はじける
『お題 ラムネ・花火・ツンデレ』
シューと音が噴出すのと同時に、手にした棒の先から火花が飛び出した。
少し臭う、独特の香り。次々と変わる色合いに、少しずつ興奮を覚えるのは人間の習性なのだろうか。
隣からまた白っぽい煙が漂ってきて、それに少し咽ながら、深月は特段表情を変えることなく、けれど仄かに口角を上げて手元をジッと見つめていた。
「ほら、こっちもあるぞ」
「えー。それ超地味じゃん。もっと派手なのないのぉ?」
「はーい、俺打ち上げやりたーい!」
「お前らな。好き勝手言い過ぎ」
べし、べし、と小さな音が聞こえそうな。そんな感じで先生が彼らの頭を叩く音が深月の後ろから聞こえた。振り返らなくとも、いつも通りだろう光景を頭に思い描くと、変わらない日常に微笑ましさ半分、羨ましさ半分の感情が深月の中に込み上げてきた。
――私だって、もっと……
秘めた想いを抱えたまま、隠し続けてここまで来た。けれど、いつまでもこの想いを伏せていることが苦痛でもあった。
好きです。
想いを伝えることは簡単だ。けれど、それから失うものを考えると怖い。
そしていつも深月は思うのだ。どうして私が好きな人は、先生なんだろう。どうして私は生徒なんだろう――と。
例に漏れずとでも言うべきか、大人し目グループに属する深月が次に手に入れたのは線香花火だった。情緒やらなにやら、たしかに綺麗でもあるし嫌いではないけれど、あまりにも控えめに光る小さな玉が、深月そのもののように感じられていたたまれない。
想いを閉じ込めたまま、ひたすら気持ちが弾けてしまわないようにと燻ぶっているかのような、小さく弾けるその光景が。
コツン
物思いに沈み、しゃがみ込む足先が泥濘に沈むのと同調するかのように気持ちがめり込んでいたら、頭上に冷たく硬い何かが乗せられて、深月はたまらず、ひゃあっ、と小さく叫んだ。
「ふーじさき。ほい、お前の」
「え……」
何かが乗せられた位置へと深月が視線を上げていくと、夜空の中心いっぱいに先生の顔が広がって後ろへ倒れそうになった。
「あ、わ、わ……っ」
「うわ、藤咲っ!」
咄嗟に差し伸ばされた手を掴もうと、深月も同じ速度で手を伸ばした。けれどその手はあっけなくすり抜けて、先生の横腹の側を過ぎていく。
もうダメ、そう覚悟してキュッと目をつぶった瞬間、それと同時に顔が何かに押し付けられて、深月はパッと目を見開いた。
「っぶね。藤咲しっかりしろよ」
「せ、んせ……!?」
少し引き上げられた身体は少し浮いていて、長い間しゃがみこんでいた足がカクカクと震えた。後頭部から引き寄せられ、なぜか今、抱きしめられるように左手が腰に回されている。生徒である自分が、なぜこのようなことになっているのかと思うのに、胸に押し付けられた鼻先から先生の香りがして深月の思考が鈍る。
しかしその鈍った思考が定まるよりも先に、ひょいと腕が引き上げられると、体勢が整えられてあっという間に先生の手は離れていた。
「意外と抜けてるんだよな、藤咲は」
そう言ってから、はい、と先ほど頭上に乗せられたモノが差し出された。月明かりがそこに斜めに差し込んで、中のビー玉がきらりと光る。
「ソー、ダ……ですか?」
「山中んちのおばあさんの差し入れだってさ」
「商店街の?」
尋ねると、コクリと頷かれて深月は差し出されたソーダを手に取った。ラベルに「ラムネ」の文字だけが書かれた、そっけない商品だ。しかしこれが昔懐かしさを醸し出していて、学校近くにある商店街では人気だと言う。
「文化祭、お疲れさん、とありがとうだって。藤咲も、よくやったな」
先生は深月に手を伸ばすと、ぽんぽんと肩を2回叩いてから、手が離れた。すっと身体をひくのが見て取れて、深月は何か言わなければともどかしくなる。
先生が――神野が、生徒会役員のサポートだと知って、興味もないのに深月は文化祭実行委員を引き受けた。正直に言って、目立つのはあまり得意ではない。けれど、少しだけでも近づけたらいいな、とそう思えば、このチャンスを逃したくないと思っていた。
