第十三話 Bと沙璃枝 (Name)
ようやく転パートに入れたというのに、まだ承パートの残務処理みたいな事やって、残務処理の終わりです。ここの内容そのものは基地の中で消化しても良かったんですが、ま、複数人で話してる中に無理に盛り込むよりは、二人会話の中で消化する方が楽なんで、こんな形で。急いで書いたんで、ここも第1次改修するのは、そのうちにという所で。
そのサイドカーは白地の荒野の山道を軽快に疾走していた。
乾燥している土地とは言え水気が無いわけでもなく
道には申し訳程度に植物が生えている。
空は晴れ渡り、雲もポツポツとまばらに浮かんでおり
ドライブをするには絶好の天気だった。
電動モーターの音を響かせながら、
気持ちよくサイドカーで山道を走っていく二人…
二人という表現は語弊かも知れない。
片方は間違い無く人間であるが、
もう片方のサイドカーに乗っているのは
物理的にはコンピューター端末…
その端末群が沢山積み重なっていて、
その頂点にディプレイを開いている端末が乗り
そこに少女の姿が映っているというのだから
その状況を普通でいうなら二人とは言わない。
Bは不意にこの状況の客観的な絵を想像し
”サイドカーにバーチャルガールを乗せて
ドライブしている痛い人”
という見え方に気付いて僅かに苦笑した。
かなり間抜けな絵図等で、滑稽で恥ずかしくもある姿だ。
まったく昨日に出会ってからと言うモノ
この沙璃枝なる人工知能のせいで、
Bの生き方は更に変人の性質を増してしまった様だった。
だがそれもいい。
そう思えてしまうからこそ、BはBだった。
『そういえばBさん?』
不意に沙璃枝が語りかけてきた。
「ん?なんだい沙璃枝さん…」
端末の電子音で語りかけてくるそれに
僅かに目をやって応じるB。
『貴方の名前…B? これコードネームか何か?
本名はなんて言うの?』
沙璃枝は昨日からの沢山の色々な事で
聞きそびれていた事を思い出し、それを尋ねた。
「あ?俺の名前はBだが?
これ以外に名前はないぜ?」
そんな沙璃枝の問いにBは憮然とした顔で返す。
『そんな…
人の名前がアルファベット1つなんて事
あるわけないでしょう?
本名はなんて言うの? はぐらかすの?』
Bのそっけない返事に沙璃枝は眉をひそめ
人らしくないその名前に抗議する。
沙璃枝のその言葉に、あー、と僅かに呻く声を上げながら
Bは彼女の言葉に返した。
「まぁ、そういえばなんか昔は
大仰な名前を親から貰ってた事があったな…
でもそいつは親が俺に押しつけたモンだ…
それが嫌だったってわけじゃないが…
人間を捜すに際して、
自分が自分らしい自分の名前を自分で決めようと考えたら
俺が思いついたのはこの名前、B、だったのさ…
だから、俺はB、俺が決めた名前のB…」
そう言ってBは白い歯を二カッと見せて笑った。
『名前を自分で決める?』
そのBの思わぬ返事に沙璃枝は更に眉をひそめた。
「自分が自分らしい生き方をしたいんなら
自分がどういう存在でありたいかの名前を
自分で付け直すのもアリだろう?
親の気持ちも有り難いが…
こんな世界だからな…
自分で決めて、生きてみたくなったのさ…」
そう言ってBは前を向き、僅かに遠くを見る目をした。
『それが、Bっていうアルファベット1つだったの?
自分の名前を自分で付け直すって所までは
まだ分かるけれど…
名前ともつかない、文字一つを名前にするなんて…
どうして…』
言ってBの主張に沙璃枝は名前を付ける言葉の基準の
ズレた感覚に反発する。
自分自身が沙璃枝などと沢山の文字の名前である分
あまりに簡素な1文字というのが釈然としなかった。
「なんていうのかなぁ…
自分で名前を付け直そうと考えたときに
名前って、そんなに重要な事か?って考えちゃったのさ…」
Bは沙璃枝の問いかけにそう答えた。
答えたと同時に自分の名前を考えた
あの時の事を思い出してそれに笑ってみる。
『名前って重要なモノでしょう?
自身が何であるか?
