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2.

 12月23日、22時23分。

 薄暗いその一室は、寝台の軋みと男女の息遣いとに満たされていた。本能のままに求め合い、交わり合う折の甘い音である。

 やがて低く押し殺しされていた喘ぎが高まり、切迫した短い呼吸へと変わっていく。一層に激しさを増した行為の気配が一際に高まり、そして途切れた。部屋に気だるい静寂が落ちる。


「ねー、かっつん」

「んー?」


 しばし行為の余韻に浸った後、女の声が恋人を呼んだ。

 

「明日ってさ、大丈夫になったの?」

「勿論。バイトも休みにしたし、一日一緒に居られるぜ。とっておきのデートプラン練ってあるから楽しみにしとけって」

「ほんと? うれしー!」


 女の声に()びが滲む。殊更な演技だった。

 ただし誤解の無いように注釈しておくべきだろう。彼女が彼を好いていないわけでは、決してない。

 だが付き合い始めて半年。二人の間に()れが顔を出し始めていた。

 恋の初々しさは薄れ、瑞々しさは枯れ、しかし愛が確立されるにはまだ未熟な関係である。そこここですれ違いと(ほころ)びが生じ始め、心の隙間を肌を重ねる事で埋め合わせる。そういう頃合であった。

 彼女の過剰なまでの愛情アピールも、お互いが愛し合っているのだと確認する儀式を欠かせなくなってきているが故だった。

 そんな二人だからこそ、クリスマスというイベントを一際(ひときわ)に強く意識していたとも言える。


「クミみたいな可愛い子と一緒にクリスマスイヴを過ごせるなんて最高だろ。勝ち組としか言いようがないって。独り身とかマジ死にたくなるし」

「だよねー! あたしもかっつんといられてちょー幸せだよ」


 自分たちの幸福を本物と信じたいからこそする、安易なレッテル貼りであった。「幸せ」と世間が言う行動をしているから、できているから「幸せ」。

 そういう薄っぺらな張り紙である。

 最前の演技と同じく見え透いて安い世辞だったが、好いた相手が口にするならば、互いに悪い気はしなかった。

 お互いの幸福を確かめ合ったところで安心したのか、かっつんは続けて、


「ところで、もう一回いい?」


 裸の肩を抱き寄せながらそう言った。

 最悪である。

 情緒もへったくれもない、まさに狎れによる仕業であった。おまけに訊きながら手は既に、クミの胸元をまさぐっている。

 もう一度言っておこう。最悪である。


 ──かっつんが好きなのって、あたしのカラダだけなのかな。


 思いつつもクミが、流されるままに応じようとした、その時だった。


 壁に、穴が(ひら)いた。

 二人のいるベッドの側の壁に生じたその穴はするすると大きさを増し、忽ち1メートル直径ほどにまで広がっていく。

 音もなく生じたそれは、無論物理法則下の存在ではありえない。

 確かに穴、ぽっかりと何もない空間と観じられ、感じられるのに、しかしその向こう側の様子はまったく窺い知れない。まるで星のない夜の色のように、ただ暗く黒いばかりである。

 ぱっくりと大きく口を開くが如きその様は、深く見透かせない湖面を、或いは何故か煙突の入口を連想させた。


「な、なんだこれ……?」


 呆然としていたかっつんが我に返った。

 膝立ちになり、そろそろと穴に近づく。


「危ないってば! よしなって!」


 クミがその腕を引き戻したのと、穴からぬっと赤い腕が突き出たのとはほぼ同時であった。かっつんは、危うく大きく太い手のひらに頭を鷲掴みにされるのを免れた格好になる。

 悲鳴も出せずに口をぱくつかせる二人の前で、腕は空振りした指を幾度か繰り返し動かす。そして現れた時と同じように、穴の中へと一旦沈んだ。

 けれどそれで終わりではなかった。次に穴から突き出したのは、冗談のように赤く可愛らしいサンタ帽である。

 無論、出現するのは帽子だけに留まらない。

 頭が、首が、胸、腕が。穴をくぐり抜け部屋に侵入を果たしてゆく。みしり、サンタさんの巨躯の重量を受けたベッドが軋んだ。

 世に曰く「サンタクロースは煙突からやってくる」。

 あらゆる場所、あらゆる箇所に煙突(エントランス)を発生させる、それは48の聖人技のひとつであった。


 極東の島国に飛来したサンタさんが最優先攻撃目標としたのは、風紀風俗を乱す恋人たちである。

 などと記せば私怨を疑われるやもしれないが、真実ゆえに致し方ない。

 彼の標的は全トナ連の事前調査書と77の推論及び91の観測的根拠から定められた厳粛にして神聖なものであり、決して作者の(ひが)(そね)みより発したものではないのだ。

 (しこう)して二輪を爆走させてきた彼が、色欲罪(しきよくざい)の匂いを感知して早速に駆けつけたのがここであった。かっつんとクミにとっては、実に不幸な話である。

 じろり、と。

 サンタさんの目が二人を見据えた。

 聖人の視線が視線が時間素と記憶粒子をたちどころに読み取り、両名の個人史を(つまび)らかにする。

 その子の今年一年が、良い子であったか悪い子であったかを判定する折に用られる、48の聖人技の応用であった。ちなみにサンタさんは子供に甘いので、これがあまり厳正に適用された(ため)しはない。

