街
「おい、ネズミ!!今日はすげぇぞ!なんたって春の大祭だ。お祭りだぜっ!!」
「うるさいわね、ザック。知ってるわよ、そんな事」
ザックと呼ばれた男の子は私の五月蠅そうな声など気にもせずに、やたらめったら浮かれ騒いでいた。私よりも少し背の高い、同年代の男の子だ。薄汚れた茶色の髪に、そばかすの特徴的なこの男の子は、あの日私から寝床を奪った奴だ。同年代と言う事もありそれ以降妙にこちらを気に掛け、彼のお蔭で私は街に溶け込めたと言っても過言ではない。しかし、この後先考えない身の振る舞いにはいつも手を焼かされる。ザックのせいで危険な目に会ったことも、一度や二度では無かった。
平たく言えば、感謝しても余りある悪行で、全て帳消しと言った所だ。
しかし妙に人懐っこく面倒見の良い彼は、街の子ども達の中では一目置かれた存在だった。
「屋台に、劇場に、吟遊詩人っ!!くぅぅぅぅ!!寒い冬も、今日この日の為に乗り越えて来たってもんだぜっ。なぁ、ネズミ!そうだろう?!」
一人悦に入るザックを横目に、私――ネズミは、深々とため息をついた。こうなってしまえばザックは何を言っても聞き入れない。因みに、当時名前の無かった私にネズミと名付けたのも彼だ。初めて韋駄天の如き走りを見せた時、大騒ぎの末考え出したのがネズミとは、我ながら呆気に取られてしまったものだ。その上そうこうしている内にそれが通称となってしまい、今ではスラムで『ネズミ』と言えば、私を知らない者は居ない。
全く、何で私はこんな失礼な奴と未だ一緒に居るのだろう…。
再度深々とため息をつくと、ザックが私の顔の前まで覗き込んできた。
「おいおい、しけた面してんなー。今日はそれこそ、お腹一杯美味いもんが喰えて、楽しい事が一杯だぞ!そんなんじゃ、うまい飯にもありつけねぇ!」
「うるさい、ほっといて。ほら、街が混むわ」
煩わしいザックを振り払いながら、私は街へと足を向けた。祭りの活気が最高潮に達するお昼前後が、私達子どもたちの独壇場だ。大人の背丈の半分にも満たない私たちは、人ごみを掻い潜り、食べ物をくすねて財布を盗む。正にこれが私たちの、生き抜くための戦場だった。
何時ものように、歩きなれた裏路地を音もなく滑っていく。その横でザックがとたとたとかすかな物音を立てながらついてくる。この街サレイドールは人の往来の激しい地方都市だ。なんでも、王都に続く道の途中にあるらしく、いつもひっきりなしに人が訪ねては抜けていく。そんな彼らの為に街には沢山の宿屋や店が立ち並び、いつも活気にあふれていた。そしてその活気が最高潮に達する時が、年に何度かある。その内の一つ、長かった冬が明けたことを喜び、芽吹きの季節を祝う春の大祭。秋の収穫祭と並ぶ、街に生きる全ての者に、人気のお祭りだ。
程なくして、私は視界の先に明るい街並みを捉えた。色とりどりの服を着た大人たちが、にぎやかに通りを歩いている。皆祭りの気分に浮かれてどこか浮ついた感じだ。私はにんまりとほくそ笑むと、ザックに目配せをした。
ザックはこくりとうなずくと、すっと人の雑踏の中へと溶け込んでいく。私も程なくして、ザックとはまた別の方向へと足を踏み出した。
通りを行きかう人の波をゆっくりと避けながら、私は回りを物色していた。常に逃げ道を視界の端に捉え、隙のありそうな大人を狙う。金目の物や財布があればこちらの物。こっそり近づいて気配もなく抜き去った。一人から捕ったら、すぐにそこから離れてまた別の人を狙う。そんなことを繰り返していくうちに、そこそこの金額が集まった。
「ふふ。今年は豊作ね」
人気のいない路地裏へと戻り、私は思わず笑みをこぼした。これで数日は食うに困らないだろう。私は戦果を懐にしまうと、さてどうするかと思案した。