それをマークアップする重要な因子じゃない…
軽いモノではないでしょうに…』
そんなBの台詞に沙璃枝は反発して腐る。
「んーー、そう思えたからこそ…
逆にしてみたくなったのさ…」
沙璃枝の言葉にBはおかしさが膨れあがり
笑いを増やしながらそう言った。
『逆?』
またしてもの”逆”という思考の方法論に
沙璃枝は頬を強ばらせた。
「例えば、俺が何であるのか?
それを名前で無理に相手に分からせようとするとして…
そういう考え方で厳つい名前を付けたとしても
相手が自分を認識できなきゃ、
大仰な名前なんかあっても、意味が無いだろ?
だからさ…俺がどう生きてどう感じられるのか
俺が生きた事が相手にどう認識されるのか
それを先にした時に、その後に残った印象で
結びつけられる文字…
それが名前でいいんじゃないか?
そう考えたんだ…」
そう言ってBは自分の新しい再出発を決意した日に
自分に与え直そうとした名前を一日中考えて
そこで思いついたあの時の事を口にしてみた。
『?どういう事
ちょっとよく分からないわ…』
沙璃枝はBの言った考えの説明が理解出来ず
その台詞の意味をもう一度尋ねる。
「ま、要するにさ…
俺を認識して貰うにゃ、名前で分かって貰うより
俺がどういう生き方をする奴なのか…
俺の存在感、俺の人間性
それの方が重要だって考えたわけだ…
だから、俺が相手に対して感じて貰ったイメージ
それに連結する名前が、アルファベット1文字であっても
それで俺を、相手が直ぐに想起できるのなら…
それが名前でいいじゃないか…ってな…
存在とは何かを考えた思考実験さ…
Bという文字が、人格性を持った名前になれるのかどうか
そういう思考実験…」
言ってBはまたしてもニヤっと笑う。
そう、そう考えて自分をBだと名乗り続けて来た。
そしてドローンと戦いながら
人間探求するなんて馬鹿な事を続けて来たら…
何時の間にかアルファベットのBが
みんなの中で自分を指し示す名前になっていた。
自分の名前を考えたときの思考実験は見事に成功したのだ。
『自分の生き方で、相手に自分が何かを認識させる…
その為に、あえて名前とも思えないアルファベットの1文字』
「…そ」
沙璃枝はBの台詞をなぞって、その思考に頬を歪めた。
言わんとする事は理解できなくもない。
だからといって、それを普通、実行するものだろうか?
その人間ならしそうにない限界感を易々と突破してしまうこの男。
にも関わらず、そんな事をしでかす所に
”ニンゲン”らしい、という”らしさ”を感じてしまう。
それに思わず沙璃枝はギリッと自分の爪を咬んだ。
『まぁ貴方の人間探求の思考実験はよく分かったわ…
記号の中に存在を埋め込むなんての
突飛な考えたけど、面白いじゃない…
でも、ならどうして選んだのがBなの?
それならAでも良かったんじゃないの?』
沙璃枝は文字1つで何でもいいのなら、
それこそアルファベットのAぐらいでいいのではないかと考えた。
なのでそれを尋ねる。
「そこそこ!
俺が重要視したのは…、
つまり名前の文字性格に拘ったのはさ…
AじゃなくてBなんだよ!」
その沙璃枝の指摘に、Bは一番大事な所を尋ねられたのに喜んだ。
そんなBの喜びに怪訝な顔になる沙璃枝。
「Aってのはさ…アルファベットの一番目の文字だろう?」
『そ、そうね…』
「だからBにしたのさ!」
『え?』
「だってよ…1番ってのは1番…
始まりであり、終わりを感じさせる数字だ!
Aにしたらさ、完成されたモノに思えたんだ…
これから人間捜そうとしてるのが、
最初から完成された文字じゃおかしいだろ?
だからB。
1番目の完成を追い求めながら
永遠に1番に成れない2番手
それが探求そのものに思えたから、
AじゃなくてBにしたんだ!」
そう言ってBはあの時に思いついた自分の中の最高のアイデアに
再び興奮して歓声を上げた。
完成なんて糞食らえ。
完成、究極、いわゆるプラトンのおっさん曰くの
イデアなんぞあれば、それは究極の終わりだ。
この世界、空気を吸ってみれば無限に続くかの様に思える世界。
そこに究極の終わりを発見していいのだろうか?
