木の上でつかまえる
短編「木の上でつかまえて」の続きです!!
上記短編をお読みいただかないと、分かりにくい内容かと思われますのでご注意ください。
(お手数をおかけします)
認めねぇ。俺は絶対認めねぇ。
いくら心臓が早鐘のように鳴っても、顔が熱くなったとしても。
俺が、俺が……
『ロイ』
振り向くサリカ。
花の王冠を頂き、幸せそうな笑顔が眩しくて。
今にも駆けだしてしまいそうな彼女を、この手につかまえ――……
「あーーーーー!! 違う違う違う!!」
頭を掻き毟る。
脳内で勝手に再生されたお花畑をかき消して、それでも足りぬと頭を振る。
ありえない。それだけは、ありえない。
低く唸る様にして顔を上げれば、驚いたウィルフレッドの顔が目に入る。
「ど、どうしたの兄さん……?」
「……何でもない」
「うそでしょ!? そんな声出しといて!」
ウィルフレッドが心配だと声を上げる。
五つも年の離れた弟を困惑させるほど今の俺はおかしい。自覚している。
それでも叫ぶ以外にこのおかしな妄想を止める術がないのだ。
「お医者様、呼ぶ?」
「……いや、そーいうんじゃない。多分……」
薄らと、思う事はある。
ひょっとして、これはと、自分の反応を省みて。同年代の友人の事を思い出すと、自ずと答えが見えてくる。
だがその答えは俺が納得できるものではなくて。脳内が盛大な勘違いをしているとしか思えないのだ。
だってそうだろう?
年頃になってもスカートのまま平気で木に登る、食い気だけの石頭が美化されるなんて。
「……ありえねぇだろ、それ」
もう一度、口に出して確認をする。
サリカとの付き合いはもうすぐ九年になる。
その間、全くそういった目で見た事がないのに、ありえるわけないのだと。
脳内で何やら異論が聞こえたが、気のせいだと無視をした。
ウィルフレッドがゆっくり休んだ方がいいよと、気遣うようにして部屋を出た。
落ち着くようにと、執事のセドリック爺に紅茶を用意させているところが立派な紳士。十一歳ながらよく出来た弟だと思う。
俺は紅茶を一飲みして、柔らかなソファーに身を預けた。
少しだけ肌寒くなってきた晩秋。
身体を冷やさぬよう、膝掛けと暖炉の準備もすでに出来ている。
窓を挟んで外を眺めれば、色付いた木々の葉が風で揺れている。
夏には緑一色だった葉は、今や養分をたっぷり溜め込んだ赤色。サリカの好きな、熟れたリンゴと同じ色だった。
「……今頃、何やってるんだろうな」
頭の中に振り払ったサリカの姿が浮かぶ。
嬉しそうにリンゴが沢山入ったカゴを抱えて、今からパイを焼くのだと笑っていた。
◇◆
都にいる頃、俺の周りにはロクでもない奴しかいなかった。
綺麗な言葉で言えば、親の言う事を聞く良い子。
汚く言えば、腹黒い親の意図を察する計算高い子供。
身体の弱い俺を労わるフリをしながら、狭い世界で生きる未来の為政者に取り入ろうという魂胆が見え見えだった事を覚えている。
友達なんていらない。
横柄な態度をとってもご機嫌を取ろうとする子供。
その様子をへらへら笑いながら見る大人。
どちらも信用など出来るわけがなかった。
そんな時、転地療養が決まって。
辿り着いたド田舎で初めて出会ったのがサリカだった。
こいつも、また――……
折角減った煩わしい付き合いを思い出し、またかとうんざりする。
知り合いでも何でもない、歳の近そうな女の子。
活発そうな活き活きとした瞳に、軽く嫉妬を覚える。
病弱な領主の子供と仲良くなろうという腹か。
あわよくば、親友。いや、女児なら婚約者の地位も狙えるとでも?