ザックとは昼の鐘が鳴るころに、広場で会おうと約束している。ちょうどその頃、毎年大道芸等が行われるのだ。その時ばかりはくすねたお金で好きな食べ物を屋台で買って、一緒に見るのが何時もの楽しみだ。まだ昼の鐘まで時間はあるが、私は広場へと向かうことにした。
人でごった返した表通りを行くより、このまま裏道を抜けたほうが早い。そうと決まれば私は歩きなれた裏路地を、迷いなくまっすぐに進んでいった。
入り組んだ細道を幾つか過ぎ去り、広場まで後半分という所で、人が争う音が聞こえてきた。私は内心舌打ちをする。このまま行くのが広場までの一番の近道なのだが、この道が使えないとなるとかなり引き返さなくてはならない。まだ時間はあるとはいえ、少々癪だった。こんな浮かれたお祭りのときは喧嘩など日常茶飯事ではあるが、私はほんの好奇心でその現場をのぞき見することに決めた。
足音を隠して進んでいくと、段々と物音が大きくなってくる。どうやら左程人数は多くないようだ。私はゆっくりと近づいていき、そして顔を覗かして目を剥いた。ザックが、ゴロツキ二人組に絡まれていたからだ。
「おいおい、坊主。随分と良さそうな稼ぎじゃねぇか。少しは俺たちも分けてくれねぇか?」
背の高い男が、床に転がされたザックを踏みつけた。ここからではよく見えないが、既に何発かザックは食らっているようだ。まだ青年といった背格好だが、子どもの私たちにとっては十分脅威だ。囲まれてしまえば、逃げようもない。
「ふざ…けるな…っ!これは…オレ…の、だ…っ」
「なーに言ってるんだ兄弟。ちょっとだけでいいんだぜぇ?」
「そうそう。俺らがお前なんかよりも有効に使ってやるよ」
下卑た笑い声が耳につく。私は思わず舌打ちした。流石にこのまま放っていくのは気が引ける。しかし体格差のある相手に無暗に突っ込むわけにもいかない。思案していると、ザックがゴロツキに踏みつけられていた足を払い、ぺっとその足に唾を吐いた。
「ひとりで…狩りもできな…のう…なし…やろう…!」
まずい。本能的そう思った。嫌な予感は的中して、ゴロツキ二人から一気に殺気が立ち上った。
「こんの…クソガキ…!痛い目見してやる…っ!!」
浮浪者が死ぬことなんて日常茶飯事だ。ましてや、子どもであれば誰も気にも止めやしない。嫌な予感が一瞬私の頭を霞め、気が付けば思い切り体当たりを食らわしていた。
「うぉ?!な、なんだこいつ!!」
ザックを踏みつぶそうと片足を上げていたゴロツキは、予期せぬ攻撃にバランスを崩し、二人そろって倒れこんだ。私も一緒に巻き込まれたが、持ち前の素早さで直ぐに立ち上がる。
「ザック、逃げて!!」
「あ!て、てめぇ、待ちやがれ…!」
「お前、どけ!!」
じたばたともがくが、無様にもすぐに立ち上がれない。ザックはよろよろとしながらも脇の裏路地へと逃げ込んだ。後はこいつらの注意を、私が引いてやれば良い。
「ふん、無様ね。なるほど、子どもから巻き上げるしか脳が無さそうだわ!」
「てめえ、言わせておけばこのクソガキがぁ…!」
やっとこさ立ち上がったゴロツキたちは、顔を真っ赤にして殴りかかってきた。無理もない。こんな子どもに良いようにされたなんて、彼らのプライドが許さないだろう。しかし振り上げられた拳も蹴りも難なく躱すと、私はくるりと踵を反した。
「ばーか!あんたたち何かに捕まるわけないじゃない!」
「待て…!!」
後はこの場所から二人を遠ざけるだけだ。私は適度な距離感を保ちながら、一目散に裏路地を駆けた。こんな時、この小さな体と素早い足は役に立つ。私は難なく二人を巻くと、複雑な路地裏に残し姿をくらませた。