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白鬼家の安寧の眠りが一発の銃弾によって打ち破られたのは、その日の夜だった。
その時、私は淳之介に守られるように抱かれて布団の中にいたのだが、月さえ撃ち落とすような轟音に驚いて飛び起きた。時刻は夜半を回ったころか、辺りは暗くて視界さえもままならない。
しかし、一緒に起き上った淳之介は私を胸に抱きこんで「しいっ」と短く言葉を封じた。その両目が闇夜の中でらんらんとした金色に輝いている。
「火薬のにおい……神殿の方だな」
確かに、神殿で義父と一緒に寝ていたのであろう義母の悲鳴も、銃声と一緒に聞こえたような気がする。
「そして血の匂い……そうか、父は……」
淳之介ががくりと肩を落としたのは、ほんの一瞬のことであった。
「久子、お前だけでも逃げなさい、裏口まで連れて行ってやろう」
「淳之介様は、この暗さでも見えているのですか」
「久子、僕の目をごらん、もしかして人間ではない色をしていないかい?」
ウソでもいつもの通りだと言ってやりたかったのに、淳之介の瞳の色はますます金色を帯びて、夜道で光っている夜行の獣の目そのものなのだ。私は悔しく唇を噛む。
「さあ、行こう、久子。君はこの凶行の犯人を知らぬ方がいい」
淳之介は嗅覚も獣のように研ぎ澄まされているはずである。だから、神殿に乗り込んで引き金を引いたのが私の兄だと、きっと気づいているはずなのである。
それでも私の身と心を第一に考えてくれる温情に、私は打ち震えて涙を流した。
「淳之介様も一緒に、何処かへ逃げましょう」
「いいや、僕は母を助けに行かなくてはならない」
「だったら私も一緒に、お義母さまのところへ」
「ダメだ。君は僕たちに構わず逃げる。そして、朝になったら汽車に乗って自分の家へ帰って、何も知らぬ顔をして暮らしておくれ」
「だって、そんなの、あんまりに薄情です」
「僕も、母も、君を薄情だなんて思わないよ。君が無事であることは、母の願いでもあるからね」
それでもぐずぐずと渋る私を引き立たせて、淳之介は裏口へと向かった。廊下はひどく暗くて、ひたひたと響く自分の足音が妙に大きく聞こえて恐ろしい。
「淳之介様……」
「大丈夫だ、奴はまだ、表の方をうろついている」
ひくひくと鼻をうごめかす淳之介は、自分の嗅覚を過信していたのかもしれない。裏口から出ようとした私たちは、自分の前に立ちはだかった小柄な人影にぶつかりそうになってぎょっと身を引いた。
その人影は手に小さな提灯を掲げていて、ぼんやりとした光が毎日のように見慣れた女の姿を闇の中に浮かび上がらせている。
「サトさん」
安心感から、私の声は気安かったが、淳之介はそんな私をぎゅうっと引き寄せてうめく。
「そうか、お前が!」
サトさんは取り立てて腹を立てた様子も、悲しい素振りすら見せずに闇の中に向かって叫んだ。
「こっちです! 裏口から逃げようとしていました!」
きっとみんな、息をひそめていたのだろう。耳を澄まし、辺りを探り、誰かが淳之介を見つけたと勝鬨あげるのを待ち構えていたのだ。
「おお、おお、でかしたぞ!」
野太い男たちの歓声は一つや二つではなかった。バラバラと近づいてくる足音が恐ろしい。
私は信じられない思いで、悲しくサトさんを見やった。
「どうして……」
「悪く思わないでください。あたしだって坊ちゃんが可愛くないわけじゃないですとも。でもね、その可愛かった坊ちゃんも、もうすぐ獣になるんだから、あたしがこの島にとどまる理由なんて一つもないんです。あの人は、この島を出て暮らすところを用意してくれるって言ったから……」
「だからって!」
「そもそも、あたしはこの島が嫌いなんです、辛気臭くて、古臭くて」
淳之介も悲しく笑っている。
「わかるよ、確かにこの島も、新しくて明るいところとなってもいいはずだ」
「そのためには、かわいそうだが、坊ちゃんはいちゃいけない」
「ああ、ああ、わかるよ」
ちょうどそこに、十人ほどの男を引き連れて兄が現れた。男たちは手に手に明かりをもって、淳之介の顔を照らし出す。
「見てください、旦那! これがこの島の怪物だ!」
義母は、二人ほどの男に両脇から羽交い締めにされて引きずられていたのだが、これを見て悲鳴よりも甲高い声をあげる。
「やめな、その子が化け物なんかじゃないのは、あんたたちだって知っているだろう!」
しかし、兄は猟銃を準之助に向けて笑う。
「いいや、どう見ても化け物じゃないか」
私も甲高く、のどが叫ぶほどに絶叫した。
「やめて、兄さん、どうしてこんな!」
しかしその絶叫は、兄の眉根一つ動かすことはできなかった。
「どうしてって、決まっているじゃないか、釣りとおんなじだよ。上手になればもっと大きな、もっと珍しい獲物が欲しくなる。それが狩人の性というものだ」
「そんなことのために!」
「そんなこと? 考えてもみなよ、普通なら人を殺せば罪に問われる、だけどこれは、人でありながら人ではない、こんな獲物を撃てる機会など、二度とはないだろう」
「やめて、やめてください、淳之介様は人間です」
兄は高らかにこれを笑う。
「そんな獣の面をぶら下げて、まだ人間だと言い張るのか。なあ、これは人間じゃない、そうだろう?」
兄は自分を取り囲む男たちに向かって同意を求めたが、否定も、同意さえも返されはしない。
「ともかく、それは俺の獲物だ、どけ、久子っ!」
兄の目は闇の中に金色に輝いたりはしないというのに、ひどく獣じみて見えた。匂いだってそうだ、幾日も風呂に入っていない饐えた皮膚の不快なにおいが獣を思わせる。
何よりも、淳之介に銃弾を撃ち込むための執念――ただただ血と残虐を好む心根こそが獣の証ではないのか。
私はふいに怒りにかられ、淳之介の腕を振りほどいて兄に当て身を食らわせた。
銃口が、大きくぶれて夜空を狙った。
「淳之介様、逃げて!」
銃声よりも早くと叫ぶ私の声にはじかれて、淳之介が走り出す。
「私は、どんなに離れても、どこにいようともあなたの妻です、それだけを覚えていて、ただ、生きて!」
林道の中へと駆け込んで行く淳之介の背中に向かって猟銃は火を噴いたのだけれど、それは彼をかすることさえなかった。
私は、彼が姿を消した木々の間の、深い闇を見つめて呆然と、だが満足に満たされて立ち尽くしているだけだった。