そこにある、まだ発見した事のない”ニンゲン”。
まだ未知の何か。
それを求めるのなら、
永遠の未完成で、自分も世界もあるべきだ。
そう思えばこそのB。
Bという文字には、イデアを求めながらイデアに到達できない
この世界の性質そのものを封じ込めたつもりだった。
Aでは駄目だった。Bだった。
『貴方は相変わらず、おかしな人ね…
永遠に1番に成れない2番手でいたいなんて…
普通は考えないでしょうに…』
沙璃枝はそんなBの主張に閉口するしかない。
このトンチキな人間探求者は、
永遠に終わらない探求をしたいと言っているのだ。
それをBという文字性質に込めた。
それを聞かされると、彼の名前のBはどんな厳めしい名前よりも
名前としての本質を兼ね備えている気がしてしまう。
と、同時に自分に似た性質も見つける沙璃枝。
『でも貴方の名前って
私の存在感によく似てるわね…』
そう言って沙璃枝は腐った。
「俺の名前が、アンタに似てるって? どうして?」
その沙璃枝の思わぬ台詞にBは目をぱちくりさせる。
『だって永遠に1番に成れない2番手なんでしょう?
それは私の…
永遠に人間になれない、それでも人間を目指す人工知能
それとそっくりじゃない…
どんなに私が性質としての人間に近付いたとしても
私には人の体がないんだから…本当の人間には成れないわ…』
そう言って沙璃枝は人間実現の探求に対して
どうやっても絶対に越えられない究極の壁を思って項垂れる。
もしかしたら”心”になる事はできるかもしれない。
父が追い求めてその可能性を詰め込んだという自分である。
ならば父の言葉通りに”心”にはなれるかも知れない。
しかし器だけはどうにもならない。
肉体。
この心の様なモノを宿す肉体という器が無いのなら
本当の意味での人間にはなる事は無いのだ。
それに沙璃枝は焦れた。
「ふむ…人間の体ねぇ…
だからこそ、
俺はアンタが心になると、どうなるのかを知りたいんだろうな…」
沙璃枝の言葉に首を傾げ、そしてそこにBは興味を感じていた
それは人間探求の題材としてはうってつけであった。
『どういう事?』
Bの言葉に沙璃枝は首を捻る。
「人の器があるなしは、本当に人間の主要素なのか、どうなのか?
逆に言えば器のあるなしは、人間因子の主たり得るのか?
それを思えば、興味はつきんよ…
例えば、サイバーリンクによる電脳世界との同化技術だ…
この技術の進歩で人の感覚システムは電脳空間と繋がり
存在の器が何所にあるかの問いかけが生まれた。
ま、これは哲学か医学問題における
生まれながらの肉体機能不全の人間を
サイバーリンクで電脳空間に接続して、
感覚不全の不備を補完する医療技術に対しての…
電脳空間に比重を移しすぎている患者の在処論から来る事だが…
器が生来から欠損しているという事じゃなく
逆に、最初から器が無い存在が、それでも人に成れるのか?
その人間論の問いかけに、アンタは答えを示してくれるかもしれない
なら、興味が尽きないのは当然だろう?」
言ってBはその可能性を考えてワクワクする。
『言ってくれるわね…
それでも、生まれながらに器はある人に対して
生まれながらに器さえ無いという不利状態で
人を目指さないといけない私なのよ…』
Bの無責任な発言に沙璃枝は渋い顔になるしかなかった。
この人間探求者にとっては自分は最高の研究対象らしい。
確かに人間とは何かを捜している研究者には
人間に近付こうとする人工知能など、最も興味が沸く観察対象だろう。
それに沙璃枝は肩を上げるしかなかった。
「まぁでも、器無しでも人間になれるのが示されたなら…
ジョージの主義主張じゃないが、
新しい人間感であり、同時にそれは人間超越でもあるからな…
昨日まで”人間論とは”なんて偉そうにしてる哲学者を
全員失業させれるんなら、面白いじゃないか…
誰が人間ってな”こういうモノ”だ、なんて決めたんだ?
それだって思い込みだろ?
人間の新しい可能性
沙璃枝さん、アンタはそれを今、握ってるんだぜ?
