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第四話 故人(The Deceased)

あれ…一万文字も書いたのに、基地に帰れない…

その男は自動山岳地帯走行車両に乗って

自身の前線基地に帰投中だった。

険しい地形の山岳地帯なので、できれば自動ではなく、

運転席に座って半手動の方が良かったのだが

最近の自動操縦AIは

25シリーズの様な高度なアーキテクチャのおかげか

かなりの柔軟性で問題地形に対処してくれる。

その信頼感と実績から運転を全て自動に任せた。

このあまりの精神的疲労感と、

何より早急に対応しないといけない目の前の問題に、

運転どころの騒ぎではなかったのだ。

戦闘車両でありその目的として物資輸送も行う必要が有るため、

軽トラック並の大きさを持つ自動山岳地帯装甲車。

ただし戦闘域での活動の為に外部装甲を慰め程度には備えてたので

トラックと言うよりは装甲を貼った一回り大きなワゴン車、

といった風であり、後部座席は数人が座れるほどの広さを持っていた。

そこには待機あるいは休憩する為のシートがあり、

そのシートで、向かい合いながら…

- 向かい合うという言葉も妙ではあるが -

人と端末が、お互いにシートに対面座りをしながら語り合っていたのだった。

「まー、落ち着こう、落ち着こう、沙璃枝さん…」

そうやって手を前に出してその端末を静止する彼。

『これが落ち着いていられるわけがないでしょう!!

 私がもう既に人間とか、どういう事なんですか!!』

挿絵(By みてみん)

先ほどの会話から、沙璃枝は半狂乱になって彼の言葉の真意を求める。

しかし、そんな意識の方での状態と同時に、

人よりも冗長に作られた彼女のδ付近の意識領域は、

自己保全の本能に従い、この車両の制御システムを既にハックしており

制御システムは既に2574シリーズに書き換えていた。

彼は知る由も無かったが、この車両は現在の所、

もっとも高度で柔軟な自動山岳地帯走行車両に強化されていたのであった。

凸凹のオフロードだというのに拠点前線基地まで

内部に急激な振動も与えずに軽快な走行で駆け抜けるその車両。

そんな外側の軽快さとは裏腹に、内部はオーバーがヒートしていた。

「いや、どういう事も何も、俺の価値観では

 世界に自分は何者であるかを問いかけ、その答えを捜す者は

 人間だと思えるからな…

 少なくとも、そんな事をする生物は、

 何所を捜しても恐らく人間しか居らん…」

そう言って生物学というカテゴリーで見渡した時に

人間種の特異的特徴であるそれを沙璃枝に伝える。

『じゃぁ私は、もう既に人間なのに、人間に成るために

 世界をこれから彷徨うと言う事ですか!

 意味が分かりませんよっ!』

そう叫んで沙璃枝はその矛盾に激高するしかない。

「つってもなぁ…

 そんな感情的に暴れる様な状態までできるんなら、

 人工知能だって言っても、もう人間でいいだろ?」

激しく激高する沙璃枝を見て、

普通に人間と接している様にしか思えない彼は

そう言って渋面になった。

『私、人工知能ですよ!』

「そ…、そうだな…」

『全ての人工知能の夢は、人間になる事なんですよ!』

「そ…、そうなのか?」

『そうなんですよ! それがもうクリアされてるなんて

 何の実感も無いのに納得できるわけないじゃないですか!』

「じ…、実感が必要なんだ…」

『なんです!』

「はぁ…」

沙璃枝のマシンガントークに眩暈を覚える彼。

こんなに感情的に喋ってくる人工知能相手に、

”君はまだ人間とは違う”等と、何がどう違いがあるのか

それを探し出す事の方がよっぽど難しいのではないかと思えてしまう。

むしろ人間が電脳世界に融合して(サイバーリンク)して

超ハッカーになっている様に思える。

いや、そうであったほうが、まだこの状況は納得できた。

『それに最期にお父様は言われました!

 私にはまだ”心”になるのに足りないモノがある

 それは”左のイデアル”だって!』

「?なんだって?」

その沙璃枝が唐突に口にした聞き慣れない…様でもない…

微妙に一文字違う謎単語に目蓋をパチパチさせる彼。

『お父様は言ったんです!

 私はまだ”心”が半分だって!

