卑怯と道理を知らない子ども
「父上! こやつが加わることは反対です! そもそも何故この場に居るのですか!?」
集まった武者たちを解散させた後、定森は吉備太郎と吉平を自らの屋敷に呼び出しました。どうやら話したいことがあるようです。
しかし定森の娘、坂井山吹はその行為に怒りを感じているようでした。
屋敷の一室で吉備太郎は吉平の様子を見つつ、目の前で怒鳴っている山吹を鬱陶しく思っていました。
女性の苛立ちというのは男性目線からするとこのように醜く映るのです。
定森は「喧しいぞあほんだら」と耳の穴を掻きながら宥めるように言います。
「いいか山吹。安倍の倅は今回の戦いの鍵となる男だ。そのような口の利き方はよせ」
吉備太郎はそこで吉平の姓が『安倍』だと知りました。しかし田舎暮らしの農民の子である吉備太郎にとって『姓』がなんなのかは分かりませんでした。
だから吉備太郎は「安倍という人の子どもなのか」と思い込んでしまったのです。
「しかし、半々妖の力を借りるのは――」
「その言い方もやめろ。おまえはいつから口の利き方が悪く――」
説教が始まろうとしたのが分かっていたのか、吉平は「いいえ、坂井さま、俺のことは構わないでください」と遮りました。
「しかしだな。お主も言われて気分の良いものではないだろう」
「いえ。半々妖というのは事実ですから」
無理矢理笑っている吉平を山吹は一瞬だけ気の毒そうな顔しましたが、それは一瞬だけで、すぐに元通りの憎しみと怒りを感じさせる顔になりました。
それを見ていたのは吉備太郎だけで、彼は不思議に思いましたが何も口を出すことはありませんでした。
「あほんだら。お主も陰陽頭として立派に京の都を守っているのではないか。自分を卑下することはするな」
そして定森は山吹を睨みました。
「たとえどんなことを言われたとしてもだ」
山吹は下を向いて、唇を噛み締めました。
「父上、我らは退魔の一族ではないのですか。こやつは魔のものではありませんか。父上はお忘れか? こやつのせいで兄上は――」
「定海のことは吉平のせいではないだろう」
「いいえ、こやつの責任です!」
それから山吹は吉平に向けて何かを言おうとしたとき。
「すみません。そろそろ本題に入ってもらっていいですか?」
口出ししたのは吉備太郎でした。
その場の空気が固まり、しばらく誰も声を発しませんでした。
「なんだと……? 貴様、式神のくせに余計な口を挟むな!」
今度は吉備太郎を睨む山吹。
「私は式神ではありませんよ。人間です」
吉備太郎も山吹を睨みます。
「式神ではない? ならば何故こやつと共に居るのだ?」
「それは――友人だからです」
吉備太郎は胸を張って答えられました。
「こんなやつの友人だと? ふざけるな!」
「私の友人を悪く言わないでほしい。先ほども言いましたが、それ以上言うのならば、相手になりましょう」
吉備太郎は立ち上がりました。腰には父親の形見である刀を携えていました。
「いいだろう。望むところだ!」
山吹も顔を赤く染め上げて、立ち上がりました。彼女も腰に刀を差しています。
「ま、待つんだ吉備太郎ちゃん!」
「山吹! お前もやめろ!」
一触即発の二人を止めようと吉平と定森が間に割って入りました。
吉備太郎と山吹は睨みあった後、いずれも刀を納めました。
「その子どもの言うとおりだ。本題に入ろう。この場に呼んだのはそのためだぞ山吹」
山吹は勝手にしろと言わんばかりに顔を背けました。
「まったく。まあいい。吉平には作戦を伝えていたが、準備は整ったのか?」
「ええ。滞りなく」
吉平は狩衣の袖から焼き物の小瓶を取り出しました。
「神便鬼毒酒と名付けました。これは人間には無害ですが、鬼にとっては毒となります。即効性の毒でないのが難点ですがね」