深月の通う学校の文化祭は、例年地域密着を主としていて、PTA主催のバザーは勿論、別枠で商店街からの出店などの許可も出ていた。
文化祭を通して、地域にある商店にも目を向けてもらう意図をも含んだ企みでもある。その代りとして、とでもいうべきか。後夜祭などの花火や、ラムネといったものが生徒たちに向けて奉仕されていた。
深月は右手にラムネを、左手には火花の落ちた線香花火をぎゅっと握りしめて、先生を見あげた。
柔らかい輪郭に、少し細いけれど、温かさを十分に滲ませた瞳。染めたのでは、といつも疑惑を掛けられる頭髪は地毛で、少し茶色くて陽の光に当たると金に光って見えるほどだ。
大笑いしたり、大声で怒鳴ったり、そんなことはしない。物静かそうだけれど、先生なりに温かな気持ちで一人一人を見つめてくれていて、大事に想ってくれていることを深月は感じているし、知っている。
でも、知れば知るほど、先生の好きなところが見つかれば見つかるほど、もっと知ってほしいと欲が出た。
願わくば、もっと近づきたい――と。
……ねぇ、もっと私だけを見て。
「あの、せんせっ。神野先生!」
「ん?」
慌てて呼びかけ、短い距離を小走りで走り寄ってきた深月に首を傾げて、神野は立ち止まった。止まってくれたことに安堵して、しかし何を言えばいいのかともどかしくなりながら深月が目線を下に下すと、神野の手が目に止まった。
何事もなかったかのように離れたけれど、深月はまだ、あの手に、あの腕に支えられた感触も、温もりも……香りも忘れていない。
「あの、あのね。先生、私――」
もどかしくも、何か言葉を紡ごうと深月がした瞬間。
ヒュー、バンバンバンバン、シュワ――
激しい音と光が爆発して、これでラストだー! と叫ぶ男子生徒の声がした。
全員の視線が、声のする方向へと向けられて、釘づけになる。
「あ……」
こぼれ出そうになった想いがどろりと落ちかけて、それをなんとか深月は拾った。勢いで吐き出しそうになっていたけれど、これは心から弾けだしてはいけない言葉だ。花火の火薬玉が弾けるのとはわけが違う。これは、弾けてしまってはいけない。不発弾になるべきものなのだ。
そう気づいたら、呼び止めてしまった先生に何を言えばいいのかと、半開きのまま固まった唇が動かない。
「どうした?」
ふわり。そんな音が聞こえて来そうな、優しい声音が落ちてきて深月は顔を顰めた。
その優しい顔が、声が、生徒へ向けて送られているものだと、はっきりと分かって苛立つのだ。いっそ残酷なまでに、生々しい感情でも見せつけてくれれば、深月は喜んだのかもしれないのに。
「え――っと。その、先生が」
「俺?」
「セクハラだと思うんです」
「は?」
思ってもみない言葉が、ぽろぽろと口からこぼれ出て、深月は自分自身が一番困惑する。けれど、それを止めるものが何なくて……それでいて、自分でもどうしようもなくなって、ついて出てきた言葉が抑えられなくなった。
「抱きしめたりとかっ。そーゆーのっ、反則……で、す」
先ほどのあの一瞬。
包まれた腕の中は、初めてのことで心臓がバクバクして止まらなかった。それでいて、先生の匂いも鼓動も、深月に安らぎを与えるばかりで居心地が良かった。
だから――だから深月は、やめてくれと思った。
ここから抜け出せなくなったら、どうしてくれるんだ、と。
「はははっ、あー……そうか。すまん、悪かった」
尻すぼみの言葉に呆気にとられた後、先生は苦いような、笑い飛ばすような曖昧な表情で深月の言葉を受け止めた。それがまた、深月を相手にしていないとでも言っているようで、勝手に落ち込んでしまう。もう、何をとっても深月には先生の言葉は嬉しくて、でもそれと同時に苦くて不快でもあった。
そろりと深月が顔を上げると、深月の瞳に先生の顔が映り込んだ。
その顔は、お前そんなこと思ってないだろ、とでも言っているようで、深月は余計に悲しくなる。