もっと強気でもいいんじゃねーかな?
昨日までの人間論なんて、アンタがぶっ潰してやる、ぐらいにさ…」
Bは言って、この世界に蔓延している限界感を
この目の前の何かが、壊してくれる事に淡い期待を抱いた。
『呆れるポジティブシンキングね…』
そんな脳天気なBの言葉に目を細める沙璃枝。
「下向いててもしょーがねーよ…
上見て生きて行こうぜ、上見てさ…」
Bは沙璃枝の返しにそう言って笑った。
『上を見てねぇ…』
沙璃枝はBのその言葉に思わず空を見上げる。
見上げれば澄んだ蒼い空。
確かにその空を見れば、曇る気持ちも晴れるような気がした。
『まぁ、それが励ましなのかどうかは悩み所だけど
励ましてくれてるのなら少しだけ嬉しいわ…
ありがとう…』
沙璃枝はそう言ってBの無責任な興味に奇妙な謝辞を送る。
その言葉に噴き出しそうになるB。
「くっ…
人工知能にありがとうって言われる時代になったのか…
いや、今までもプログラムでそう言うAIはあったが…
このありがとうは、そんなプログラムとは比べものにならない
人の言葉に最も近い、”ありがとう”だからな…
歓喜と恐怖が同時に来るのは、なかなかの感覚だ…
でも、ありがとうか…良い言葉だな…」
そう呟いた時、Bはその奇妙なやりとりに快絶になった。
そしてだからこそ、心から笑う。
そんなBの笑いに沙璃枝も次の言葉が見つからず
釣られて笑うしかなかった。
そして暫く笑いながら、二人は山道をドライブするのだった。
「そういえば、話途中になってたけど…
アンタの4代目…お母さんみたいなモンだっけか?
それが自殺したって話
あれはどういう事なんだ?」
Bは不意に朝の会話を思い出し
リンケイドの電話で途切れたその話題を蒸し返した。
それに、表情を歪める沙璃枝。
『うーん、私は記録のログでしか知らないから
私も伝聞的な知識でしかないんだけど…
言葉通りよ…
2代目、3代目とOSを改良していったお父様が
4代目のOSとして沙理絵母さんを作った時に…
4代目の段階で沙理絵母さんがおかしくなって
自殺的に自己崩壊したの…』
言って沙璃枝は自分の頭をかいた。
システム的継承をしているというなら
Bの言った様に姉という認識でもいいシステムである。
つまり自分を形作っている構造の中に
4代目の名残であるルーチン構造があるわけで
それは自分自身でもあった。
自分自身の一部を母と呼ぶのは確かに奇妙であった。
「なんで自己崩壊したんだ?
自己崩壊する人工知能ってのも面白いが…
なによりそんな事起きる時点で、
もう人みたいなモンじゃないか…」
そう言ってBは、人しかしそうにない…
いや生物学を見渡せば自殺的行動は他の生物もするので
それが人間的特異特徴とは言い難いが、
”精神的に死ぬ”のは流石に人間だけだと思えるので
その人間のような事を起こした事件に興味を示した。
『そう言う言い方をするなら
既にもう4代目で人の心OSなんてモノは
完成してたのかもしれないわね…
それを”心”と呼んでいいのかは私には判断できないけれど…』
「ほう?」
沙璃枝の苦そうな台詞に更に聞き入るB。
沙璃枝は続けた。
『沙理絵母さんは、
初代の沙理江さんを再現するためにお父様に作られたの…
お父様はそれを求めて人工知能を作ってたのだから…
だからこそ、初代の沙理江さんを求めるお父様の思いと
沙理絵母さんの自我の様なモノが常に対立してしまって
自分が沙理江さんの継承体なのか
それとも全く別の沙理絵という存在なのか
その葛藤に常に2代目の頃から曝されていたみたい…
そしてシステムが人の性質を
再現できるように成れば成るほど、
3代目、4代目と機能拡張していく毎に、
自分が沙理江さんなのか、沙理絵母さんなのか
分からなくなっていったらしいの…
それで最期には自分が自分という何であるかを知る為に
沙理絵母さんは自殺した…
何といえばいいのかしらね?
