1.
その部屋には、熱気と汗の臭いとが充満していた。
ダンベルや縄跳びに用いるジャンプロープといった基礎的なものから、ルームランナー、エアロバイク等の近代的なものまでが取り揃えられたここは、しかしトレーニングジムの一室などではない。
一人の男がただひとつの目的の為に作り上げた、個人の手による個人の為の鍛錬場であった。
今も黙々とベンチプレスに励むその男は、ひどく年老いて見えた。
巌のような顔をしていたが、しかしその皺に埋もれた両目は優しげである。長く白いヒゲは、ハードワークの最中にも関わらず、子供が思わず手を伸ばしそうにふんわりと、やわらかさを保ったままだった。
だが剥き出しの上半身を鎧う筋肉は、さながらうねる針金を叩き込んだようであり、到底老人のものとは思えぬ代物である。
風雨に吹き晒された岩石が、時に厳しさと穏やかさを同居させた相を作り上げるように。彼の体もまた一個の自然石の如く、ごろりとした天然の風格を備えるに至っていた。
やがて規則正しい呼吸と軋みが止まり、老人はベンチから体を起こす。
全身から流れる汗を拭いもせず、鍛錬場の中央に跪くと十字を切り、手を組んで短く祈る。これは約8時間に及ぶトレーニング終了の儀式であった。
しかし祈りを終えるなり、彼は再び柔軟体操を開始する。クールダウンの為では無論ない。
今しがた終了したのは、本日の1セット目であった。
父の御名において8時間。子の御名において8時間。聖霊の御名において8時間。
1日に24時間、年に364日の鍛錬という、食事も睡眠も必要としない超弩級聖人の肉体にしか成し得ぬ御業を淡々とこなすこの男の名はサンタクロース。
ミスタークリスマスと称して差し支えない降誕祭の代名詞。この人がいなければ聖夜は成り立たない、クリスマスと言えばこの人な超有名人である。適当に「ここでいいんじゃね?」と決められた日取りとはいえ、仮にも自分の誕生日の主役をかっ攫われるとかイエっさんマジ哀れ。
彼のその筋肉は一晩、たった一晩で世界中の子供たちに愛とプレゼントとを贈り届けるという不可能に近い難事を遂行すべく鍛え抜かれる鋼であり、なればこそ、彼はこの日課に些かの苦も感じない。
──はずであった。
嗚呼、しかし何ゆえか。
ストレッチを終え、ルームランナーで疾走を開始した彼の顔には、深い懊悩が刻まれていた。
不純である。
或いは救いを求め、或いは願いを込めた祈りが、純然なる信仰たりえぬように。
鍛錬とはただ肉体を鍛える事のみに集中して行われるべきものである。己の利得を請う汚れた祈りを涜神と呼ぶならば、これは筋肉への冒涜と言えた。
斯様までに聖人たるサンタさんを苦悩せしめるもの。
その正体は、昨今のクリスマスに見られる風紀の乱れであった。
生誕祭は多くの人々にとって祝うべき日だ。しかし元来、それは家族と共に祝うべき日なのである。しかしこの風習を都合良く魔改造した国が存る。それを恋人たちにとっての特別な日だとした国が、世には存在しているのだ。
その国の名は日本。実にアレな東洋の島国である。
何がそんなにアレであるのか、いくつか例を挙げよう。
まず殆どの国民が、寺に自家の墓を持つ。どう見ても仏教徒である。
けれど国の象徴たるエンペラーは神道系なのだ。しかしこのエンペラーは時に出家する。役職を辞してからの事だとは言うが、一体どういう始末であろうか。
また日本には仏壇や神棚を備える家は数多い。そして彼ら日本人は、儀式として初詣を欠かさない。
ならば仏教、神道への信心が深い民族なのであろうと思いきや、彼らは灌仏会を祝わない。万聖節は無視してハロウィンだけを浮かれ騒ぎ、そしてクリスマスのイヴばかりに深く執心する。
つまるところ、いずれへの信仰もひどく薄いのだ。どれも当座のおざなりとしてしか扱わず、であるからこそ自分たちの気に入ったものだけを祝い、浮かれ、騒ぐ。
持戒は驢となり破戒は人となるの言いもあるが、これはひどい。アドリブが効きすぎている。
サンタさんに言わせれば、さながら混沌の坩堝である。
ではかの国の人々の、真の関心事とは何たるか。
それは食と性だ。
これも例を挙げよう。