そんなことが分かるのなら、どうして私の気持ちもわかってくれないの、と我儘すぎる気持ちが過るからだ。
「先生」
「なんだ?」
「私。ラムネ、あのラムネだけど!」
「あ、あぁ」
「すごく。すごく、好き。だから、だからっ」
一生懸命、無理矢理取ってつけた枕言葉を乗せて、好き、の二文字を付け加えた。
あくまでこれはラムネのこと、そう思うのに飛び出た言葉にまたも自分が驚いて、深月の頬は熱くなった。その赤さが、いっそ花火の明かりのせいだと映ればいいのに、と祈りながら先生を見上げると、瞳が重なる前に、ボスンと額に大きな手のひらが乗った。
「ひゃ……っ」
「そりゃ、良かったな」
「うぁ。…………はい」
サラサラと、前髪の辺りを先生の手が撫でつける。それだけで、熱過ぎる顔がさらに熱くなっていくのに、止まらない。たった数度、左右へとその手が動いたのは2,3回のことだ。
それでも深月には、堪らなく長い時間だった。数分前の、肩をトントンと叩かれたのとはまるで違って、その違いになぜか涙が出そうになった。
こんなに好き。
触れてもらえるだけで幸せ。
私だけを見て、私のことだけを考えてくれてるんだろう――この一瞬が、堪らなく嬉しくて愛しい。
しかし、そう想う深月とは裏腹に呆気なくまた神野の手が離れると同じタイミングで、神野を呼ぶ声が聞こえてきた。
もう、深月の時間は終わり。先生はみんなのもの、とでも叫ばれているような気がして、先ほどの温かな気持ちが、瞬間にぺちゃんこに潰された。
「藤咲。後で本部行けよ」
「あ、え?」
「本部だ本部。じゃ、またな」
呆然としている深月にそれだけ言い置いて、先生は本当に去ってしまった。
けれど、そんな感傷に浸る間もなく、文化祭実行委員を呼び出すアナウンスが全校に響く。花火が全て終わり、最後の片付け作業をするためだ。
深月の片手に握ったままラムネは、開栓されずに瓶の中で気泡を上げている。それを見て甘いような苦いような気持ちを噛みしめてから、ブスッと音をたててビー玉を瓶の中へ落とし込んだ。
途端に、中で沸々と浮いていただけの気泡が、瓶から弾け出てしゅわしゅわと音までつけて飛び出してきた。
押し込めていたからこそ、飛び出た時の勢いは激しいのだろうか。そう考えれば、花火と同じかもしれない。じゃあ、人の気持ちは……?
なんてことを考えて、ふっと笑いが込み上げた。
「あーあ。手がびしょびしょだ」
神野が持って来る道中で振ったのか。はたまた渡された時点で振られていたのか。予想以上に弾けて飛び出した泡が深月の手を濡らしていく。本当ならすぐに委員の呼び出しに応じなければならないのに、このままでは飲んですぐには行けないじゃないか。
そんなことをブツクサと胸中でぼやきながら、丁度本部へ行けと言う言葉もあって、本部横の水道へと向かい、目的の場所で手を洗っていたら藤咲さんと呼びかけられた。
「何でしょう?」
声に覚えがないと思いながら振り返ると、今回委員会で一緒になって初めて面識が出来た……たしか、上中さんだ。
「これ、神野センセから預かってるの」
「え……?」
差し出されたのは、すりおろし! とデカデカ分かりやすく書かれた、リンゴの缶ジュースだった。それに戸惑いながら、濡れた手を拭ってから深月は差し出されたそれを受け取った。
「ラムネ、得意じゃないんだよね?」
「あ、……そう、だけど。なんで……」
「だってこないだ、炭酸そんなに飲まないって言ってたじゃん」
「言った、かも」
文化祭前日、確かに言った言葉だ。
先生が、忙しい実行委員のメンバーに対し、労いを込めてジュースをご馳走してやると言った。皆がコーラやサイダーを次々に連ねていくので、適当に炭酸でいいのかと言った神野に、深月は出来ればリンゴジュースが良いと言ったのだ。
そのやりとりを思い出して、恥ずかしさにかぁあと顔が熱くなる。
だって、じゃあ……今この差し出された缶は、何だと言うのだろう。そして自分が先ほど神野に放った言葉を思い出せば、深月は気が気ではなくなって、小さく指先が震え、唇をきゅうっと閉じてしまっていた。