フンと鼻で笑う。親が近くにいるのだろうか。
いるのなら顔を覚えて、二度と俺の前に姿を出せないようにしてやる。
周囲の様子を窺いつつ、門扉に歩み寄る。大木の影、塀の傍。大人の気配は分からない。
女の子が何かを言って手を伸ばしたが無視をした。どうでもいい。二度と会う気もなければ、顔を覚える気もないのだから。
俺は隠れている不届き者をおびき出す為に、目の前を元気に跳ねる焦げ茶色の髪を掴んだ。
ゴンっと鈍い音が鳴った。
思った以上に硬そうな音が出て、内心ビックリする。
女の子は泣くだろうか。
多分泣くだろう。
チクリと胸が痛む。
また嫌われるのだと思うと、もう二度と会う気もない女の子が相手でもやはり悲しい。だが、優しい顔をすれば相手の思うつぼだという事も同時に分かっていた。
ダメ押しで髪を引っ張った。「泣かないのか」と、煽った。
親が飛び出して来て、そんなバカな大人にこんな事をしても無駄だと言ってやりたかった。
不意に女の子が手を掴んだ。
驚いて手を離せばエメラルド色の瞳が物言いたげにこちらを見た。
「な、なんだ……文句あるのか」
「ある。門を開けて」
「阿呆か。開ける訳ないだろ」
強気な瞳に、少し怖気づく。
今までこんな目で見られた事はなかった。
そんな俺の内心などお構いなしに、女の子は続ける。「だって、開けてくれないと入れない」。呆れた。
「入れる気なんてない」
「えっ!?」
女の子が悲しそうに眉をハの字にする。
「そんなぁ……折角来たのに」
「呼んでないだろう」
「待ってたら呼んでくれるの?」
「呼ばない」
「じゃああたしが来るしかないじゃない?」
不思議そうな顔をして、こちらを諭す女の子。
何故その結論になる。意味が分からない。
段々とイライラしてくる。一体何なんだこの子供は。
「いいから帰れ。二度と来るな」
「え!? それじゃあ遊べないよ?」
「誰が遊ぶと言った!!」
「あたしが遊びたいの!!」
驚くのは俺の方だった。
なんだって? 俺と遊びたい?
周りを見ても親はいない。目の前の子供は都にいた奴らと違って阿呆そうだし、何かを企んでいる様には見えない。ならば、俺と遊んで一体何の得が。
ブルリと震えた。
それは未知との遭遇によるものなのか、単なる寒気だったのかは分からないが、女の子は後者ととったようだった。
女の子はすぐに自分の着ていたカーディガンを脱いで、門扉の隙間から突っ込んできた。
「風邪ひいちゃう!!」
「余計な世話だ」
「とにかく着て!!」
「要らないと言ってるだろう!!」
張り上げた声で喉が痛い。
阿呆は相手にした事がないから、上手くかわせない。
「お前の服なんだから、お前が着れば良い!!」
至極、当然の事を言っただけだった。
なのに、女の子は何を勘違いしたのか、ニッコリ笑ってこう言った。
「大丈夫!! あたし、頑丈だから!!」
「それは自慢かっ!?」
結局、大声で話していた俺達にばあやが気付き、女の子――もとい、サリカはちゃっかり屋敷へと上がり込み、菓子まで食ってほくほく顔で帰って行った。マジで疲れた一日だった。
サリカはまたやってきた。
部屋の中で遊べるおもちゃを持参している時もあったし、セドリック爺とピクニックの算段を付けている時もあった。勉強中だと言えば一緒にやると言いだし、調子が悪いと嘘をつけば、お見舞いだと持っていた飴玉を両手一杯にくれて、大人しく帰っていた。
突然来た小さな嵐に俺の心はかき乱された。
意図の分からない接近は気味が悪いはずなのに、心のどこかで喜びを感じている自分にも訳が分からなかった。
日が経つにつれ、身体の調子が良くなる。
サリカと出かけられる日が増える。ウィルフレッドが羨ましがっているのを知っていながら、お土産を持って帰ると約束し、彼女と森に出かける。
サリカは木登りが上手い。
森にいる子猿のようにすいすいと登って行き、美味しそうなリンゴをもいでくる。
「ロイドー!! 落とすよ~」
「お前まで落ちるなよ!」
「大丈夫大丈夫……きゃっ!!」
たまに、空から降ってくる彼女を抱き止めようとして顔面を蹴られた事もある。