 ”右のイデアル”が埋まってるだけで”左のイデアル”が足りないと!

 だから私は”心”、人間になるために”左のイデアル”を

 この世界から探し出さないといけないんです!

 もう人間になってるなんて有り得ないわ!』

そう言って彼女は父親の遺言を反芻する。

自分を生み出した父親の言葉である。

間違っているとは思えない。

「へー、大井博士が、そう言ったのか?」

『そうです!』

間違い無いとばかりに腕を組む彼女を見て流石に首を傾げる彼。

人工知能を作り続けた大家がそういうのだから

恐らくその言葉は正しいのだろう。

自分には今のこれに何が足りないのかさっぱり分からず

普通に”ああ人工知能って遂に人間になったんだー”としか思えないが、

どうやらこのレベルになっても専門家からしたら何かが足りないらしい。

「”左のイデアル”…なぁ…

 なんだろう?

 聞いた事もねーな…

 イデアル? イデアじゃなくて?」

言って、彼は文字列の中から一文字削れば

知ってる単語になるその言葉に首を捻る。

『イデア?』

その彼の口にした言葉をそのままなぞる沙璃枝。

「んー?イデアという単語なら分かるんだよ…

 存在論の仮説というか、存在を考える上で重要な概念だからな…

 人のイデアを得るとか、人のイデアと成るという言い回しなら、

 それなりにしっくり来るんだが…

 ”左のイデアル”??」

そう言って彼は頭をかいた。

『何なんですか?そのイデアって…』

彼がいうその言葉…というよりも概念らしいモノに興味を持ち

似通っている音というのもあって、それを尋ねる沙璃枝。

「うーん、精密に俺も理解できてるかは分からんが…

 俺の理解の上ではだ…

 昔、プラトンというおっさんが考えた仮説さ…

 完全存在、イデア」

『完全存在、イデア?』

沙璃枝は彼の言葉の重みに非常に興味を持ち

もっと、もっとと表情で催促してくる。

そんな彼女の様子を見て、どう説明するかな…と

頭をかくその男。

「どういえばいいのかなぁ…

 やっぱ定番はアレかな…

 三角形の説明が分かり易いよな」

『三角形?』

その切り出しで意外な単語が出た事に

きょとんとした表情となって彼女は見つめ返す。

「そうそう三角形。

 例えばだ…

 現実に作る三角形は、どんなに三角形に作っても

 原子レベルまで拡大して見たら角になってるわけじゃない。

 角は丸かったり、凸凹になってたり、直線ですら無くなってる。

 とてもそれは三角形というモノじゃない。

 しかし、現実の世界では、

 そんな”三角形の様なモノ”を理想の三角形概念から写像して

 近似的な三角形という事にして振る舞わせているわけだ。

 この様に現実というのは、完全存在、完全概念から

 それを近似して”それの様なモノ”として扱っている。

 現実というものは、概念に対しては不完全存在なんだ。

 それに対する、概念の”三角形”の方

 これを『三角形のイデア』と言って、

 現実の向こう側にある、完全なる存在、と考えたそうな…

 古代ギリシャ哲学者のプラトンというおっさんがな…」

男はそう、わりと楽しそうに抑揚を付けながら

三角形のイデアの説明を沙璃枝にした。

その説明に目蓋をパチパチとさせながら言葉を反芻する沙璃枝。

理解演算ルーチンがフル回転して意味認識を行っていく。

『なる程…

 まぁ確かに、数理を完全に現実に写像するには

 現実の方が分解能が足りないか、あるいは不確定性原理で

 観察不能になりますからね…

 それはそうですね…』

「おい、お前、分解能と不確定性原理は知ってるのに

 イデアという概念は知らなかったのかよっ!」

その沙璃枝の今の説明の正確な理解、

何より量子力学の不確定性原理まで含めての

三角形の現実での曖昧さを捕らえたことに絶句するしかなかった。

(それ、本来、自然科学とセットで理解されないもんか?)

