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この後で、義母は吐き捨てるように言った。
「子供なんて、このままできなくてもいいんじゃないかしら」
サトががなり立てる。
「奥様! でも、奥様! それじゃあ島の者が納得しませんよ!」
「そんなことはわかってるわよ」
「だからあたしゃ言ったんですよ、もっと早くに嫁に来てもらえばいいって!」
「そんな、久子ちゃんはまだ子供だったのよ!」
「なにいってるんですか、あたしのまわりじゃあ早くに嫁に行って子供を産むなんて話、珍しくもない。あたしのいとこは15で子供を産んどります」
サトさんはこの後、私に向かってとんでもないことを言った。
「若奥様、あなたは本当は、もっと早くにこの家へ寄越されるはずだったんです」
「サトさん!」
義母の制止の声も聞かず、サトは続ける。
「坊ちゃんが『それはかわいそうだ』と言い張って、女学校の卒業まで待つことになった。そのせいで、坊ちゃんに残された時間はあまり長くはありませんがね」
義母がサトさんに飛びつき、その口をふさいだ。
「久子ちゃん、ここはいいから、あなたはあっちの部屋へでも行っていなさい」
「でも、今の話……」
「いいから!」
こうして私は台所を追い出されてしまったのだが、ほかに行くところなど無く、淳之介がいるであろう寝室へと向かった。
庭に面した障子はあけ放ってあり、彼は畳の上に寝そべりながら読書をしている最中であった。
私がはいっていくと、彼は書物から目を離してこちらを見上げる。
「どうしたんだい、久子」
彼が自分の隣を叩いて促すから、私は畳の上に身を投げる。
「なんだい、ご機嫌斜めだなあ」
彼はそう言って私の身体を抱き寄せてくれた。甘い体臭がふわりと香る。
その香りを吸い込むように彼に強く身を寄せて、だけど、声は小さく震えた。
「淳之介様、私が女学校を卒業するまでお嫁入りを待ってくださったというのは……」
「ああ、サトだな。まったく、あのおしゃべりめ」
「茶化さないで、ちゃんと答えてください。どうしてですか?」
「どうしてって、昔ならいざ知らず、いまじゃあ民法というものがある。女が結婚できる年齢というのが決まっていてね……」
「そうじゃない、そうじゃないでしょう!」
私の声の厳しいことに驚いたか、淳之介が黙り込んだ。私は、さらに言う。
「こんな島であれば、駐在さんさえ来ない。私がいくつで子供を産もうと、いくらでも隠す手立てはあったでしょう」
ふいに彼が身を起こし、私を組み敷いた。
「あんなに小さくて可憐だった君に、こんな無体な真似をしろと?」
太ももの間に彼の手が潜り込む。
「あ」
「その顔……そんないやらしい顔を覚えてほしくはないほどに、君は可憐だった」
「淳之介様、まって、話を……」
「話なんかいくらでも後でできる。久子、脚を開け」
私の身体はすでに欲熱に浮かされている。彼の言葉に従えば、もっと奥まで快楽を差し入れてもらえるのだと知ってもいる。
それでも、私は彼を拒んで、硬い胸板を押し返した。
「ダメです。ちゃんと話をしてください」
彼は存外素直に身を引いて、ひじ枕を畳の上に立てた。
「わかったよ。何の話だい?」
あまりに素直なその姿に、義母が言っていた『獣は妻に絶対服従』の言葉が胸をよぎる。「淳之介様、いいんですか?」
「いいよいいよ、僕だって四六時中、発情ばかりしているわけじゃない。きちんと君の気持ちを知りたいし、君の言葉を聞きたい。で、何の話だい?」
「私のお嫁入りを遅らせた話です。いったい、どうして……」
「ああ、本当のところ、そんなにたいした理由じゃない。学生時代というのはとてもたいせつな時間だ。友と机を並べ、休み時間になればくだらない話などで盛り上がり、時にはこっそりと寄り道をしたりもして……そういう、無益だが美しい時間を、君から奪いたくなかっただけだよ」
