれ」
吉平は酒を呑み干してから言いました。
「鬼の本拠地には二千匹の鬼が居るんだ。吉備太郎ちゃん一人じゃあ到底敵わない」