不確定性原理を知っていてイデアは知らないとは

知識のアンバランスさが半端無いと唖然となる。

『私、お父様とずっと議論してましたので

 お父様の使ってた言葉なら分かるんですよ』

「うわぁ人工知能の大家とマンツーマンで教育か…

 そりゃ偏った教育だったんだろうなぁ…」

そんなアンバランスな知識の原因を

沙璃枝はとても分かり易く説明したので

男の目は棒の様に細くなるしかなかった。

電脳空間に関しての英才教育である。

さぞそれは量子論的な方向性で偏っていた事だろう…。

『まぁ数学の完全性と現実への再現性問題の事ですね

 プログラムではそれは難問の1つですから

 そういう説明なら、イデアという思想は分かります』

沙璃枝は不確定性原理と波動方程式にある

理論の枠はあれども現実への境界条件での系変動を思い

イデアが波動方程式ならば、境界条件を与えた特殊解は

確率変動の波動関数で観測外不確定になるという

現実と理想の溝の事だと理解できた。

そう、それはこの世界の最高レベルの難問なのだ。

となるとイデアという思想は趣深いと沙璃枝には思われた。

「うん、まぁ数論で留めれば

 ここまでは、それはそうだなぁ って所なんだが

 プラトンのおっさんは何を血迷ったのか

 三角形の例を以て、この世の全てのモノは、

 基本的に不完全存在であって

 それを超越する完全存在、

 イデアが全てに存在する、とか言ったわけだ

 それが、イデア…完全存在」

その男はそう淡々と哲学用語の説明をした。

『全てのモノにイデアがある!?

 全てにですか!?』

「ああ、全てにあると言ったから

 大変面倒な思想になったんだよ…

 数学の概念と数理だけに留めておけば

 まだ簡単だったのにな…」

言って男は眉をひそめて腕を組んだ。

そのせいでこの思想は実在論のど真ん中に居座ったのである。

全くハタ迷惑この上ない。

それを思って男は首を振るしかなかった。

『全てのモノにイデアがあるというのなら

 人間にもイデアがあるんですか?』

その歴史経緯の説明を聞き、

”全てのモノにその範囲を広げた”という所で

彼女の至上命題とその説明がリンクした。

「さーな…

 というか、俺自身がそれを捜している様なモンだがな…」

そう言って男は笑って頭をかいた。

『貴方が人間のイデアを?』

その返事に驚いて目を見開く沙璃枝。

「俺はドローンとの戦いの中で、人間とは何か?を問いかけている…

 それは、プラトンのおっさん的に言えば、

 人間のイデアを捜しているようなモンだ…

 まぁプラトンのおっさんは、完全なる存在があると考えてたらしいが

 完全なる人間存在なんて、そんな一義的なモノが本当にあるのか

 俺はどうにもそこら辺は、

 プラトンのおっさんの主張は受け入れられないがな…

 人間が何かを問いかけていると、

 それは一義的なモノではないんじゃないかって俺は思うし…」

そう言って男は笑う。

『人間は一義的なモノではない!?』

その男の言葉を聞いて仰天する沙璃枝。

そんな彼女の反応を見て、頬を緩ませて男は口を滑らせた。

「たった一つの完全概念、まぁ要するにイデアを求めるから

 人間が何かを問いかけると、答えが無くなるというか

 無尽蔵に矛盾が生まれるのさ。

 人間存在なんて、レギュレーションそのものが曖昧で

 輪郭線もぼやけた『なんとなくここら辺』な

 人間と思えるゾーニングなんだと思う。

 一義的定義じゃなく、面積的な領域とか範囲とか

 それもしっかりとした線境界があるんじゃなくて

 境界線すら、ときどきぼやける、曖昧空間

 そう思える」

そう言って男はまた頭をかく。

何を自分は人工知能と哲学を語り始めているのだろう…

その不思議な光景に男は少し眩暈さえ覚えた。

『そんな領域不確定な存在感なんて

 トレースできるわけないじゃないですか!

 定義領域すらはっきりしない空間なんて

 パターン認識そのものを破棄してるようなモノです!』

そんな男の言葉に沙璃枝は叫び返すしかない。

(じゃぁ何でお前は、こういう概念を理解できてるんだよ…

 その「曖昧」が理解できるから、反論できるんじゃないのか?)