「あたし、頑丈だから」を合言葉に、避けてくれていいよと言うが、そんなことできる訳がない。
「怪我したらどうすんだ」
「大丈夫大丈夫」
「傷が出来たら、嫁の貰い手がなくなるぞ」
「あはは~!! そんときはロイド責任とってよ」
「はぁ!? なんの罰だよそれ!?」
「んー?? 一緒に居たでしょう罪?」
最悪だ。一緒に居ただけで、こんなお転婆を押し付けられるなんて。
「お前絶っ対、怪我すんなよ!!」
「あはは!! だから大丈夫だって、あたし頑丈だから!!」
今思えば、「しかたねえな」って、言っておけばよかった。
◇◆◇◆
翌日。学校へと向かう。
「ロイド、おはよ!」
「はよ」
辺りを見回してサリカがいない事にホッとする。今会えば、何を口走ってしまうか分からない。
だが、姿が見えないせいで逆に何処にいるのかが気になった。……別に、用事があるわけじゃないのに。
授業は皆が真面目に受けている。
田舎の、こんな辺鄙なところだから、学ぶ機会自体が貴重で、皆その機会を生かそうと必死なのだろう。
サリカも俺から少し離れた席で、真剣に話を聞いている。後ろの席から俺が見ている事にも気が付かずに、ずっと前だけを見ている。
タイミングが合わず、サリカと話をすることの無いまま、授業が終わる。
珍しいなと、自分自身で思いながら、その理由がいつも人に囲まれているサリカの傍に、自分が割って入らなかったからだと気が付く。
それって、つまり。
――俺自身が、いつもサリカの傍に行っていたってことか?
顔が熱くなる。
違う、違う、違う!! 俺は、そんなつもりは……!!
「ローイード? どうしたんだ? 赤い顔して?」
「っ!? な、なんでもない!!」
覗き込むように茶化されて、慌てて顔をそむける。
落ち着け、落ち着け。平常心を忘れるな、俺。
すーはーすーはーと、心の中で深呼吸をして、俺は何でもないような顔をして友人を見る。
「……具合が悪い訳じゃないよな?」
「あ、ああ。もちろんだ」
何の下心もなく、純粋に向けられる心配はくすぐったい。
その昔、サリカがカーディガンを貸してくれようとしたのと同じで、この村の人達の好意に勘ぐりは必要ない。
友人が今日の授業の分からなかったところを聞いてきたので、それに答える。
その後、ちょっとした雑談をしていると。
「そういえば、ロイド。サリカに何かやったのか?」
「は? な、何かって何を?」
「んー、サリカこの間誕生日だっただろ?」
だから、プレゼントをさ。と、ニヤリと笑う友人に、俺はせき込んだ。
「な、なんで俺が!!」
「なんでって、それは、なあ?」
「『なあ』じゃないだろ!?」
確かにプレゼントは渡した。
それは偶然、本当に偶然、商人が持ってきた雑貨の中にリンゴのアクセサリーがあったからで。
決して、毎回アクセサリーを持って来させていた訳じゃない。たまに、ごくたまに持って来させていただけ。意味はない。偶然だ偶然。
「いやあ、鈍感ってすげえのな」
「鈍感!? お、お前なあ!! 俺の話聞いていたか!? つまり――」
必要以上に饒舌に話す俺を見ながら悪友はカラリと笑い、聞いてもいないサリカの居場所を告げて帰って行った。
「一体なんなんだ……」
俺とサリカはセットじゃない。
たしかに昔はそういう風な感じだったかもしれないが、今は、別に。
――なんとなく、友人の好意を無にするのも悪いと思った俺は、サリカを探しに行った。
相変わらず用事はない。だけど、用がないからと言って話しかけてはいけないなんて事はないのだから、別にいいだろう。
――たしか、サリカの好きなリンゴの菓子がまだあったはず。
一緒に帰って、そのまま屋敷に呼ぶか。
たぶんアイツの事だから、今日で食べつくしてしまうだろう。
また商人におススメの菓子を持って来させないとな。
聞いた場所から少し離れた所にサリカはいた。
ちょうど帰るところなのだろう、鞄を片手に靴箱を開けているところだった。
「サ……」
続きは声にならなかった。
サリカは一人じゃなかった。
