子どもと戦いの本質
吉備太郎が鬼と戦った日の夜。
「一人で鬼に立ち向かうなんて、無茶にも程がありますよ」
吉平の屋敷に居た、傷を治してくれる不思議な男の子――蒼龍と名乗っていました――が呆れた調子で吉備太郎に言いました。
「すまない。頭に血が上ってしまって……」
「僕に謝られても困りますよ」
浅黄色の服に身を包んだ蒼龍は鬼との戦いで怪我をした吉備太郎の治療をするために、吉平によって召喚されたのでした。
今現在、二人は襲われた村の家屋の一軒を借りています。
「それではいきますよ」
暖かな光が吉備太郎を包みます。傷は徐々に塞がり、折れた骨も元通りに接がれました。
「なんと面妖な……君も式神と聞いているが、式神であれば可能なのか」
骨折した箇所を触りながら吉備太郎が言った疑問にくすりと笑いながら蒼龍は答えました。
「僕と虎秋は特別なんですよ。後二人、特別な式神は居ますが、それはいずれ吉平さまが紹介するでしょう」
言い終わると蒼龍は予告もなく音もせずに消え去りました。まるで最初から居なかったように。
「……お礼を言いそびれてしまったな」
唐突に去ってしまった蒼龍の居た場所を見つめながら吉備太郎は苦笑いをしました。
そして立ち上がり、身体の調子を確かめます。その場で跳躍したり、腕を振ったり、脚を上げ下げしました。
戦うのに支障がないことを確認し終えた直後、がらりと扉が開きました。
「おお、吉備太郎ちゃん。元気になって良かった。安心したよ」
部屋に入ってきたのは陰陽師の吉平と女武者の山吹、そして征鬼大将軍の定森でした。
「大怪我をしたと聞いていたが、大事無いか?」
定森は吉備太郎に問います。
「はい。問題ありません」
「うむ。このたびはよくやってくれた。鬼を倒した武者よ。天晴れだ」
手放しで褒められて吉備太郎は嬉しく思いました。
「それにしても流石は都一番の陰陽師といったところだな。怪我をあっさりと治すとは」
定森が吉平を褒めるとあからさまに山吹が機嫌を損ねました。
「父上。お言葉ですが、この者の仕事ですので当然のことだと存じ上げます。あまり持ち上げなさりませんように」
「あほんだら。鬼を倒した武者を全快させて、戦いに参加させることの重要性を知らんのか」
「しかし――」
山吹がなおも言葉を続けたそのときでした。
「吉平さん、山吹さん。ありがとうございました」
吉備太郎は二人に向けて頭を下げました。
「……何を貴様はしているんだ?」
山吹は吉備太郎の感謝に困惑していました。
「先ほどの戦いで加勢をしていただけなかったら、私は死んでしまったでしょう。命拾いしました」
山吹は今度こそ不思議に思いました。
「何故、貴様は礼を言えるのだ?」
「と言いますと?」
「我らは一騎打ちの邪魔をしたのだぞ?」
武者であれば一騎打ちは神聖なものととらえられています。それを無粋に邪魔をした自分にどうして礼を言えるのか、山吹には理解できませんでした。
すると今度は吉備太郎が不思議そうな顔をしました。
「命を助けられて礼を言わないほど恩知らずなことはないと母上から教わりました。それに一騎打ちにこだわったりしませんよ。最後に鬼を殺せればそれで良いのです」
山吹はここでようやく吉備太郎の本質を理解しました。吉備太郎は山吹と違って、武者としての矜持や考え方を備えていないのです。だから戦場で尊いとされる習いやしきたりが分からないのです。
最終的に鬼を殺せれば良いと思っているのです。そのためならたとえ人の嫌がる卑怯な行ないでもためらいなく実行できるのです。
山吹は吉備太郎のことを改めて危ういと感じました。一つの目的に向けて全力で取り組める反面、善悪と正邪に無頓着というある意味子どもらしい無邪気さを持っています。それは武者としては限りなく失格に近いと考えました。