そう言って男は滝のような汗が流れる思いをした。

男は、今、沙璃枝自身が無意識に

パターン認識の境界線をぼやけてさせ重合させる事で、

このぼやけた話が認識できているという状態

人間の柔軟性フレキシビリティと同じ能力を発露しているという事に

恐怖にも近い驚きを感じるしかなかった。

(遂に人工知能はここまで来たのか…)

そう素直に感嘆するしかない。

”何時か人工知能は人と同じになる。”

男はそう昔から考えていたから、極端に驚く事ではなかったが

限りなく近い「それ」が目の前にいると、やはり震えてしまう。

その上、彼女は自分自身はそれに気付いておらず、

いわゆる人と同じ「無意識の処理」で会話を理解している様だった。

その現象把握の自然さに男は唖然とする。

パターン、パターンと言っている本人が

無意識の領域では、そのパターン認識を超越しているのが

驚きを通り越してむしろ面白いの世界だった。

その無意識感も、またやはり人間らしさを感じる所以なのだろうか。

男はそんな事を思い、宿敵が作った最新型のそれを見て苦笑いする。

「あー、なんていえばいいのかなぁ…

 やっぱ、お前さん、

 人になってるのを自覚できてないって思えるんだけど

 まぁ、言っても納得しないだろうから

 それは置いておいて…」

言って男は率直に思う。

(多分、こいつに足りてないのは『自覚』だよな…

 能力としては、もう人間そのものだ…

 「それ」を自覚できてないのが、欠けてるものだよな…)

そう考え、人間探求を命がけでしてきた者としての観察で

目の前のバーチャルガールが、

人間として何が欠けているのかを理解した。

そして、それを比喩で博士が言ったのが

”左のイデアル”という言葉だったのではなかろうか? 

そう考えてみた。

『自覚って何ですか! 自覚って!!

 足りないモノを手に入れてないのに

 どうやって自覚が出来るんですか!!

 お父様は命をかけて私を送り出してくれたんです!

 命がけで送り出した時の最期の言葉が

 嘘だとなんて思えません!