「お待たせ、サリカ」
「ううん。あたしも丁度来たとこ」
物影の死角から出て来たのはサリカと同じぐらいの背丈の男――サムスだった。
話の流れからして、待ち合わせしていたのだと思われる。
気分が一気に急降下した。
なんでだよ。なんで、男と一緒にいるんだよ。
「サリィ!!」
思わず叫んで、傍に駆け寄った。
二人は同じタイミングで振り向き、不思議そうな顔をしている。
「どうしたの、ロイド?」
呼ばれない愛称。どうして。
俺は焦る気持ちを抑えて、薄らと笑みを浮かべる。
「――屋敷に来いよ。お前の好きな菓子の用意があるぞ、サリィ」
もう一度、サムスに聞こえるようサリカの愛称を呼ぶ。
牽制。サムスをチラリと見る。
サリカが「へ?」と、間抜けた声を上げた。
「えーと、今日は無理」
「なんで」
「『なんで』って、サムスと約束があるからだよ」
落とされた最大級の爆弾に言葉を失う。
気安い雰囲気の漂う二人に、嫌な予感がした。
この村ではちょっと珍しい風習があって、十六になった日から求婚が解禁になる。
それは受ける方も、申し込む方も十六を超えている必要があって。想い人の誕生日を指折り待っている人も多いと聞く。
サムスは、確か半年前に十六になった。
そして、サリカは二日前に。
サリカの誕生日付近は俺とウィルフレッドが傍にいたから――……まさか。
「……行くなよ」
「え?」
「行くなって言ってる!!」
「はぁ!? 何言ってんのよロイド!!」
サリカは愛称を呼ばない。
ジリジリと胸が焼けつく。
なんでだよ? なんで、呼ばない?
まさか――サムスがいるから?
カッと頭に血が上って、サリカの手を乱暴に取る。そして、そのまま彼女を引っ張った。
「ちょ、ちょっと!!」
「帰るぞ」
「だから、帰らないってば!!」
思い切り手を振り払われ、ハッと我に返る。
サリカは不機嫌を隠さず俺を睨んだ後、フイと顔を横に向けた。
「行こう、サムス」
「え、ああ。……でも」
「いーのいーの。お坊ちゃんの癇癪に付き合う必要ないもの」
「癇癪だと!?」
「だってそうでしょ? あたしはサムスと約束があるって言ってるのに、無理やり反故にさせようとするんだから」
返す言葉もなかった。
俺は「悪ぃ」とだけ言い残して、足早にその場を立ち去った。
◆◇◆◇
――サリカが違う奴と遊んでいた時。
「お前は俺の友達だろう!」と、彼女の手を引いて、思いっきり怒られた事がある。
初めてのお坊ちゃん呼びに激昂した俺を、正当な理由で嗜めたサリカ。
彼女は阿呆……いや、間抜けた所があるが、自分の考えをしっかり持っている女の子だった。
今日の俺はダメダメだった。
サムスと約束があると言われた時点で、俺は引き下がらないといけなかったのに、どうしてあんな強引な事を。
「…………」
分かっている。
もう、本当は分かっているんだ。
違うと、声を上げ否定しても。浮かぶサリカの笑顔を振り払っても。
自分の気持ちが何処に向いているのか、もう分かっているのだ。
ただ、それを認めるのは難しくて。
今更、どんな顔をして彼女の傍にいればいいのか、分からないのだ。
「サリィ……」
名前を呼ぶだけで、胸が痛くなる。
今、サムスと一緒にいるのかと思うだけで、苦しくて。今すぐにでも取り返したくなる。
俺はまだ、誕生日を迎えていない。
都ならそんな事関係なしに行動を起こせるが、この村に住んでいる以上、ここのルール守るのは当然。だから俺は、まだサリカの未来を欲しいと言えない。
早く大人になりたい。
いつまでも病弱な領主の息子では嫌だ。
彼女の隣にいつもいられるように。彼女の笑顔を守れるように。
木登りだって、出来るようになりたい。
ノックの音がして。
入室を許可すれば、遠慮がちに扉が動く。妙な扉の開け方に、疑問が浮かんだ。
誰だ? ばあやもセドリック爺も、ましてやウィルもこんな開け方はしない。
ひょこりと、顔を出したのはサリカだった。
「っ!?」
「……ロイド、調子どお?」
眉をハの字にしたまま、サリカが部屋に入ってくる。
待て。まだいろんな準備が……!