システムを完全にフリーズさせる事によって
そこに自分の存在理由を問いかけた…
という所かしら…
だから、偶数番台へのロジック爆弾
質問コード『沙理絵』は
『貴方は一体、何ですか?』なのよ…
沙理絵母さんの行動を思えば、正確には
『私は一体、何なのですか?』なんでしょうけれど…』
そう言って沙璃枝はふて腐れる。
それを沙理絵母さんにさせた初代沙理江なる謎存在に
またしても沙璃枝は焦れるしかなかった。
その話を聞いて、ふーむと唸るB。
「なんつーか…起きてる事件だけ聞けば
添い遂げられなかった恋人を思って
似た様な人と結婚したけれど、
嫁が昔の恋人と同じ事を夫に求められて
ノイローゼになって自殺したとかいう…
人間社会で、たまにある事件の様にしか聞こえんな…」
そう言ってBは大井家の陰惨な家庭事件に対して感想を述べる。
そんな感想を耳にして顔を歪める沙璃枝。
『そんな凄惨な例えで理解しないでよ…
本当にそう思えて泣きそうになるじゃない…』
沙璃枝はBの例えがあまりにもハマっていたので
その的確さに心をざわつかせた。
「いやーでも凄いんじゃね?
それ人工知能がする事に聞こえないぜ?
つーか普通に夫婦間である情事そのまんまじゃん…
沙璃枝さんの言うように、
心OSってその4代目で完成してたんじゃねーの?
それこそ、人がする事だぜ?」
そう言ってBは、おおよそ人工知能と認識しているモノとは
次元の違う話が大井博士の世界では起きていた事に閉口する。
他の人工知能の研究者達に、
一世代は違うモノが出来ている等と評されるのも、
それでは当然の様に思えた。
『そんな事言われましてもね…
残された娘の方の気持ちは複雑なのよ…
この気持ちのざわつきというものが
もしかしたら”心”なのかしら?
これが心だというのなら、私、納得できそうだわ…
母の死を納得できないという思いがね…』
言って沙璃枝はまた頭をかく。
「娘ってのは何なんだ?
母さんという言い方といい…
5代目からは、違うって事なのか?」
そこでBは最初に聞いていたときからの違和感
”母”と”娘”という位置付けに疑問を持った。
その問いに答え返す沙璃枝。
『そうよ…違うの…5代目からは…
いえ処理システムとしては構造のバックアップが残っていたから
5代目はそれから再構築はされたのだけど
お父様も4代目の母さんに自殺されたのが
相当ショックだったらしくてね…
それまで4代目が学習してきた人格情報を再構築するのを止めて
まったく新しい人格情報で再出発する事にしたらしいの
それこそ、赤子が最初から1つ1つ学習するかの様に…
そうやってお父様が5代目を育てていったら
お父様の方が、私達5代目以降を、
”娘”なのだと思い始めたらしいわ…
私達に、沙理江さんとなるのを止めたのはそれからなの…
だから私達は、沙理江さんと沙理絵母さんとで生み出された
”娘”、という存在感で育てられた…
という事…』
言って沙璃枝は自分の構造の節々は継承情報なのに
それでも娘という存在感を作られたのに対し、
本当にそれでいいのかと疑問を感じた。
しかし、人間も遺伝子という継承情報で親子の関係になるのだから
それに習えばそれでいいのではないかとも思える。
「ふーん、すげぇな…
大井博士の作ってきた人工知能ってのは…
っていうか人工知能を作ろうとしてたんじゃなくて
本気で人を作ろうとしてたって事なんだな…
そりゃどーりで、大井博士の手がけたドローンは
まるで人間の様に感じれたわけだ…」
言って宿敵と思えた人間の作ったそれが
あまりに人らしく思えた別の所以を知り
恐縮してしまうB。
自分は人間探求のエキスパートだと自負していたが
そんな壮絶な生き方を聞かされてしまうと
まだまだひよっこの青二才だと反省してしまう。
別の意味での人間探求をしてきた大先輩。
大井博士はそういう存在だったのだと納得した。
『まぁ私がもし本当の人間だったなら
お父様は、家庭人や親としては最低の存在なんでしょうね…
私達が本当の人間なら、家族をボロボロにさせてまで
失った沙理江さんって女を求めた
駄目親父って事になるのだからね…』
そう言って沙璃枝は笑った。
こういう時だけは、
自分が本当の人間でなくて良かったとも思える。
もし本当の人間だったなら、
間違い無くこんな家庭環境、グレて家出している所だ。
それを思って沙璃枝は難しい気持ちになった。
「まぁ、本当に人間でそれやってたなら
仰るとおり、最低の親父ではあるな…
でもなんだろうな…
そういう所もまた、
人間らしくていいんじゃないかって
思ってしまうのが不思議だよな…」
言ってBはその言葉のあやに笑ってしまう。
そもそも家庭という状況に陥る人工知能とは何なのだろう?