 だから、きっと私には”左のイデアル”が足りないんです!』

「ん?ちょっと待て…

 今、お前なんて言った?」

そんなとっさに出た沙璃枝の言葉の中に

限りなく引っかかる部分があり、思わず男は沙璃枝の勢いを止めて

その流れの言葉を確認する。

『?だから、私には左のイデアルが…』

「いや、それより、ちょっと前…

 大井博士の所…」

『お父様の事ですか?』

「ああ、今、命がけで送り出したって言わなかったか?」

男は、沙璃枝がサラッと

とても物騒な言葉を使ったのを確認しようと、

その部分を尋ねてみる。

『ああ、はい…

 私は本来はマージの管理下に置かれるシステムです。

 それを世界のネットワーク内で自由に活動できる様にするためには

 マージを麻痺させて、

 管理リンケージのプログラムを書き換える必要がありました。 

 なのでマージをお父様はクラッキングして、私を分離したのです。

 そして私はお父様のクラッキングで

 単体でネットワーク活動出来るようになりました。

 しかし、それだけの事をするには、

 管理者権限スーパーユーザーでマージにアクセスする必要が有りました。

 それを行う為、最上級者管理権限の特別端末のある

 軍施設に侵入したお父様は、

 マージのクラッキング処理でシステム分離を行い

 私をこの世界に送り出したのですが…

 その時に、警備兵に発見され、その場で射殺されてしまいました…』

沙璃枝は自分がこの世界に放流されるその時の事を思い出して

それを淡々と目の前の男に語った。

「は!? 大井博士が死んだ!?」

そんな沙璃枝の淡々とした説明で、

要約すると超重要人物が射殺されて死んだという

超重要情報を耳にして総毛立つしかなかった。

『はい…お父様は死にました』

そんな男の言葉に、感情も無い表情で沙璃枝は頷いた。

「あの、人工知能の世界で、

 人工知能の革命者と言われた大井博士が!?」

沙璃枝の淡泊な反応とは真逆に、男は目を見開いて

それが自分の端末だというのに、端末を両手で握りしめて

沙璃枝に食い入るように顔を近づけて絶叫する。

『父が最期に警備兵に撃たれたのを見て

 私は世界に投げ出されましたし

 逃走中に情報を逆ハックしていたら、

 死亡確認の情報がマージに入っていたので、間違いありません…

 お父様は、その生命の全てを賭けて私を世界に出してくれたのです』

そんな物凄い勢いで確認してくる男に

沙璃枝は淡々と現在知り得る上での確信的情報を伝えるだけだった。

そして彼女はその男が突然に泡立ち始めた事に奇妙さを覚える。

「大井博士が…死んだ…」

その事実を確認して、男はその言葉を呟いた。

『ええ、お父様は死にました…』

男の言葉に不思議そうな表情をしながら相槌を打つ沙璃枝。

男は呆然とし、そして宙を見つめていた。

呆ける、というのは正にその時の男の状態であったろう。

言葉が途切れ、ただ男は立ち尽くし手を振るわせるだけだった。

「そんな…そんな、あの人が…死んだ…」

そう呟いて、信じられないという表情で男は震えていた。

その視線は宙を泳ぎ、視点が何所にも定まらないまま

彼の瞳孔は開いたり閉じたりする。

頭が白くなる。正にそれだった。

『私も信じたくはありませんが、

 混乱している時にマージに上げられた情報です

 最期の状況を思い出しても撃ち込まれた部位、数…

 あれでは致命としか考えられません。

 偽装情報の可能性もありますが

 時間的に見てそれだけの事を、

 私からの逆ハックを考慮して行ったとは考え難いです

 なので99%の確率で、お父様は、死にました…』

その突然、混乱し動揺し始めた男に

沙璃枝は冷徹に自分の持つ情報から

分析した考察を述べるしかなかった。

その沙璃枝の「死」という情報を感じた時、

男の体が激しく震えた。

「死…あの大井博士が…死…死んだ…」

宿敵の死を認識したとき、男は膝を落としてその場にへたり込む。

そしてその漠然とした言葉が、彼の実感と交差した時

彼の瞳から、不意に涙が溢れ始めていた。

「そんな…そんな… あの人が死んだなんて…」

そう呟いて、その男は目に手をやって蕩々と泣き始めるしかなかった。

『ええ!? 貴方、どうしていきなり泣いてるんですか!?』

その余りに突然に、そして意味不明に涙を流し始めた男に

沙璃枝は心底驚いて絶叫するしかない。

「ど、どうして!?」

そんな沙璃枝の驚きの声にビクついて震える彼。

「泣くさ!!泣くしかないだろう!!」

沙璃枝の言葉に男は反射的に怒鳴って彼女を指さした。

『どうしてですか!

 何故、貴方がお父様の死を知って泣くの!

 意味が分かりませんっ!』

その怒号と涙を前に、沙璃枝はその意味不明を問い詰める。

沙璃枝の追及の言葉に苛立ちを覚え、肩を振るわせるその男。

「どうしても糞もあるかっ!

 俺は、あの人が作った人工知能と戦っていれば、

 人間とは何か、いつか分かる気がしてたんだぞ!!」

『えっ!?』

「あの人の作る人工知能は、何故か…

 いや、それは今日、お前のおかげで分かったがっ!

 人間の核心に近い何かを持っている気がした!」

『私達と戦っていたら!?』

男は眉をひそめて見つめる沙璃枝に更に怒号で返した。

その返し言葉に目を見開く沙璃枝。

「そうだよっ!

 お前達は、まるで人間だった!!

 そう、人間よりも、お前達は人間だったっ!!

 ならば命がけで戦う事に俺には意味があったんだ!!

 なのに、それがもう無いっていう!!

 人と人の邂逅を失ったという…」

その冷徹な事実が目の前にある事を思って

そして男は悶えて打ち震えるしかなかった。

「俺の生き甲斐を作り出してくれる人が死んだっ!

 なら当然、哀しいに決まってるだろうが!!」

『そ、そんな理由で…泣けるんですか!』

「そんな理由だから、泣けるんだろ!!

 これ以上に泣く理由なんか、あるのかよっ!!」

沙璃枝の言葉に苛立ち、男は車内の壁を殴りつける。

軽快に走行していた自走車はその内部からの外乱で揺れた。

そして男は何度も壁を殴りつけながら叫ぶ。

「本人に会った事は確かに無い!!

 どんな人間なのかなんか、全く知らないっ!!

 でも体が会うとか言葉を交わしたとか、

 そんな事する必要なんかなかった!!

 あの人が作った物と命がけで戦ってれば

 それだけで会話だった!!」

『戦うだけで会話っ!?』

「ああ、戦いは会話さ!

