襲われた村
大江山への行軍は順調に進められました。百人規模の軍勢を操るのは歴戦の武者である定森にとっては容易いものです。適度な休息と食事を与えれば不満など起こるわけがありません。
百人ほどの腕利きとは他に、食糧を運ぶ部隊を組織したのも効果がありました。戦うことだけ考えればいいのは武者の負担を大いに減ることができ、運搬部隊も戦うことはしなくていいと定森から直々に言われているので、安心して運んでいました。
しかし運搬部隊の兵たちには一つだけ不可解なことがありました。
「食糧を運ぶのは分かるが、これだけの大量の酒、どうするつもりなんだ?」
「まさか酒盛りをするつもりなのでは?」
「厳格な定森さまがそのような真似を許すわけなかろう」
その酒とは神便鬼毒酒でした。これこそが鬼に対する唯一の対抗手段であるのです。
そうとも知らない兵たちは不思議そうに酒を運んでいました。
吉備太郎は吉平と共に討伐隊の後方に居ました。彼は変わらない景色を退屈そうに眺めながら、今朝のやりとりを思い返していました。
「吉備太郎。これ、あたしが創った小太刀よ。いざってときに使いなさい」
屋敷の門の前。竹姫から渡されたのは漆塗りの小太刀でした。抜くとハッとするくらい美しい刀身が映えていました。
「ありがとう。これで鬼共を退治してくる」
吉備太郎は笑いましたが、竹姫は笑いませんでした。
「ねえ。本当に行ってしまうの? 吉備太郎は怖くないの?」
竹姫が縋るように吉備太郎の両手を握りました。
「ごめん。それはできないんだ」
吉備太郎は竹姫の目を見て言いました。
「父上と母上と村のみんなの仇を取りたいんだ。竹姫、これはどうしようもないことなんだ」
「どうしようないわけ、ないじゃない……」
竹姫は口元をきゅっと結んで、泣きたくなるのを堪えました。吉備太郎を行かせたくありませんが、邪魔をすることだけはしたくなったのです。
「吉備太郎、危なくなったら逃げるのよ。約束して。お願いだから」
竹姫の真剣な表情に吉備太郎は約束しました。
「分かった。必ず生きて帰る」
「…………」
竹姫は吉備太郎に何か言おうと思って、でも言いませんでした。
ただ黙って、吉備太郎を見送りました。
「なあ吉備太郎ちゃん。どうしたんだい何か物思いに耽って」
吉平の言葉にハッとして意識を戻しました。
「なんでもないですよ。ちょっとぼうっとしただけです」
「まあ戦いの前だもんな。そういうこともあるよな」
吉平は納得して、それから吉備太郎に訊ねます。
「どうだいその鎧具足は。吉備太郎ちゃんの身体にぴったりじゃないか」
吉備太郎は農民の姿から鎧具足に身を包んだ武者らしい姿へと変わっていました。
「動きづらいと思っていましたが、意外と軽いんですね。驚きました」
「まあ薄手の鎧だからな。防御力は落ちてはいるが、代わりに俊敏に動けるはずだぜ」
これは吉平が数日で創り上げた鎧具足でした。しかし薄手とはいえ、たった数日で創れるのでしょうか?
「知り合いに腕の良い鍛冶屋が居て、僅かな日数でもこれだけのものが作れるんだ。その鍛冶屋は帰ったらもっと良い鎧を創ってやるって言ってたよ」
鎧具足は色染めしていませんでしたが、それが無骨さを表現しており、どこか味わいのあるものへとなっていました。
「もうすぐ大江山近くの村へ着く。そこで休息を取るみたいだ」
吉平はいつもの狩衣でした。戦いに赴く姿ではありません。けれども弓矢を携えていて、それを武器に戦うつもりのようです。
「呪術は使わないんですか?」
吉備太郎が訊ねると「使うけど一応ね」となんだか誤魔化されてしまいました。
大江山に近づくと武者たちが警戒し始めました。いつ何時鬼が現れるか分からないからです。
そうして皆が緊張感を持って歩いていますと、先頭を歩いていた武者から馬上にいる定森に報告が上がりました。
「坂井さま、怪我をした村人が居りまして、どうやら鬼に襲われたらしいのです」
「なんだと? その者は口をきけるのか?」
「いえ。ただうわごとのように『鬼が村を襲いに来る』と繰り返し申しております」
定森は全軍に指令を出しました。
「皆のもの! 村へ急ぐぞ! もしかしたら襲撃に遭っているのかもしれん!」
武者たちは駆け足で村へと向かいます。
吉備太郎も吉平も走りました。後方から先頭へと向かいます。
吉備太郎は自分の血がどんどん熱くなってくるのを感じました。
憎い仇の鬼が居るかもしれない。そう思うだけで怒りが恐怖に勝るのです。
「吉備太郎ちゃん、そんなに焦ると――」
吉平が吉備太郎に忠告したそのときでした。
「鬼が居るぞ! 村を襲っている!」
叫び声が聞こえました。
「吉平さん、先に行きます!」
「待つんだ吉備太郎ちゃん!」
吉平の制止を振り切って、吉備太郎は速度を上げて走ります。
野山を駈けずり育った吉備太郎の健脚は誰よりも速く、もはや並みの人では追いつけないほどでした。
吉備太郎は走って走って走って。
そして村に辿り着きました。
そこで見たものは、五年前と同じ、地獄でした。
家々は焼け落ち、喰い散らばった人の骸が無造作に捨てられ、辺り一面が血の海でした。
もはや人の居るべき場所ではありませんでした。
「ははは! 弱いのう、武者は!」
下卑た声が村中に響きます。
吉備太郎はおそれることなく、声の主に向かいます。
おそれよりは怒りを感じていたのです。
村の広場に鬼は居ました。
鬼は武者たちに取り囲まれていました。一匹だけです。
鬼は頭に角が生えて、銀色の目玉、背丈は吉備太郎よりも大きく、およそ七尺はあるでしょう。まるで山賊のような身なり。手には大刀を持っています。
これが鬼かと吉備太郎は思いました。五年前は見ることもできなかった鬼。それが眼前へと迫っていました。
武者たちは一斉に襲い掛かります。
「しゃらくせえ。雑魚どもが!」
大刀を振るっただけで、武者たちは吹き飛び、倒れてしまいました。
「情けねえ。所詮、人間は俺たちの食い物。これが限界か」
鬼は武者に一人を掴んで、兜ごと頭からぼりぼりと食べ始めました。
「うーん、やはり脳が美味しいなあ」
「――っ!」
吉備太郎はまともに頭を働かせませんでした。
鬼に向かって突貫したのです。
「らぁああああああああ!」
吉備太郎は自然と声が出てしまいました。それに気づいた鬼は振り返ると、目の前に居る吉備太郎の刀を「おおっ!?」と大げさに驚いて避けました。
「なんだ坊主。やる気か?」
吉備太郎は鬼に言いました。
「この外道め! ここで成敗してくれる!」
その言葉に鬼は目を丸くした後、大声で笑いました。
「ははは。貴様のような餓鬼に俺が殺されるか! 貴様はイカレか? まあいい。相手になってやろう」
鬼は武者の死体をほうり捨てて、吉備太郎に大刀を向けます。
「ほら来いよ。俺を殺してみな」
吉備太郎は大声で叫びます。
五年間の恨みと怒りを吐き出すように。
目の前の悲劇を止められなかった後悔と共に。
鬱憤を晴らすように叫びます。
「貴様を必ず殺してやる! 許さないからな!」