この小瓶に入っているのが、鬼を倒す秘策なのでした。
「これだけしかないのか?」
「いえ、鬼十三匹が飲みきれないほど創りました。量は十分です」
「しかしどのように飲ませる?」
「それは――」
吉平が説明していると山吹が再び口を開きました。
「貴様、まさか毒を盛るつもりなのか?」
吉平は厳しい顔で「そうだ」と答えました。
「そのような卑怯なことをするつもりか?」
怒りのあまり、逆に冷静になって訊ねる山吹に定森は諭します。
「山吹、これは卑怯でもなんでもないぞ。相手は悪逆無道の鬼共だ。情けや正道を歩む必要はない」
「そんな……我らは誇りある退魔の一族ではないのですか? 人としての誇りはないですか?」
定森はぐっと言葉を詰まらせました。彼自身卑怯なことを嫌う人格の持ち主でした。
その様子を見て、山吹は「父上の考えではございませんね?」と訊ねます。
いや訊ねたというよりは確認したというのが正しいでしょう。山吹には確信がありました。
「そこの半々妖の考えではございますか?」
「……俺じゃないよ、山吹」
吉平も顔を背けながら否定します。
「では、誰の発案なんだ!」
詰問する山吹に吐き捨てるように言ったのは吉平でした。
「かの策略家の鷲山中納言さまだ」
吉備太郎は中納言という言葉をどこかで聞いたおぼえがあるなと思いましたが、いつどこで聞いたのか忘れていました。
「――っ! あの卑怯者め!」
山吹は知っているようで、あからさまに罵りました。
「中納言さまのことを悪く言うな。あのお方も我らが武者の損失をなくそうと考えていらっしゃるんだ」
「だからと言って、そのような卑怯なことはできないでしょう!」
山吹は吉平に詰め寄ります。
「貴様もよくそのような策に乗る気になったものだな!」
「俺だってやりたくはないが、上からの命令だ。従うしかないんだ」
「貴様っ! ……そこの子どもはどう思うんだ?」
矛先が吉備太郎に向けられました。吉備太郎はまさか自分に訊ねられるとは思っていなかったので、反応に困りました。
「私ですか? 策が卑怯かどうかですか」
「そうだ。貴様も武者なら、このような卑怯な真似を――」
吉備太郎は不思議そうに言いました。
「えっ? 鬼相手ですよね? だったら卑怯でもなんでもやれば良いでしょう」
山吹の顔が信じられないという表情で固まります。
定森は驚いた表情で、吉平も目を見開きました。
吉備太郎はそんな三人の反応に違和感を覚えました。
「鬼を皆殺しできるなら、卑怯でも何でもすればいいと思いますよ。だって、相手は鬼なんですよ」
誰も何も話さないので吉備太郎は分かりやすく言葉を繰り返します。
「き、貴様は正々堂々という言葉を知らないのか? たとえ相手が鬼でも守らねばならぬ道理が――」
「何を言っているのか、分かりませんよ。鬼に対して卑怯なことをするな? 勝つためなら何でもしますよ」
これが農民として育てられたものと武者として育てられたものの違いでした。
吉備太郎には戦いの規則というものの概念はありませんでした。卑怯なことと道理のあることの違いも分かりませんでした。
ただあるのは鬼に対する憎悪と怒りでした。
「私は鬼を殺せればそれでいい。方法などそれこそどうでもいい。鬼は一匹残らず殺す。生かしておけない」
熱に浮かされたように語る吉備太郎。
三人はそれを見て背筋がゾッとする思いでした。
「わ、分かった。吉備太郎ちゃん、君の言うとおりだ。作戦は実行しよう」
吉平が慌てて言いました。吉備太郎は「そうですか。分かりました」といつもの調子に戻りました。
山吹はまるで化物を見るような目で吉備太郎をおそれていました。
こうして卑怯な作戦は実行されることになるのです。
そして翌朝。
吉備太郎と吉平は討伐隊へ加わり、丹波国の大江山へと向かったのでした。