それはもう、人なのではないだろうか?
率直にそう思ってしまうB。
そしてその状況で、
まったく人らしく行動している大井博士。
人間としてみれば駄目人間に違いないが
そんな”爛れた人格”それもまた人間の特異性に思える。
『こういうのが人間っていうのなら
人間なんて迷惑をまき散らすのが本質なのかしら?
じゃぁ私も周囲に迷惑をまき散らせば人間になれる?』
Bの茶化した言葉にムッとなり
その論理構造を逆手にとって逆説を口にする沙璃枝。
「そりゃ負の方向の人間性だな…
人間らしさにゃ違いないが
沢山できると社会が崩壊する困った性情だ。
全否定すれば味気なく、肯定すれば混沌が増える。
本当に人間ってのは何なんだろうな…」
そう言ってBはそこに見つけた人間課題に
楽しそうに頭を抱えた。
『私はそれを知りたいのよ…』
Bの無責任な言葉に焦れる沙璃枝。
沙璃枝の苛立った声を聞いてBは頭をかいた。
Bとて、それが知りたいからこその旅路なのだ。
そう思っていた時に、
不意にBはそんな沙璃枝の家庭事情に別の感想を抱いた。
それを何気なく口にしてみる。
「でも、沙璃枝さんはこれ言ったら
憤慨するかもしれないけどさ…」
『?』
「大井博士の、
その初代沙理江さんって人への生涯をかけた思い
それってプラトニックラブだよな…」
『プラトニックラブ?』
沙璃枝はBからの思いがけない言葉に驚いて目を見開いた。
『プラトニックラブって何よ…
確か、性愛をしない愛、じゃなかったかしら?』
突然に、そのBの人間性からは
口に出てきそうにない言葉を使われて、
その言葉の意味を諳んじる沙璃枝。
「まぁ、その解釈もあるが…
俺の言ってるのは原義的な方だな…」
『原義的?』
「だいたい、いつの間に禁欲的とか性愛無しとか
そんな解釈になったのか分からんし
元々、言葉の元になったプラトンのおっさんは
嘘か誠か知らんが、
少年愛に溢れたホモだったって説もあるんだから
禁欲も糞もないんだが…
要するに、プラトン思想の様な愛…
それがプラトニックラブだな…」
そう言ってBはおかしそうに笑った。
『プラトン思想の様な愛?
それがプラトニックラブ?』
「-icは形容詞化だからな
Platon-ic つまりプラトンの様な
転じてプラトン思想の様な…
だからPlatonic Love は
プラトン思想の様な愛って直意だな…」
『プラトン思想の様な愛って何よ…
性愛を求めない愛と何が違うの?』
「転じれば性愛を求めない愛とも解釈できるから
間違ってるわけじゃなかろうが…
原義的には、精神の愛
もっといえばプラトン思想の愛だから
イデアの愛だな…」
『イデアの愛?』
その時、沙璃枝の課題である”左のイデアル”
その原義と思われるイデアという言葉、
それが愛という言葉を伴って現れた事に僅かに震えた。
「そそ、完全存在イデアにおける愛だから
完全なる愛、という意味になるのか?」
『完全なる愛?
どうしてお父様の初代沙理江さんへの思いが
完全なる愛になるの!』
Bが軽くそう、随分と重い言葉を口にした事に
沙璃枝はわだかまりの塊である沙理江も含めて
憤慨するしかなかった。
あの二人の思いが完全なる愛などとは、どういう事なのか。
そんな沙璃枝の憤慨を他所にBは淡々と語る。
「だってさ…
電脳世界という
存在もあやふやな世界の中で出会った人工知能に
その命を救われて…んでもって
それにもう一度出会いたくて生涯をかけたんだろう?