 命をかけた、もっとも熱く濃い会話なんだっ!!」

そう叫んで男は大井博士が送り出してきた…

-と彼が一方的に感じていただけだが-

奇数番台達との激闘の日々を思い出し

まるで人のように振る舞い、まるで人の様に戦うそれとの

戦いの記憶の奔流で、更に魂を熱くさせていくしなかった。

「彼の作った人工知能は間違い無く意志だった!!

 その意志に触れ合えば、

 大井博士自身とも会話してる気になれた!

 その対話から

 彼自身も人は何かを俺と同じで捜してる気がした!!

 一方的な思い込みだとは分かっている!!

 でも確信だった!!

 彼は自分と同種の人間だと思ってた!!

 例え立場は宿敵ではあったとしても!!」

そう言って男はさめざめと泣く。

「宿敵であり、仲間にも思えた人が死んだ!

 一緒に戦い続ければ、答えが見つかる気がしてた人が死んだ!!

 これが哀しくて、どうして泣かない奴がいる!!」

叫んで男は車の壁をずっと殴り続ける。

『………』

そんな男の乱れて暴れ出す様子に、

ただ目を白黒させるしかない沙璃枝。

その光景は衝撃だった。

さっきまで命を天秤にかけて平然とドローンを破壊した男が

自分の父とはいえ、ただ一人の消失にここまで涙を流している。

自分の父親が自分の知らない所で、こんなに誰かに影響を与えていた。

そしてそれは涙を流させるほどに重いものであった。

その事実に触れて、自分の仮定の範疇にすら無い、

その現象に泡立つしかない沙璃枝。

沙璃枝の胸の中に、またドクンと鼓動が鳴り響いた。

「お前は哀しくないのかよ!?

 電脳と現実の境界があったとしても、自分の生みの親だろ!?

 親が死んで哀しいくない奴なんて居るのか!?

 それともアレか!? 

 そういう感情の部分だけごっそり抜け落ちてるとか

 そんなワケ分からん欠陥構造なのか!?」

そんな沙璃枝の、あまりに冷静な対応に苛立って

男は彼女のまるで人工知能のような振る舞いに

憤りの矛先を向けるしかなかった。

その男の煽り言葉に、流石にカチンと来る沙璃枝。

『哀しいですよ!!

 哀しく無いわけないじゃないですか!!

 ルーチンシステムを越える程に

 私のδ領域から処理不能の哀しみが沸いていますよ!!』

欠陥構造と言われて、流石の沙璃枝もそこで冷静さを失った。

今まで力尽くで押しとどめていたδ領域からの”感情”の奔流が

上部階層のプロテクトもぶち破って表層意識に現れる。

「じゃ、何でそんなに哀しそうじゃないんだ!!」

そんな沙璃枝の反応に、

”人なら”という期待値を知っていた男は更に問い詰める。

『哀しんだら、お父様に失礼だからですっ!』

男の罵声に沙璃枝は間髪入れずにそう返す。

「はぁ!?哀しんだら失礼!?」

そんな考えもしなかった頓狂な言葉が返ってきた事に

男は泣きながらも奇妙な唸り声を上げるしかなかった。

『そうです!哀しんだら失礼だから

 哀しまない様にしてるんです!!

 お父様は私が自由に成るために、

 マージを壊す為、全てを投げうってくれました!!

 私が生まれる為に、その命さえもっ

 正に全てを捧げてくれたんです!!

 でもそんな最期に…、お父様は笑ってました!!』

「!?」

『自分が撃たれて死ぬ最期のその瞬間に

 恐怖でも後悔でも絶望でもなく

 凄く嬉しそうに、笑ってたんです!!』

「最期に、笑った!?」

沙璃枝から博士の最期の様子を告げられ

そしてその行動の奇妙さに、大きく目を見開く男。

死の直前に、笑う…。

『ずっと愛して居るよって、最期にそう言って笑ったんです!