心の反論虚しく、彼女は「ウィルに聞いたよ? なんか、悩みごと?」と、窺うように首を傾げた。
視界の端を銀色が横切る。
首元に現れたそれは、リンゴのチャームが付いたネックレス。昨日、自分が贈った物だった。
――サリカが、自分の選んだ物を身につけている。
急に身体が熱くなる。
お前はどうしてそう無防備なんだ。男からの贈り物を、本人に見えるよう身につけるなんて。
期待する。ひょっとして、サリカも俺の事…………
「だぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「へっ!? なっ、なに!?」
「違う!! 違うんだ!!」
「ごめん!? 全然意味わかんない!!」
本人を目の前に、俺は頭を抱える。
心臓が早くなる。顔が熱い。サリカを直視できない。
「大丈夫?」と心配してくれるサリカに、しっかりと頷く。
身体はおかしくないんだ。ただ、俺が子供なだけで。
サリカは「うーん」と唸った後、あっと思い出したように手を打った。
「そうだ! パイがあるよ!!」
「……は? なんで?」
「えっと、サムスとね……」
サムス。
またも出て来た男の名前に、ムッとする。
「今、お前からその名前を聞きたくない」
「へ? 一体どうしたのロイド?」
分からないのか、鈍感。
――知っている。サリカは食い物が好きなんだ。
「……それより呼び名。戻ってる」
話を変えたくて振った話題も子供じみていた。情けない。別に、良いじゃないか、好きなように呼べば。
それでもウィルフレッドはそのまま呼ばれているのにとか、俺はサリィって呼んでるのにとか、頭を過るのはそんな言葉ばかり。
サリカは「あ」と思い出したような声を上げ、「そうだったね、ロイ」と愛称を呼んでくれる。
昨日呼ばれた時よりも嬉しくなる俺はすでに重症だ。
「ねえ、ロイ」
「ん?」
「あたし、相談に乗るよ?」
何でも言って。と、サリカが笑う。
……阿呆。お前にだけは相談できないんだよ。
そう思いながらも、いっそ想いをぶちまければ、サリカがどんな顔をするのだろうかと考える。
嬉しそうにすれば俺も嬉しい。迷惑そうな困った顔は、当然見たくない。
「大丈夫だ、何でもない」と、再度口にしようとして。未だ彼女を直視できない、ずるい俺が顔を出す。
「……じゃあ、目ぇつぶってくれ」
チラリと横目でサリカを見る。
彼女は不思議そうな顔をしながらも、「ん」と返事をしてゆっくりと目を閉じる。無防備すぎると叱りつけてやりたくなるが、今は堪える。折角の好意を、無駄にするな。
サリカを見つめる。
彼女の瞳に映らない今が寂しくて。でも映らないからこそ、こうしてじっくり見つめる事ができる。別段着飾っていない、普段の彼女を。
「…………」
サリカはこんなに小さかっただろうか。
狭い価値観の中でいじけていた俺を、外の世界に連れ出してくれた勇者。
領主の息子とか病弱とかそういった事を完全に無視して、普通の子供として接してくれた初めての友達。そして今、最も気になる――……
手を伸ばし、そっと髪をすくってみる。
よくある、焦げ茶色の髪。特別な手入れはしていないのだろう、パーティーに来ている令嬢のような艶はなく、長さだって短い方が楽だと、肩までしかない。――伸ばせば、きっと似合うのに。
一歩近づいて、その短い髪に口づけを落とす。