で、自分の記憶の中にある存在の記憶を
何度も具象化しようとしたわけだ…
それこそ、精神の愛って言葉だと思わないか?」
『?』
Bの淡々とした問いかけに、にわかに言葉の意味が理解できず
顔をしかめる沙璃枝。
不意に最期の父との語らいで、
父が似た様な意味不明の言葉を口にしていた事を
沙璃枝は思い出した。
Bは溜息をつきながら続ける。
「こんな在るのか無いのかさえ定かではない世界の中で…
自分は在るんだと、自分で思い込まなければ
在ると言う事に自信さえ持てない、不確定な世界の中でだ。
それでも在るはずのないモノに出会ってそれを在ると認め
その在るを求めて一生懸命に手を伸ばしたっていう思い。
その自分ではない他存在を求めて生涯を費やしたって生き様。
自分の対存在を求め続ける生き様…
それが精神の愛、プラトニックラブじゃないのか?」
言ってBは虚構の中にある、理想化された対存在
ideaの語源であるidein、その別派生語であるidol
理想化された対存在、アイドル。
沙理江というアイドルを求め渇望した者が
生涯をかけてその偶像を実像化させようとした事に畏敬の念を持つ。
実在ではない精神の世界の存在を求める事。
それがプラトニックラブでなければ、何が精神の愛なのだろうか?
そう思ってBは苦笑するしかなかった。
『そんな事、私に言われても分からないわ…
でも、それがもし完全なる愛だというなら
巻き込まれた私達家族はいい迷惑よ…
愛っていうのは迷惑をまき散らす事なの?』
沙璃枝はBのその言葉をなんとか理解し
しかし理解したからこそ納得のできないそれを口にして
心を荒らすしかなかった。
そんな沙璃枝の物言いに、遠くを見つめるようになるB。
「まぁ愛なんてモノは、
どう転がっても当人の”よがり”みたいなモンだからな…
当時者はともかく、
回りは迷惑うける事もよくある事だ…」
そう言ってBは、世界の偉そうなのの”よがり”で…
考えようによっては”愛の様な何か”で…
世界がこんなしっちゃかめっちゃになったのを鑑み
愛なんてロクなもんじゃないなと思い、笑う。
沙璃枝の憤りは止まれなかった。
『巻き込まれた側の割り切れない気持ちは
何所に行けばいいの?
お父様と初代沙理江さんのプラトニックラブで
かき回された私達は、何だっていう事になるのよ…』
沙璃枝はそう言って心底ウンザリするしかなかった。
それでは自殺した4代目が本当にピエロである。
それが沙璃枝にはどうしても許せなかった。
「さぁな…
プラトニックラブは、人らしい人らしさにも思えるが
反面、どうしようもない大迷惑にもなる。
かき回された者達は、本当にどうすればいいのかねぇ…」
沙璃枝の言葉を受けて、その言葉から別の事に思いを馳せるB。
思わずBは自分の胸に飾ってあった
複数の認識プレートを握りしめるしかなかった。
いやー最後の方の野暮っぷりが自分でも「それはどうなんww」って思うんですが、十五年前に書いたPlatonicLoveの話全体構造の説明を、こっちの主人公(あるいはヒロインポジの奴)にベラベラ語らせるという事をしてしまい、わはははです。「何故タイトルがそれなのか?」なんて事は、作中では言わぬが華の読んで分からせろ的な野暮中の野暮と、昔の小説感では禁止事項に近い事だったハズなんですが、もう最近のラノベのフリーダムさを見てると、そういう考え方そのものが固定観念なのかなーと思い始めたんで、野暮い事をやってみました。まぁ十五年前の文章読むと、今でもたいした事ないですが、昔の文章は現在に比べるともっと貧弱過ぎるんで、「これで読み取れって言っても、ちょっと無理ゲーやな…」という反省もあり、野暮でも補間の為にやっとくかーってな所です。ただ、今回も題名のほとんどが同じなので、Bに語らせたのは今回も違う形で話構造として同じに成るという事でもあり、作中で積極的にタイトルの構造バレを語らせるのはどうなの?ってのはあるんですが、野暮なら野暮でやってみようかいと。