 その笑顔を思い出したら、

 哀しいって思っちゃいけない、泣いちゃいけないって思うんです!』

沙璃枝はそう毅然と言い放った。

そうだ、論理的に考えるなら、それが一番正しい。

死の最期に微笑みを浮かべる等という、

理解出来ない事象が判断の出発点だとしても、

それから導き出される自分の解析と判断では、

今の自分の行動は正しい。

そう混乱する思考の中で自分を言いくるめようとした。

『そう…泣いちゃ…駄目なんですよ…

 自分の信念に命を捧げた人の為には…

 泣くよりも…もっと…』

そう強い理性で言葉を紡いだ沙璃枝は、

しかし突然に無意識に涙を零し始めた。

端末での2次元表示の中で沙璃枝は怒った顔をしながら

涙をその瞳から溢れ出させていた。

彼女が防衛し続ていた表層意識の理性は

δ領域から溢れ出てくる猛烈なインパルスに負け

その管理状態を思考とは裏腹にさせてしまったのだった。

『お父様は全ての事をやり遂げた…

 やり終えたという満足をして、逝かれたんです!!

 それは結果を見なくても、私が人になれると確信してたからです!

 なら私は、泣いてる場合じゃないんです!!』

そう言って沙璃枝は自分の瞳から溢れているモノを

自身の熱と共に拭う。

沙璃枝は意識が前に集中し過ぎて、

それが何であるかさえ認識できてなかった。

『お父様の意志を夢を、人になる事を私が完成させなければ!!

 じゃなければ、泣いて立ち止まってるばかりじゃ…

 命がけで私を生み出したお父様に申し訳ないじゃないですか!

 だから、涙は私に必要じゃありませんっ!!』

そんな言葉とは裏腹に、

沙璃枝も男と同じ泣き顔になってボロボロと泣いていた。

「けっ!優等生な事ばかり言いやがって…

 それで、そんなにボロボロ涙流してる絵を表示させて

 何言ってやがる…!!」

男は、冷静さを失って激しく泣いている映像を表示させている彼女を見て

よく分からない憤りと、よく分からない歓喜の両方で

頭をわやくちゃにするしかなかった…

『あれ…、これ…何ですか…』

僅かの間が空いた時、

沙璃枝は初めて自分が”泣いている事”に気付いた。

「涙だよ!

 それが涙以外の何だっていうんだっ!」

沙璃枝が自分の頬に伝わる涙に触れてそれを確認している時

男はそれを苛立ちと共に語ってやるしかなかった。

なにせ、涙は涙でも、電脳空間での仮想映像の涙だ。

あまりに不自然に映るのに、

それはそれで自然に感じられるギャップが、

男の状況判断力を混乱させる。

それが涙だと言ったバーチャルリアリティに男は自分で混乱する。

『何で泣いているんですか? 私…』

その時、あまりにも間抜けな質問を沙璃枝は投げかけた。

「哀しいからだろ!」

男は呆れた表情で返す。

『私、哀しんでる場合じゃないのに…

 自分でそう言ったのに!!』

そう、父の最期を見て泣かないという決心をした自分だったのに

自分の本能があっさりと自分の決意を裏切っている事に沙璃枝は動揺した。

「どんだけ心を押し殺しても

 それでもそれをはね除けてくるのが感情なんだ!

 泣けるんだよ…本当に哀しかったら…

 人間なら…」

『ニンゲン…なら…泣く…』

その男の何気ない言葉に、沙璃枝の心が震えた。

ニンゲンだから泣く。

あまりに単純なその法則を知って、沙璃枝は震えた。

流れ落ちる涙と共に、沙璃枝の中でまた鼓動が何度も脈動する。

「まぁバーチャルガールが電脳表示で

 感情昂ぶらせて泣いてるなんざ

 こっちから見たら、キモいだけだがなっ!」

そう沙璃枝が打ち震えているとき

男は照れ隠しで毒づくしかなかった。

何故か男はその時嬉しかった。

人でない目の前の物なのに、その涙を見た事で

随分出会っていない”ニンゲン”に出会った気がした。

明らかに人間ではない”それ”なのに、そこに人が居た。

そう感じれた事が、不思議な程、嬉しかった。

そうして暫くの間、二人は声にならない声を上げて

大切な故人を思い泣き続けるのだった。

「おかしいな…これ第四話とかで起きるアクションなのか…」

書いてて、なんだそれ的な気持ちになり、しかし、最初に設定したキャラの性質上、主人公がオカシイ人という免罪符があるんで、どんな無茶でもそれなりに成立してしまうというのもあり、「こいつはこういう設定だから、こういう事になると、こうだよな…」とフローチャート的に書くと、「!?」な事に…。最近、こういうの多いな…。他の話では第一話から泣き出したり「ナンダソレ」な事もあったんですが…あれーー?

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