しかし内心は武者としての教育を施せば、誰よりも強い武者になれるだろうと予測しました。
惜しいなこの少年はと山吹は思いました。
そんな気持ちを隠しつつ、山吹は「礼などいらん」と突っぱねます。
「我は鬼を倒す機会だと踏んで助太刀したまでのこと。当然のことをしたまでだ」
吉備太郎は山吹の葛藤を知らずに「はあ。そうですか」と気の無い返事をしました。
「気にするな吉備太郎ちゃん。感謝は俺が受け取っておくよ。どういたしまして」
吉平はわざと明るく言いました。
「礼は済んだな。ではこれより本題に入る。吉平、神便鬼毒酒の準備は整ったか?」
毅然とした態度を取っていますが、歴戦の武者である定森は焦っていました。
先ほどの戦いで武者が三人ほど亡くなりました。問題は戦力の喪失ではなく、士気が下がってしまったことです。
亡くなった三人はそれほど腕の立つ武者ではありませんが、弱いとも言えません。中位の実力を持った武者だったのです。それがあっさりと殺されてしまったのを見て、戦意がなくなってしまったのは否めません。
この状況が不味いのは戦ってもいないのに士気が下がってしまったのはかなりの痛手でした。そこで定森は武者たちに策を打ち明けることで、鬼が弱体化して楽に戦える事実を認めさせようとしました。
それはなかなかに効果はありましたが、それでも恐怖を拭うことはできませんでした。
そのために神便鬼毒酒が確実に使えることを確かめなければいけなかったのです。
「ええ。滞りなく準備は整っています」
吉平は定森の心理が分かっていたので、自信満々に答えました。
「問題はどうやって鬼全員に酒を飲ませるかですね。ただ仕込んだだけでは確実に飲むか分かりません」
定森は顔を上に向けて宙を睨みます。
いかにして飲ませるか。それがこの策の肝でした。
すると吉平は定森に自身の策を述べました。
「俺の呪術に死体を動かすものがあります」
吉平の言葉に山吹も定森は顔を見合わせました。
「それは――禁術ではないのか?」
山吹が訊ねると吉平は「死者を甦らせることは禁術だが、動かすのは禁じられていない」と暗い顔で答えました。
「それに人間の死体だけではなく獣も行使できる。当然鬼にも有効だろう。今、俺の式神が鬼の死体を修復している最中だ。それを使って鬼を騙して飲ませる」
誰が見ても卑怯な行ないです。敵を騙すこと自体、卑劣な行為であるのに、さらに死体を使うなど、言葉にするのもおぞましいほど悪辣です。
「具体的にどのようにして騙すのだ?」
定森は自分の倫理観や道徳を意識から外しました。娘の信じられないといった表情すら考えないことにしました。
「都へ運び込まれる商人を襲ったら、荷が酒だったことにしましょう。鬼は奪ったものを抵抗なく飲むに決まってます。鬼を操って飲ませて、それから突入します」
「…………」
山吹は何か言いたげに父親に視線を向けますが、定森は「分かった」と頷きました。
「手はずは吉平に任せる。決行は明日。それでは頼んだぞ」
吉備太郎たちを置いて、定森は部屋を退出しました。一目も娘に向けることはしませんでした。
山吹は吉平に「貴様はそれでいいのか」と問いました。
「良いわけないだろう。でもそれしか方法はないんだ」
吉備太郎は不思議に思います。どうして鬼を殺すのに、ここまで悩んでいるのだろうと。
吉備太郎は鬼を倒せるならどんなことでもするでしょう。
もしもそんな頑なになった吉備太郎を変えられるのは、亡くなった両親くらいしか居ないでしょう。
一方、定森は一人きりで考えたいと思い、部屋に篭もることにしました。
部屋の中央で正座をして、目を瞑って自らの行ないを考えました。
「ろくな死に方をしないな……まあいい。自らの役目を果たすのみだ」
そうして夜が明けました。
そして決行の日の夜。
彼らは戦いの本質を知ることになるのです。