 だが眼前の二人は大人であり、果たしてサンタさんの額には深く深く皺が寄った。

 この二名に婚姻関係なし。即ち姦淫である。


「て、てめぇなんだよ!? 頭おかしいんじゃねぇか、このコスプレ野郎!」


 素裸につき威厳は薄かったが、それでもかっつんは意地を見せた。

 彼女を背なに庇って立ちはだかり、サンタさんの顔面めがけて拳を繰り出す。

 これに対して、サンタさんの左前腕が旋回した。下から円運動で跳ね上がり、外に弾く軌道で打撃を払い()ける。同時に深く重心を落とし、握りこんだ右拳を腰に溜めた。

 わずかな呼気と共に打ち出された正拳は、しかしかっつんの耳横をぎりぎり掠めるに留まった。それでも風圧だけで頭髪の十数本を引きちぎっている。大筒の如くの恐るべき威であった。

 勿論、サンタさん一撃を(かわ)したのは、かっつんの手柄ではない。クミが再びその身を突き飛ばし、恋人を守ったのである。見事な反射神経で、余談ながら、彼女の特技はもぐら叩きであった。

 次いでクミはサンタさんの膝にしがみつくと、


「逃げて! 早く逃げて!」


 今の一撃で、サンタさんの狙いがかっつんにあると考えたのだろう。必死の形相でそう叫ぶ。

 それを見下ろすサンタさんの目が、優しく細められた。巌のような顔が如何にも好々爺といった風情になる。

 合格であった。

 彼女は淫蕩に身を落とすも、心まで堕してはいない。他者の身を案じ、また守ろうとする良心がある。それはかの善き人と同じ、素晴らしい心の有り様であった。


君に聖夜の祝福あれ(メリークリスマス)


 錆びたいい声と共に、とん、と太い人差し指が女の額に触れる。

 クミは一瞬目を見開き、そして糸が切れたようにくずおれた。当然ながら、命に別条はない。彼女は赤子のように無垢な寝顔で、安らかな寝息を立てている。

 サンタさんはその体を抱き上げると、子供にするようにそっとベッドに寝かしつけた。明日まできっと幸福な夢を見る事だろう。


 それからサンタさんは背後を見やった。

 ぞろりとした、怖い目であった。

 視線の先では開け放たれたアパートの扉が揺れている。その更に先に、かっつんの背中が見えた。恋人を置き去りに、自分だけは助かろうと一目散に逃げていく背中であった。

 最早容赦はならぬ。サンタさんの拳が握り締められる。

 天井に煙突を開くや、サンタさんは大きく跳躍。屋根の上へと飛び出して、かっつんの移動経路を見定めたその後に再跳躍。山高の軌道を描いた後、ずしんと重い地響きで彼の眼前へと降り立った。

 行く手を塞がれたかっつんにとって、これは巨大な壁がいきなり降ってきたのと遜色がない。

 赤い帽子、赤い服、赤いズボン。白くやわらかなふち取りをされつつも、月光に冴え冴えと照らされたその紅は、まるで不吉な血の色のようであった。


「お、お前!」

君に聖夜の(メリィィィィィィィ)──」


 かっつんが悲鳴じみた怒りの声を上げる。が、サンタさんは頓着しない。

 少しばかり痛い目を見せて反省を促す。最前の部屋での拳は、そうした意図による戯れのものであった。だが此度は違う。根底から異なる。

 弓を引き絞るように、ぎりぎりと腕が捻られた。

 上腕の筋肉が、服の上からはっきりとわかるほどに膨れ上がった。

 三千世界の悪竜、その悉くを打ち殺したと言われるニコラウスの不朽聖拳。これはその発動の構えであった。


「──祝福あれ(クリスマス)!」


 重心の移動と踏み込みで発生した力の螺旋が、腰、肩、肘、手首の回転により増幅され、拳へと爆縮される。その一撃と同時に、パイプオルガンのものに似た、荘厳な和音が響き渡った。サンタさんの生んだ衝撃波が発生させたものである。

 収束された聖気が余波として、オーロラめいた光を周囲に振りまく。

 しかし。

 サンタさんの一撃は、またしてもかっつんには届かなかった。


「まあまあ」


 爆弾の如き一撃の威を両手のひらで包み込んで受け止めて、そう言った者がある。イントネーションの適当な、地元民にはおそらくイラっとされるタイプの似非方言であった。


「そう怒らんでも、ええじゃないか」


 それは、一人の青年と見えた。

 糸のように細い目。仏様のような額の黒子。福福しい耳たぶ。結んだ口をむにゅにゅと動かし、全体的にお人好しめいた空気を漂わせる容貌をしていた。

 紺のジーンズに白いシャツ、その上にジージャンを羽織るという出で立ちは、ひと昔、ふた昔前の、どこにでもいそうな青年像に(たが)わない。

 だがサンタさんの目は彼が只者ならぬ事を、途方もない神威(しんい)を備えている事を看破していた。

 まさしく、その慧眼の如くである。

 逆さにしたって特別に見えないこの御方こそ、ええじゃないか様。

 八百万(やおよろず)の神が御座(おわ)す日本において、最強の神格であった。

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