「たったそれだけの事!」
「なぜ怒るんだい、とても大切なことだよ」
そういった後で、彼はひじ枕を少し崩して、縁側越しの庭に視線を追いやった。
「ああ、違うな。君にそういう学生生活を過ごしてほしいという、単なる僕のわがままか」
私は身をよじって彼の視界に入り込む。
「わがままじゃありません、おかげで私は、確かに楽しい学生生活を過ごしました。お友達と楽しい時間を過ごして、大事なことをいっぱい学びました。でも、そのせいで子供ができなかったりしたら、本末転倒じゃありませんか!」
「子供? ああ、そんなことを気にしていたのかい」
彼はふいに片手を伸ばして私のうなじを抱き寄せた。私には逃げる隙すら無くて、彼の唇に吸い寄せられる。擦り切れた畳の上で私たちは……熱い呼吸を絡めるようにお互いの唇を弄んでいた。
唇の間から、彼は短く言葉を漏らす。
「久子、お前は、甘いな」
私は彼から唇を離し、こらえきれずに身をくねらせる。
「淳之介様も、甘い」
「なあに、こんだけかわいがってやっているんだ、子供なんてそのうちできる。それに、できないならできないでいいんじゃないかとも、僕はおもっているんだよ」
「それでは島の人が納得しないのでしょう?」
「それはどうかな」
彼の手が私の身体をなぞりなじめた。
「しきたりとしては、確かに獣の子供が必要だ。島の秩序を守る唯一絶対のものだからね。でも、心の中ではどうだろうか、本当はこんな呪いなど、終わらせたいと思っているのかもしれない」
「あああ!」
彼にまさぐられる快楽に声をあげながら、私はその言葉に妙に納得し始めてもいた。
「もしもこのまま子供ができなくて、獣の血筋が僕の代で終わるのなら、それも時代の流れだよ、甘んじて受けよう」
「淳之介様、それでも、淳之介様、私はあなたの子供が欲しい!」
「それは僕だって同じだ。君が僕の子供を産んでくれる、これ以上の幸せなどあるものか。だからこうやって、君を抱くんじゃないか」
腰を揺らして彼をねだる。彼は大きく身を揺すって、私の下ばきを脱がせにかかった。
「焦ることも、負い目に感じることもないよ、久子、子供なんて成り行きに任せておけばいい。ただ、いまは……僕を感じて……」
深い快楽に意識を沈めてゆきながら、私は、この時間が永遠に続けばよいと、ただそれだけを願っていた。
この日を境に、私は別の道を見つけようと模索を始めた。
あの日、枕を交わしながも、私の耳には「呪いなど終わらせたい」という言葉が幾度も幾度もよみがえった。あれこそが淳之介の本音なのではないかと。
古い文献をとりよせ、それを読み解き、私は淳之介にかけられた呪いを解く方法を探し始めたのだ。夫は特に私にこれを禁じたりはせず、ただ書物を読みふける私の隣で優しく笑っているだけだった。
「久子は勉強家だなあ」
時折はそうした茶化しの言葉をかけられることもあったが、そんな時は淳之介がサトさんから預かったお盆に茶菓子など載せているときであり、休憩の合図でもあった。
私は読みかけの書物を閉じて、目の疲れを癒そうと庭先に視線を向ける。淳之介は隣に座り、盆を私の前に置いた。
「どうだい、何かわかったかい?」
「さっぱりです。呪いをかけられた人間の話は昔話にもたくさんあるのに、それを解いた話はあまりにも少ない」
「ねえ、久子は、呪いを解くことができずに僕が獣になったら、僕を捨てるかい?」
「いいえ、そんなことはありません。ただ……」
「ただ?」
「何もしないで失うには、あなたの人間性はあまりに立派で、愛しくて……だから私は、努力だけはしたのだと、そういう事実を作りたくて頑張っているだけかもしれませんね」
「そうか……」
もうわかっている。彼の呪いを解く方法など存在しない。
書物を数多あたっても、それらしい記述など見つからなかった。博識な淳之介は、これを私よりもよく心得ているはずだ。