「直接ね、先生が買って藤咲さんに渡すと、贔屓だーとか言われちゃうでしょ? ほら、先生って何気にモテるしさ」
「……」
「だから、私が代わりに買って来たんだけど。ラムネ、もらっちゃってたんだね」
話の流れから察するに、上中は深月が誰からラムネをもらったのかは知らないらしい。
そう判断して、ますます深月は混乱して言葉が出ない。けれど、何か言わなければ、と先ほどよりもカラカラの喉から、どうにか言葉を振り絞った。
「すごく噴出して。どっちにしろ、半分も残ってないしどうしようかなって思って」
「きゃはは。藤咲さんって意外とどじっ子だね」
「えぇ? ち、違うよ。これは」
「はいはい。ラムネ無駄にしちゃったのは、内緒にしとくね」
上中は一方的にそう言うと、深月にも早く集合しなきゃだよとだけ言って、走って行った。
「も……違う、のに」
熱い顔の熱が、一向に下がらない。
恥ずかしさと嬉しさと。どれに喜んで、どこから恥じればいいのか分からなくなっている。
でも、一番分からないのは――
「何なの。どうして、りんご……」
最初から、神野は深月が炭酸を好まないことを知っていた。知っていて、上中にリンゴジュースまで買わせていた。それなのに、なぜわざわざラムネを届けに来たのか。どうして、ラムネは吹き出すほどに振られていたのか。
「意味、分かんないっ。うー、も。分かんないよ……」
考えの一つとしては、周囲の目への配慮だろう。
深月にもラムネは手渡された。その事実を作るために渡したのかもしれない。けれど渡されても飲めない深月のために、ワザと噴出させるように細工をした。と、考えられなくはない。
しかし、わざわざ先生が一人の生徒にだけ手渡す必要もない。
誰かしらが配っているだろうし、もし深月がそれに気づかなかったとしても、深月自身は炭酸を好んでいないのだから、問題がないのだ。となれば、先生が深月に直接私に来た理由が見えなくなる。
「何か、私と話したかった、とか?」
独り言を呟きながら、脳内でナイナイと否定する。
けれど否定しながらも、そんな自分の妄想がやけにそれらしく思えてきて、少し引いたはずの頬の赤みがさらに増していく。
「なんなのよ。もう、……私一人、ばっかみたい」
悪態を吐きながらも、手の中で冷たさをアピールするリンゴジュースに、にやけた顔が止まらない。これをわざわざ買いに行かせた。それは紛れもなく、深月だけのため。それだけは否定できない。
「先生なんか……先生、なんか」
嘘でも、嫌いなんて言えない。
冗談交じりにも、好きだとも言えない。
そして、そこに1人だとしても――声になんて、気持ちを出せなかった。
弾けてしまいそうな思いは、いつも身体じゅうに潜んでいる。
いつどこで弾けてしまうかも分からない。まるでどこかに埋まっている、不発弾。
一生、ずっと不発でなければいけないその存在を、深月は持て余している。
特に今日このときは――
手の中で存在をやたら大きくする、リンゴの缶ジュース。それをぎゅっと両手で握りしめ、目元を隠すように、鼻先にこつんとあてた。それからプルタブを引き上げて、缶を開ける。
まるで神聖な儀式を施すかのような。誰かにそっと思いを打ち明けるかのような。そんな祈りの気持ちで、深月はそっと缶に唇を触れさせた。
26.8.24【完】
26.9.4【転載】
By:桜倉ちひろ
本作は、他サイトにてハッピーバースデイのプレゼントに贈らせていただいた作品です。
お題はご本人から頂きました。
また、一部ごく少数の方だけがご存知かと思いますが、以前公開しておりました「恋を卒業したら」という作品の過去話です。こちらでいつか掲載できたらと思っておりますが、今のところまだ未定です。いつぞ見かけたときは『アレか』とでも思ってやってください。
最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。