ジーンの報告
日が落ち、王宮も皆が寝静まった夜分、ジーンは月明かりを頼りに離宮を抜け、第2皇子の元へ向かっていた。
離宮に来たばかりの頃のジーンは、離宮において唯一の剣の使い手である自分がこうも簡単持ち場を離れていいものかと首を傾げていた。主人にそれとなく言ってみたところ、離宮とはいえあくまで王宮内の離れという位置付けの宮。ジーン一人が抜けたところで特段問題はないとのこと。それ以来ジーンも後ろ髪引かれることなく度々夜分に離宮を抜け出している。と言っても彼のことを呼び出しているのは件の主人であるのだが。
この国には3人の皇子がいる。王位第一継承者の第2皇子ユーグ。その下に第3皇子のユクス。そして離宮に住まう第4皇子のロクスだ。現在彼らの父である国王は病に臥せっていて、ユーグが摂政という形で政を行なっている。つまり離宮は第2皇子の管轄下にあるのである。
長い長い回廊を歩き、いつも皇子と落ち合う時の決まりの部屋に着いた。
「…申し訳ありません、遅くなりました。」
そこには既に第2皇子ユーグの姿があった。
「遅いよ。もう陽が上がって来るんじゃないかと思ったくらい。」
ここは王宮内の図書室で、王宮勤めの者に解放されている唯一の書庫である。そんなだだっ広い部屋の真ん中あたりに皇子はつまらなさそうに頬杖をつきていた。
「それはそれは、大変失礼しました。いかなる処分でも」
「お前、本当返しが上手くなったね。つまらないったらありゃしない。」
「お褒めに預かり光栄です。」
ユーグがどんな言葉をかけようと、ジーンは人当たりの良い笑みを浮かべ、にこにこするばかりなので、ユーグの眉間のシワは深くなる一方であった。
そして諦めたかのように長い溜息をついて、ユーグは本題へと入った。
「茶番はこの辺りにして、早く戻らないとリリアンとの約束に間に合いそうにないんだ。それで、近況は?エリー嬢の18?あ、20ってなってるのか。の誕生日があったじゃない。」
「…かしこまりました。ではそれも含め報告したしますね。というかエリー様の誕生日、もう半年も前ですけど。」
不気味なくらいにこにこしていたジーンの顔が一瞬強張った。しかしそれがまるで幻でもあるかのように、一瞬にして元の表情に戻り報告を始めた。
「エリー嬢の方に特に変化はないかと思います。ロクスさまの良い師でいらっしゃろうとしています。ロクスさまは……」
ジーンが言葉を詰まらすと、それまでつまらなさそうにしていたユーグはニヤリと口角を上げた。
「知りたがっているんでしょ?」
ジーンは知っていた。
この食えない態度の皇子は、やはり王位継承者。次期国王なのだ。きっとエリーやロクス、いや自分やアンでさえ、彼の手のひらで踊らされているのだと。
付き合いの長いジーンですら、その意図を計り知ることはできなかった。
「いいよロクスももう15になるのだし、今度君に何か縋ってきたらこれをあげるといいよ。」
そう言いながらユーグは一冊の本をジーンに渡した。
「これ、は……」
「君のことだからきっともう言ったんだろうけど、」
目の前のこばかり気を取られていたら、より大きな大切なことを見落としてしまうんだよ。
「さぁ、今宵は御開きとしよう。愛しのリリアンが待っているからね。」
「……そんなことリリアン殿に言ったらブン殴られますよ。」
主人が去って一人きりになった部屋の真ん中で、ジーンは手元の本から視線が外せずにいた。
ーー『原訳経典』