帰京そして新たな戦いの火種
数日後、武者たちの軍隊は意気揚々と都へと帰京しました。都を脅かす酒呑童子を討ったのです。都中が歓喜し、暖かい声援と共に武者たちを迎えました。
「流石は御上が召集した精鋭だ」
都の人々は口々にそう言いました。
「しかし定森さまが亡くなってしまったのは、残念だったな」
「さぞかし勇敢に戦ったのだろう」
「まことの武者とは定森さまを指すのだ」
人々は惜しむように定森を哀悼しました。
しかし武者たちの中には暗い顔をしているものが一人だけ居ました。
それは吉平でした。
「茨木童子と熊童子だけ討ち取れなかった。これは想像以上に不味いな」
吉平は人々に不安を与えないようににこやかに笑っていましたが、内心は考え事や謀り事で一杯でした。
「気に入らぬことだが、鷲山中納言さまに御意見頂戴しないといけない。悔しいがあのお方ほど、策を弄するのが上手いのは居ない」
吉平は毒を盛るという卑怯な手は二度と使えないし、使いたくないと思っていました。
けれども茨木童子たちと戦うには中納言の知恵を借りてでも戦わなければならないとも覚悟していました。
その際は、吉備太郎の力が必要だとも思いました。
ちらりと吉平は吉備太郎を見ました。
先ほどまでは子どもらしくない厳しい表情をしていましたが、今は和らいで素朴な印象を与えます。
吉平は白鶴仙人が言っていた『二人の男女がお主の悲願を叶えるだろう』という文を思い返していました。竹姫はともかく、吉備太郎は鬼を実際に二匹も倒してしまったのです。その中の一匹は鬼の首領でした。
吉平は吉備太郎を自分でもどうしたいのか迷っていました。
初めは利用しようとしていました。自分の『悲願』のために心を殺して、道具として使おうと思っていました。
しかし次第に吉備太郎をそんな目で見られなくなったのです。
そのきっかけは山吹から庇ってくれたことでした。吉備太郎ははっきりと吉平のことを『友人』だと言い切ったのです。
「友人と言われてしまって、しかも自分よりも年が下の子どもならば、利用してしまったら鬼畜生以下に成り下がってしまう」
悩んだ結果、大江山合戦では吉備太郎を近くに置きました。先陣を切らせてしまえば、万が一でも毒が効かなかったたら、真っ先に殺されてしまうかもしれないと思ったからです。実際に定森は死んでしまったですし、その考え方は臆病というよりは慎重と評したほうが正しいのかもしれません。
吉平はもしかすると友人として吉備太郎を好いてしまったのかもしれません。そしてほっとけないとも思ってしまったのでしょう。
何故なら、目を離してしまえば、あっさりと死んでしまいそうだったのです。
吉備太郎がこうして生きていられるのは、山吹や吉平の助けがあればこそでした。最初の鬼、鬼平太と戦いもそうですし、酒呑童子との戦いもそうでした。
当の吉備太郎は自覚していないのかもしれません。自分が生きていることが奇跡の積み重ねだということに。
それを自覚したとき、吉備太郎は自分の運命も自覚することになるのです。
さて。思考を巡らせている吉平と同様に考えているのは征鬼大将軍の娘、山吹でした。
これから彼女はおそらく家督を継ぐことになるでしょう。それは異存ありませんが、周りの一族連中が何を言ってくるのかが問題でした。
この時代、女性が家督を継ぐことは問題ありませんでした。問題は自らの力のなさ、無力さでした。
「我は父上を死なせてしまった。その責は負わねばならん」
山吹は自害することも辞さないという悲壮な覚悟を決めていました。
一族の中心である坂井家の惣領となるにはまず力が必要でした。定森はそれに見合った武者でしたが、齢が二十も過ぎていない山吹にはまだまだ実力はありませんでした。