サリカはきっと、この意味を知らない。
「ロ、ロイ?」
困惑した声が聞こえた。
そちらを見れば、近い距離に彼女の顔があって。閉じていた瞳はパチリと開いていた。
「っ!? 目ぇつむってろって言ったじゃないか!!」
「だって、なんか髪がさわさわってしたから……!!」
慌てる。
唇じゃないから大丈夫だよなと、自分を正当化しつつも、心の奥底から出る欲求を抑えるのに苦労する。
サリカの顔は少し赤い気がする。
もちろんそれは俺の願望かもしれないが、それでも嬉しいと思ってしまう。
また目をつぶるのと、サリカが不安そうに聞いてきたので、俺は首を振った。
これ以上は多分、ヤバい。
「……き、今日は悪かったな、約束を邪魔して」
身悶えする恥ずかしさの代わりに勝ってきた欲求。それを押さえる為に切った会話の舵は明らかに不自然。今の俺に余裕はない。
だが幸いな事に、サリカは思い出したように頷いた。
「そうだよ!! ビックリしたんだから!!」
「わ、悪ぃ……サムスにも謝らないとな」
「ホントだよ! 前からパイを作る約束だったのに!!」
「は? パイ?」
「そうだよ! アップルパイ!!」
告げられたサムスとの約束は、実にあっけないものだった。
曰く、サムスの恋人が菓子好きらしく、その彼女に贈る為のパイ作りを手伝う事になっていたらしい。
「自分の女に渡す菓子作りを、別の女に手伝わせるのか?」
「別の女っていうか、友達?」
ちなみにその相手とサムスは相思相愛らしく、別にサリカと居たからと言って浮気を疑われる余地もないらしい。そもそもサリカ自身、サムスを男ではなく友達だと断言しているのだから本当にそうなのだろう。
俺は安堵のため息をもらし、首を振った。
サリカから見れば、友達との約束を反故にさせようとした俺は完全に暴君だ。
「ほんと、悪かった。……どうかしてたみたいだ」
「うん、もういいよ」
という訳で、早速食べようとサリカが件のパイを目の前に置く。
人様の手伝いに行っておいて、ちゃっかり自分の分も作っている辺りがサリカらしい。
結局俺が何を悩んでいたのかサリカは追及せず、ひとしきり話をしたあと帰っていた。
後半、俺の様子がいつも通りだったからだと思われるが、内心ホッとしている。
もし想いを伝えて、願いが叶ったら。
俺は間違いなく暴走していたと思うから。
◆◇◆◇
サリカの誕生日から一カ月が経った。
さり気なく、周囲を牽制しつつ俺は一日一日を噛みしめる。
渡したネックレスも使ってくれているようで、その姿を見る度に緩む頬を叱咤する。
彼女は相変わらずリンゴの何かを常備している。
ジャムだったり、パイだったり、時にはカットしたリンゴそのままを。
だから彼女からはいつも甘い香りがして。そんな時俺は、両手一杯にリンゴを抱えた姿を思い出す。
『リンゴの妖精』
ウィルフレッドはサリカを『花の妖精』だと言ったが、俺にはこちらの方がしっくりくる。
「――サリィ。今日は都で人気のリンゴ菓子が手に入ったぞ」
「え!? ほんと!! 今日そっちに行く!!」
「ああ。一緒に帰ろう」
あと少し、待ってろよ。
こっそり木登りも出来るようになった俺は、彼女の大好きな物を用意して毎日を過ごす。
十六の誕生日まで、後わずか。
俺は木の上で、リンゴの妖精を捕まえる。
【木の上でつかまえる おしまい】
お読みいただきましてありがとうございました!!