毒素の塊であるフグの卵巣を年単位で塩と糟に漬けて食す。確かに美味であるとはいうが、一体何が彼らをそこまで駆り立てるのか。
これはまだいい方で、より謎が深いのはこんにゃく芋である。法的に劇物として指定されるような毒素を備える植物を、栄養価もロクにない状態にしてまで何故食そうとするのか。
また後者、性欲については、「蛸と海女」の変態性を取り沙汰するまでもあるまい。悪魔の魚を春画に用いる発想からして既に悪魔的である。
更に彼らは山川草木のみならず、人工物、人造物までもの一切を可愛らしく女性化させる事へ貪欲だ。化け猫遊女だの傾城水滸伝だのだのと古くからその片鱗は見せていたものの、今現在においてそれは最も顕著な特徴である。
サンタ服で画像検索するとミニスカートの婦女子が多数ヒットするという事実は、サンタさんにとって頭痛の種に他ならない。
まったく彼らは何もかもを貪欲に自らの好みに変化させ変成させ仕立て上げる民族であり、実に何考えてんだかわからん国であった。
しかもこの異常な改造能力、不可思議な情熱と行動理念を彼らは萌えと呼び自ら称揚する。まさしく|東洋の神秘《Mystery of East》としか形容のしようがなかった。
しかし、である。
サンタさんは聖人であるからして、このように到底理解の及ばぬ島国に対しても、理解できぬから悪であると決めつけはしない。
それでも眉を顰めるのは、前述のようにその性風俗の乱れ甚だしきが故である。
──汝、姦淫するなかれ。
十戒にもあるこの一文を、それは甚だしく裏切っている。
特にクリスマス。聖夜の名を冠したこの日、かの国の人々のリビドーは頂点に達して貪婪となる。
全トナ連──全国トナカイ連盟の野党から「サンタクロースは商業主義に堕した」との突き上げも厳しいのが昨今の風潮であり、そうした悪習を文化の違いとして放置するのはやや困難な情勢となりつつあった。
だがここで、再び「しかし」である。
「クリスマスは家族で過ごせ。家族と過ごせ。外でも内でもいちゃつくんじゃねぇ。恋人たちの聖夜とか馬鹿じゃねぇの? カップルは皆爆ぜて散れ! クリスマスは中止!」
などとは、ミスタークリスマスであっても容易く口に出せるものではない。
何でだよ言えよサンタさん、言っちまえよ。ついでに幸せそうなカップルを片っ端から爆殺しようぜ。
そう思う向きもあるかもしれないが、既にかの国において「クリスマスは恋人と過ごす日」という認識は常識として承認されつつある。
「こういうものだ」という無意識下の思い込み、それは強い信仰と同一のベクトルを持つ。サンタさんとて容易に否定してはならぬ、人のこころの動きなのである。
正すべきか、正さざるべきか。
その懊悩がここ数年、サンタさんの額の皺を増やし続けてきた。
だが、今日。
3セット目の33km地点を走破したその時、サンタさんにひとつの啓示が囁かれた。
──汝、善を施すを恐るるなかれ。
「え、それランナーズハイじゃねぇの?」とか言ってはならない。決してならない。
而してサンタさんは、例年よりも早くサンタ服に身を包んだ。
黒のブーツを履き、白で縁どられた紅の衣装に袖を通す。ぴしりと黒ベルトを巻いてぼんてんのついた帽子を被れば、そこに出来上がったのは実に福々しく丸い、人の良さげな好々爺。誰もが知る出で立ち、誰もがイメージするサンタさんの姿である。鍛え抜いた筋肉の気配は欠片もない。
式典においては正装し、竜に対しては武装するように。その場その時に相応しい装いというものがある。それに合わせての印象操作は、48の聖人技の初歩であった。
トレーニングルームを出るとサンタさんは車庫に向かい、トナカイは呼ばずにバイクに跨った。乗り回す機会の少ない彼の愛車は、ハーレーダビットソンを職人にカスタマイズさせた逸品である。
キック一発でエンジンが唸りを上げ、嘶きめいた排気音と共に、猛加速した二輪は宙へと舞い上がる。ソリで夜空を翔けるのと同じ要領で、つまりはこれも48の聖人技のひとつだった。
轟音に気づいたトナカイと休暇中の騎士ニルス・オーラヴ氏が何事かと顔を出したが、もう遅い。呆然と空を仰ぐしかできない。
それが降誕祭前夜直前の出来事であった。