ならば坂井家の家督だけを継ぎ、惣領の地位を一族の他の者に譲れば良いだろうと普通の人間ならば考えますが、武者として、惣領の娘として、それはできませんでした。
それこそが山吹の限界でもありました。固定観念に囚われてしまい柔軟な発想ができない彼女の悲しい現実でもあったのです。
せめて彼女の兄、定海が存命であれば事は簡単に済んだのでしょう。しかし母親も病で既に亡くなっていて、頼れるものは居ないのでした。
その状況の中、頼れる者といえば――
「仕方ない、癪だが鷲山中納言さまに御意見伺おう。元々、坂井家は鷲山家の家人だった間柄だ。何か策を頂けるかもしれない」
奇しくも吉平と山吹は同じ相手を頼ることとなりました。
それが予想もつかない結果になるのです。
御上の居る御所の近くに着くと、その門の前にはなんと大勢の人だかりが居ました。それは武者たちの家族でした。
自らの夫や子どもが無事だと知ると涙を流して喜ぶ女たち。
その中には――
「無事だったみたいね」
竹姫が怒っているのか喜んでいるのか判別のつかない表情で吉備太郎を睨んでいました。
「ああ、竹姫。来てくれたんだな」
吉備太郎は笑みを見せました。
「言っておくけど、心配して無いから」
竹姫の素っ気無い言葉。それを「ふくく……!」と笑う者が居ました。
「うん? ああ、蒼龍か」
吉備太郎は竹姫の後ろに居た蒼龍を見つけました。何故か蒼龍は笑っていました。
「なあ!? 蒼龍あんた余計なこと――」
「あっはっは。もう限界です! 心配して無いって!」
腹を抱えて笑う蒼龍。
「一足先に帰った僕に『吉備太郎は無事なの!? 無事なんでしょ!?』って涙混じりに食ってかかったくせに! なんですかその態度――」
最後まで言えませんでした。竹姫の無言の拳が蒼龍の鼻に当たりました。放物線を描くように鼻血が飛び出して、その場に倒れてしまう蒼龍でした。
「えっと、竹姫?」
「……蒼龍の言ったことは、でたらめだから。忘れなさい、今すぐに」
顔を伏せてしまう竹姫。しかし吉備太郎は彼女が何故赤面しているのかが分からないのでした。
だから吉備太郎は素直に言いました。
「その、無事に帰って来たよ。約束どおりに」
その言葉に竹姫は涙が溢れそうになりましたが、グッと堪えて「……そうなの」とだけ言いました。
「約束守ってくれて嬉しいわ。それじゃ、屋敷に帰るから」
そう言って、竹姫は踵を返して屋敷へ戻りました。
「まったく、素直じゃないですね」
蒼龍もそう言い残して竹姫の後を追いました。鼻血を垂らしながら。
吉備太郎は馬鹿みたいにその場に立って、竹姫はどうして心配していないのにわざわざここに来たんだろうと考えていました。
どこまでも鈍い吉備太郎なのでした。
それとほぼ同時刻。
大江山に二匹の鬼が根城に居ました。
彼らは根城の戦いが行なわれた広間で検分をしていました。
「どうやら親分は殺されちまったようですぜ、茨木の兄貴」
普通の鬼よりも大きい、熊童子が言いました。
「……毒を盛られたようだな」
冷静に言っていますが、怒りを隠しきれていない、熊童子よりも大きい鬼、茨木童子。
「本当ですか? ……人間共、道理を弁えていませんな」
「おい熊。お前は大親分のところへ戻れ」
茨木童子は広間から出ようとします。
「兄貴はどうするつもりですか?」
熊童子が訊ねると、茨木童子は血走った目で言いました。
「決まってるだろう。人間共を皆殺しにするんだ……まずは村々を焼き払う」
熊童子は止めても無駄だと悟って言います。
「大親分に援軍を頼みに行きますよ。それまで死なんでください」
広間の門が閉じました。
茨木童子は歩きながら呟きました。
「酒呑童子の兄弟を殺した奴らを皆殺しだ……八つ裂きにしてやる……」




